海外編

中米7カ国縦断

旅行社による説明から始めます。 ベリーズ(旧英領ホンジュラス)、グアテマラ、ホンジュラス、エルサルバドル、ニカラグア、コスタリカ、パナマと7ヶ国を全て陸路で縦走。中米の個性溢れる国々は、それぞれに特徴が強く毎日が感動の連続です。 とにかく今回は、旅行へ行くことを決めるまで、このベリーズの国ように「ある」と言うことさえ知らず、ましてや中米各国の位置関係も、皆目分らない状態でした。 行きたいと考えた目的は、メキシコで見たマヤ文明の、遺跡の中心となるティカル遺跡、コスタリカの自然、それにパナマ運河のことぐらい。 あとは各国の文化、人々とその生活が知ることが出来れば、というぐらいが主な理由でした。 それでは中米7カ国・・・・

   ティカール遺跡について

   コパン遺跡、キリグア遺跡について

   @ ベリーズ 41枚

   Aカルペチ遺跡 ベリーズ2 26枚

   Bシュナントニッチ遺跡 ベリーズ3 50枚

   Cワシャクトゥン遺跡 グァテマラ 45枚

   Dティカル遺跡 グァテマラ 42枚

   Eキリグア遺跡 グァテマラ 35枚

   Fコパン遺跡 ホンジュラス 50枚

   Gマヤの里1 パナハッチェル 40枚

   Hマヤの里2 チチカステナンゴ 16枚

   Iマヤの里3 アンティグア 51枚

   Jグアテマラ国立考古学博物館 30枚

   Kサン・アンドレス遺跡 エルサルバドル 46枚

   Lイロパンゴ湖  エルサルバドル 38枚

   Mホンジュラスの首都テグシガルパへ 40枚

   Nレオンの町 ニカラグア 38枚

   Oマグアナ市 ニカラグア 16枚

   Pグラナダ ニカラグア 34枚

   Qモンテベルデ自然公園 コスタリカ 40枚

   Rポアス火山国立公園  コスタリカ 40枚

   Sサンホセとサンイシドロ  コスタリカ 67枚

   21 ダビッドシティ  パナマ 23枚

   22 コロナド  パナマ 23枚

   23 パナマ運河 パナマ 25枚

   24 パナマシティ パナマ 31枚



      









ベリーズ
ベリーズ、マヤ遺跡、カルペチ遺跡、マヤアーチ
イグアナ、モパン川、シュナントニッチ遺跡、エルカスティーリョ、チャック

グァテマラ
ティカル遺跡 フローレス島、イサバル州、グァテマラ、キリグア、遺跡、スペイン、マクパロの木、国境の町ベンケビエホ、ペテン州、低地マヤ地域、フローレス島、ペテンイツァ湖、サンタエレナ、マヤ遺跡巡り、ジャガーに注意、先住民(インディヘナ)集落、ティオティワカン、住居跡、民芸品、先住民、 呪術師の祭祀用神殿、グレートジャガー・コウ、ジャガー神殿、ハーブ歴、ソルキン歴、ティカール、カトゥンカレンダー、野鳥(トゥカン)、7つの神殿、生け贄、クモザル、ロストワールド、天文台ピラミッド

中米コパン遺跡 ステラ、カオヤックスカイ、コパン、カトゥン、バクトゥン、獣形の祭壇、 ジャガー、マヤ、獣神、セイバの木、アクロポリス、ホンジュラス、パパガヨ、18うさぎ王、生け贄、ククルカン、ケツァル、チャック神、ポポルナ、

中米マヤの里
パナハッチェル,カトゥクカフェ,アティトラン湖,トリマン山,サン・ペドロ山,,トゥクトゥク


チチカステナンゴ,サントトマス教会,マヤの聖地

アンティグア,ラ・メルセー教会,セマナサンタ,ラス・カプチナス修道院,ペドロ・デ・アルバラード,コロニアル形式の広場

エルサルバドル
中米エルサルバドル、バイエヌエボ、中米5カ国、メスティーソ、ピピル族、ディスクロポス川、マヤの最南端、サン・アンドレス遺跡、ケツァルクワトル、インディゴ染め、ピラミッド、ホヤ・デ・セレン遺跡、サン・アンドレス遺跡、サンサルバドル

イロパンゴ湖、カリビアン、トルティーヤ

ホンジュラス
中米ホンジュラス テグシガルパ、コマヤグワエル・ピカチョ、ピカチョ・キリスト像、チョルテカ川、グサウレ、

ニカラグア
ニカラグア、レオンの町、ルベンダリオ、コレクシオン教会、

グラナダ、コロン広場、オメペテ島、

コスタリカ
中米コスタリカ、エリズリーナ、サンタエレナ、モンテベルデ、ハミングバード

、パンアメリカンハイウェイ、ポアス火山、フランツィス・クレーター、サン・ホセ国立劇場、

パナマ
中米パナマ,ダビッドシティ,クナ族,

コロン,コロナド,

サンチャゴ,プリプ・バビオータ海岸,ミラ・フローレス運河庁,パナマ鉄道,閘門,ロックゲート,仏のレセップス,ミラフローレス閘門,

パナマシティ、サンホセ教会,ラス・アメリカス(アメリカ橋), パナマ・ビエホ遺跡,トクメン空港,ヒューストン,







この旅行の行程図です,出発の朝まで降り続いた雨で、成田までの足は大苦戦でした。全ての行程で遅れが出て先行きを心配したけど、何とかヒューストンの空港へ到着です,アメリカでのイミグレは左右の指紋、それに顔写真を撮らされ、しかもパスポートを5分以上も掛けてゆっくりと、・・・
意地の悪い黒人の係員にぶつかってしまいました。全員が空港をあとにするまで2時間も・・,ヒューストンの町です,やっと「ホリデイ・イン」にチェックイン,今夜は食事無し。成田で買ったおにぎりと乾燥みそしるで・・・
結構美味しかったです。,ヒューストンのホテルの部屋です,翌早朝、食事をする時間もなく、朝食セットを手に空港へ
なんとかベリーズシティ空港着。 時差は東京のー14時間,空港をあとにし、市内の中華レストランで昼食。レストランの前の風景。
人種は白人×黒人、白人×マヤ、マヤ、カリブ系黒人、その他中国など,チャーハン、焼きそば、多種の炒め物、揚げ豆腐様の物などとても食べきれないほど。味はまぁまぁでした。,食後、市内観光へ。 イギリス風建築のセントジョーンズ・カテドラル
レンガは舟に積み、重し替わりにしてわざわざヨーロッパから運んできたとか,中では何か行事が行われていたようでしたが、ミサではないらしい。,簡素できれいな教会でした,出入り口のドアはマホガニー材の一枚板が使われている。 素朴な彫刻だがとても美しいです,近くにあるガバメントハウス(総督官邸)へ,葉の形が気に入って、一枚!,比較的質素なガバメントハウスです,クリーク(運河)を張り巡らしているベリ−ズシティの街並みは独特の景観,何となく風情が漂う ,中米ではエルサルバドルに次いで小さいが、世界最長のバリアリーフを持つ,一応カリブ海に面していたが水は濁っていた。 ,海上ではジェットモーター(水上バス?)が走り、子供が泳いでいました,アメリカからのダイビングなどを目的にした観光客が、かなり多いと言うことです。 今回の私たちの目的は内陸部(マヤ遺跡)が目的で、海沿いはこれが最後,公園を通り抜けアルバート通りへ・・・ 強烈な視線を感じます,アルバート通りのスーパーを見学,店の中でもやはり強い視線が・・・ 店員だけが愛想が良,中米のバスは、アメリカのスクールバスを輸入して改造した物が多い,各国で窓が沢山ついていて、ゴテゴテの色のボンネットバスを見ました,バスに乗り、移動 車窓から 一体何人家族の家なのだろうか,野生のペリカンがたむろしていました・・・ 車窓,ボルトンカナル運河  英国人がマホガニー材を輸送目的で建設。 ひたすらまっすぐな運河には魚が泳いでいましたた。  アリゲーターもいるとか,車窓からの典型的な街並みです,首都ベルモパン手前のカフェで、トイレストップ。 お客さんが置いていった物と言うけど、換わりに新しいのを上げたのかしら,カフェの周りの景色です,,,,サンタエレナとサントイグナシオの町を分ける川の袂でフォトストップ,,水遊びを楽しんだり、洗濯をする老若男女・・ 皆楽しそうだ。,,ホテル カルペック到着です,,,丘の上にあり眺望が大変いいところです,ホテルの部屋からの夜景  手前の水色はプールに照明が,翌朝、散歩。 ,,庭はとても素晴らしいです,ブーゲンビリアやマードレット・デ・ココの花がいっぱいでした,いろいろな花がちょうど時期的に咲き誇っていました,,,鳥を見つけたが色はあまりさえないようです。 勿論名前なんか・・・,,花の写真は苦手なんだけど、きれいなので感動もひとしおです,,残念だが出発の時間です ホテルから歩いて行けるマヤ遺跡へ  これは予定になかった番外編 やったぁー!,マヤ遺跡のある地区を示す地図   北限はメキシコで南限はエルサルバドルということです,マヤ遺跡の定番ジャングルの中へ  メキシコ旅行が懐かしく思い出されました,小さい遺跡だけど、遺跡を見るのは大好き、わくわく・・・,この道はマヤ遺跡に住んでいた人が造って、そのままのものだそうだ。 遺跡の人が歩いた道を我々も・・・ 幸せ・・・,カルペチ遺跡  意味は「家畜の牛に付くダニがいるところ」・・ そんなぁ・・・ 全くなんて名前の付け方を・・ ミもフタも無いですよね〜,マヤアーチ・・ ローマ遺跡の円形に比べて三角形・・ 一番上の石が心張り棒になって崩れを防ぐという理論は同じなんだそうです。,神殿   マヤ独特のピラミッド型  見ると必ず登りたくなる・・・不思議なものです,不自然な形の山を注意深く掘ると、そのほとんどから遺跡が出てくるといいます。,いくつものマヤアーチをくぐり、神殿と住居跡を楽しみました。 何千年も前に、住んだ人々の生活や遊びを想像するとすごく楽しい。,遺跡付近に咲いていたきれいな花。  名前は・・・どうでもいいかモパン川の近くで下車。  すぐそばにイグアナがいたぁ!!,筏船に乗り、対岸へ   ワイヤーを手でで引っ張って移動します,今度はイグアナの夫婦が、日向ぼっこをしながら愛を語りあい・・・,,モパン川の清流です 筏船から,対岸で下りたすぐそばにもにもいました。  そう度々見られる物ではないそうです。  これは今回は憑いているかな・・,1マイル歩いてシュナントニッチ遺跡へ,なぜかベリーズの国旗が,さてジャングルにはいり、遺跡への入り口へ,遺跡の始まりです。 シェナントニッチ遺跡は別名「ストーンレディ」と呼ばれています,神殿、宮殿群  ,,高さ42メートル、 遠くからも見える立派な神殿です,,そばへ寄ると周りの土手で返って全体が見えなくなりました,かつてはこの壁面を雨神チャックや太陽神のレリーフが美しく飾られていたのです。 今はかろうじてチャックのレリーフ(これとてレプリカだ)が残るのみ,登る途中、ここにもマヤアーチが・・・ 芸術的に撮って見た・・・ ってこれしか撮りようがなかったのが本音なのですが,上からの眺め・・・ 絶景! ホントに緑が多いです ,ここでマヤの方位学を、 北→白→太陽が天頂に達する方角生命が満ちるの意,東→赤→誕生と生命の喜び 南→黄→太陽が復活するために地下界で戦う 西→黒→日没後の暗闇と死の世界 中心→緑→セイバの木を表す,ここが最上階の部分 皆さんてっぺんでのさわやかな気分を満喫してます,レプリカのチャック神もよく見えるでしょ?,下へ下りてきてもう一度眺めます,まだまだ沢山の人たちが上がってゆきます。,言わずと知れた球技場・・・ って見たことがない人は言わなくちゃ判るわけないですよね。,高級材マホガニーの林(赤い色の幹)を抜けて,マヤ、エリートたちの住居部の遺跡  石灰岩の損傷が激しく足場が悪いです,,いつの間にか子供たちが私たちの周りに集まってきた。,かなり多いけど、学校の遠足なのかそれとも・・・,家族のピクニック?   家族だとしたら、こりゃまたすごい大家族・・・・,住居部の正面にはやはり神殿がありました,大好きな遺跡・・・ 後ろ髪を引かれながら、もう一度遺跡全体の写真を撮りました,しつこいですか?   だってもう少しここにいたかったんだもん,もう一枚!!   エヘヘ,国境の町ベンケビエホにてベリーズを出国 グァテマラへ,グァテマラの北部ペテン州・・・ 大小の湖、沼、川の点在する低地マヤ地域。  フローレス島へ入り、ホテルへ,ペテンイツァ湖に浮かぶフローレス島のホテルの前風景です,,チェックイン後フローレス島散策へ。,教会を見学、 ちょっと手ぶれしてしまいました キリスト像が黒い肌をしているのは、スペイン人がマヤの人たちを早く入信させる目的だったらしいです。,紫色のカーテンが印象的でした,ナイターのバスケットボールを楽しむ若者たちです,家の壁にいくつかのマヤ神々の絵が描かれていました。,,,ペテン=島、イツァ=イツァ族=賢者、知恵者の名  フローレス島の人口2000人,サンタエレナからのフローレス島への入り口,サンタエレナからのフローレス島への入り口,,途中、「ジャガーに注意」の看板。   なぬっ!歩いていて出会ったらどうすんの?  めったに見られないけど、居るそうです。,今日はマヤ文明を代表する二つの遺跡を見ます。 先住民(インディヘナ)集落のすぐ近くのワシャクトゥンとオトに聞こえたティカール。,隣接する先住民(インディヘナ)の家並み,先ずはワシャクトゥン遺跡から。,車が上れない急坂の前で下車。,ワシャクトゥン=8つの石の意 他に観光客はいないのだけど、先住民の子供たちが一緒について来ました。,ワシャクトゥン遺跡のプラザには、天文台になる3っつのピラミッドと観測用のピラミッドがあります。,ワシャクトゥンのステラには、ティオティワカンの制覇者がティカールの王を殺し、ワシャクトゥンの王になったという内容が書いてあるそうです,住居跡。 神殿とともに何層もの建物が存在することが判っています,BC200〜AD300年に繁栄し、1926年に本格調査が始まりました。,ワシャクトンはティカルの近くだったためお互い干渉しあっていました,神殿。 下の部分がはがれて、下層がどうなっているか見えています。 前の時代の上に新しい層が上塗りされて建てられているのが、よく分る。,,神殿の中,,,,今まで付いてきた子供たちが集まって・・・・,ビニール袋から村で造られた、民芸品のおみやげ物等を広げ始めました,木の葉や皮で造った、かわいい人形などを買って、子供たちの写真を・・,近くに咲いていた花です,先住民の集落を挟んで反対側にある遺跡へむかいます。,「8っつの石」=ワシャクトゥンを表すステラ   ステラは、記念の年に王様が、その内容を彫って建てています。 それによってその年に何があったかが判明する。,神殿,378年 ティオティワカンからティカールに使役。,378年 ティオティワカンからティカールに使役。,,,呪術師の祭祀用神殿。 頂上の洞穴ののなかに彩色していた赤色が少し残っていました,,バスに戻る途中、地元の小学校を覗きました。,2003年12月に選ばれた大統領は、初めて先住民の義務教育を制度化しました。,なかなか生徒が出席してくれないので、先生が苦労をしているというお話です。,日本から持ってきたものなどを、先生に手渡しました。,3〜4年のクラスの授業です,,教室の後ろには九九の表も,私たちからもらった、珍しいものを生徒に見せたりあげたりして、出席率を上げるつもりです。 異国の物としての教材にもなる。 というおはなしでした,,隣の家では主食トウモロコシの粉ひき。 ,機械は一回単位のレンタルだそうです。,ほかに観光客もいない、静かな空間と、電気がなく素朴に生きる人々との、遠い時代に思いをはせたワシャクトゥンに別れを・・・ 昼食後、ティカル遺跡へ行きます,,車でほど近い、ティカール遺跡内レストランでランチ。マヤは暦、数字(20進法)0の概念では、世界で一番早く確立されています。 マヤの天文数字 BC3113年8月13日をマヤの初日とする,144000日を1バクトゥン 、13バクトゥン すなわち2012年12月23日にマヤの歴史が終ると決められている。 当時から1年→365日を把握し、3種類の暦を持つ(ハーブ歴、ソルキン歴、カトゥンカレンダー),より管理社会と都市機能を持ち始めたのがBC1000〜400。,17世紀スペインはマヤ文化を根絶やしにしようとしてユカタン事象記などを破壊。 マヤ文字がなかなか解明されていない。 ガイドの説明もいくつかの説に別れたりします。,1号(ジャガー)神殿の後ろ姿。  ティカールはマヤ中部低地で湿地がない。 従って池で水を確保する開拓の技術を早くから持ち合わせていました,ジャガー神殿の一部です。 ティオティワカンの影響(タブータブレロ方式)が見られます。 ティカール王朝は30代に渡ってここを支配。,大きな遺跡には必ずある球技場です。 グレートジャガー・コウ(大きなジャガーの爪)という名の王のころが最盛期でした,そばに巣を作っている鳥が・・・,グランプラザへ。 北アクロポリスです。 チャック神を祀り、ジャガー神殿の正面に向かって左側の位置。 ここでは一番最初に建てられました。,ジャガー神殿の対面にある2号神殿に登って撮っています。 左がジャガー神殿、右は南アクロポリスです。,ジャガー神殿。 マヤは暦、数字(20進法)0の概念では世界で一番早く確立されました。,ティカル遺跡のシンボル、ジャガー神殿です,中央にジャガー神殿、AD780,高さ57m。 左が北アクロポリス、 右が南アクロポリス(貴族の住居) 2号神殿の上部より撮影しています。,2号神殿から北アクロポリス神殿を望む。 マヤの天文数字  BC3113年8月13日をマヤの初日とする。,北アクロポリスの中から出てきた、雨神チャックのレリーフ。 素晴らしい!,貴族の住居、南アクロポリス、 裏側には5号神殿があります。 144000日を1バクトゥン 、 13バクトゥンすなわちマヤの世界では、2012年12月23日にマヤの歴史が終ることになるそうです。,北アクロポリス マヤは全て天体を基準として物をはかります。 当時から1年→365日を把握。 3種類の暦を持っています(ハーブ歴、ソルキン歴、カトゥンカレンダー),2号神殿。 高さ53m ジャガー神殿と向き合っています,5号神殿へ  水飲み場ではきれいな野鳥(トゥカン)が・・,一度に4羽も見られるのは珍しいらしい ,,早速、鳥類図鑑を出して確認,今度はウッドペッカー(キツツキ)が・・・,5号神殿 男女の人骨が出土。 女性の歯に翡翠が埋めてあった。,クモザルを発見!! 我々を見ても別に怖がらない様子。,小便をかけられないよう注意するように言われました,7つの神殿(現在発掘中)です,7つの神殿の横にある宮殿,7つの神殿の前の広場の一部。 生け贄にされたと思われる人骨をここから出土しました。,,3号神殿がジャングルの間から垣間見えました。 3号神殿はジャガーの祈祷神殿。 ティカル遺跡では最後に建立、55m   時間の都合でここからの写真だけに・・・ 残念!!!!,ロストワールド(失われた世界)の天文台ピラミッド。  7つの神殿から昇る太陽をここから観察しました。 BC700。,またきれいな鳥が・・・ ケツァルのイトコに当たるらしい。 尻尾が長いとケツァルになるそうです。,,,,いよいよ、一番高い4号神殿。 なんと73m、ジャングルから頭を抜け出しています,ジャングルで、近くでは上部が撮れないのでここからのみの写真になります。,一番高い4号神殿最上階からの眺め!   最高です。 気持ちいい!,1,2,3号神殿とロストワールドのピラミッドが見えた!!  ,私たち以外に唯一の観光者カップル。 気圧されたのかさっさと下りてしまいました。!   ゴメンネ・・・・ ウワァッ!この女性裸足で歩いてる!!!,い合う2号神殿をズーム,ジャングルを移動中、垣間見た3号神殿,ロストワールドの天文台,下へ降りる前にもう一枚です,帰りはジャングルウォーク チョウチョだ。  名前は・・・わからない,道路へはみ出しているトゲの植物。 これを間違ってつかむと、痛いだけでなく3日間高熱が続くそうです。 くわばら!,ジャングルの植物になぎ倒されたステラ,,かなり立派な遺跡だけど説明はなし・・・ 問題外・・・?,マヤにとっては全ての中心となる重要なシンボルの木「セイバの木」,,,枝に付いているのは共生植物 養分を吸い取る寄生じゃないけれど、結局は日照不足で枯れてしまうことになるそうです。 生態系を壊さないように、そのまま枯れさせるということでした。,またきれいな鳥が,ホテルへ帰る途中サンセットに・・・ 撮影スト,,この日は大変密度の濃い一日でした。,ペテンイツァ湖には湖水に夕焼けと灯りが写っていました。 次回は日をまたいでキリグアとコパンの遺跡です。 この遺跡も圧巻ですよ,>朝7時にフローレス島のホテルを出発。ペテン州からイサバル州へ。 キリグア遺跡について   コパン(AD200〜600が最盛期)の支配下の町としてモダグア川の近くに出来ました。,グァテマラ最大の湖イサバル湖(500ku)から流れ出すドゥルセ川で写真ストップです。  状態の良いステラが特徴でサイズも大きく、彫りも深く作られている。,AD723、 最盛期を迎えていたコパン13代王「18うさぎ王」から独立。 カオヤックスカイが初大王に。 その後738年、18うさぎ王はカオヤックスカイに殺される,キリグアの立派なステラはそのコパンを倒した勢いで作られたもの(砂岩)らしいことがステラの内容から分っています。 従って、遺跡のステラは全て738年以降のものということになります。,コパンでもっとも勢いのあった「18うさぎ王」を倒したのがよほどうれしかったのか、ステラにはカオヤックスカイの人物像と、その時の内容をを記した史書が多く、ステラそのものに関してはコパンの遺跡より大きく立派なものになっている。,途中、原住民のお店へ立ち寄ります。  その後コパンは衰退、変ってキリグアが台頭。  それ以後立派なステラ(石碑)が次々と建てられます。  ,その後コパンは衰退、変ってキリグアが台頭。  それ以後立派なステラ(石碑)が次々と建てられます。 ステラには、文字や王の姿、それにジャガーやハ虫類などの獣型の姿をした神が彫られたものが多かった,カオヤックスカイの息子の王(785〜800在位)のあとキリグアは次第に衰退する。,とりついた木を絞め殺すマクパロの木。  これも森の再生には大事な行程なので手を加えることは御法度だそうです。遺跡は3つのパート(@プラザAステラB宮殿)に分けられるが、,ステラの文字  まず2列を左から右へ横に読み、あとは縦書きで、読んで行く。 すなわち2列ずつ縦に読む 「カオヤックスカイはこうして18うさぎ王を倒した」 なんてよほどコパンコンプレックスがあったんですね〜,一つの文字は漢字の部首と作りのように、音を表す部分、意味を表す部分などのいくつかの要素を組み合わせて構成されている。  さすがモンゴロイド!!,文字の内容は「775年建立」 「これから1カトゥン(5年)周期でステラを建てることにする」,,獣形の祭壇  カエルだそうです。 マヤの獣神は怪物に近くとても判りづらい。 異常な形をしているのは、マヤの人々が麻薬を常用していたためのようです,,文字の内容は「775年建立」 「これから1カトゥン(5年)周期でステラを建てることにする」,「この世界は13バクトゥンで終る」etc  終る日は2012年12月23日! 果たして本当か!!,,一番高いステラ(10. 66m)グァテマラの10センタボのコインの絵柄にもなっている。,一番高いステラに彫られた像ははカオヤックスカイの像,,,,こちらはジャガー、左側の爪で判断できるということです。  麻薬の種類は特殊なキノコや唐辛子とカカオを混ぜてドロドロしたもの(苦いが幻覚作用)など、それらがお墓のなかから出土しています,十字の絵は神聖なセイバの木を表しています,今まで見てきたプラザのステラを撮影、屋根はステラの崩壊を防ぐためのものです,カオヤックスカイの息子スカイシューの像。785(15才)〜800年在位。 この王のあとキリグアは衰退して行きます,カオヤックスカイの孫(10才で即位)この王の10年後キリグアは崩壊しました。,,,息子スカイシューの亡き父(カオヤックスカイ)に捧げる祭壇。,,絵は、カオヤックスカイが殺した18うさぎ王を見ている・・・ ってハッキリ言って余りよく判らないなぁ・・・ 息子までコパンコンプレックス?,,アクロポリス(4層)特徴は石灰石や砂岩でではなく大理石で作られているそうだ。 ステラのすばらしさに比べ 他の地域の遺跡よりもずっと貧弱です。,コパンに対してのコンプレックスから対する成果のステラ建立に力を入れすぎて、立派なアクロポリスや神殿を建てる余裕がなかったらしい。 これは一番古いカオヤックスカイが王になる前のステラホンジュラスにあるコパンの遺跡へ行くため国境へ。 コパン(ホンジュラス) 19世紀、探検家スティーブンスと画家ギャザウッドの第1回探検行で始まった調査は、全てのマヤ遺跡のなかではもっとも綿密に行われている。,バナナ農園の道路を横断するモノレールリフトが作業中でしばらく休憩。査は、全てのマヤ遺跡のなかではもっとも綿密に行われている。 コパンの名を高くしたのは、近くにあるキリブレ遺跡とともに、立体的な高浮き彫りの彫刻です。,グアテマラにあるキリブレ遺跡とともに、立体的な高浮き彫りの彫刻です。 古典記マヤでもっとも完成度の高い芸術がマヤ文明の中心地でなく、東の外れの山間の谷で生まれたということは特筆に値するもの。,東の外れの山間の谷で生まれたということは特筆に値するもの。 コパンが重要視される、もう一つの理由に「人工の丘(アクロポリス)」があります。,コパン遺跡の複合建築は16代に渡って歴代のコパン王が営々と築き上げたものですが、 過去1000年間に渡って、コパン川が、アクロポリス東端を浸食し続け、多くの貴重な建物が崩壊しました。,でもそのお陰でアクロポリスの断面が露出し、400年に渡る建造物の積み重ねを見ることが出来るように・・・。
コパン遺跡の入り口で遺跡全体の模型です。,最盛期であった13代「18うさぎ王」が、キリグアのカオヤックスカイに殺されて、衰退したが、コパンの国は細々とAD900年頃まで続きました。
紀宮さまが来られたときに植えられたというセイバの木。 小さな苗だったけど、すごく育ちが早いとのことでした。,,入り口にいるこの赤い鳥は、ホンジュラスの国鳥「パパガヨ」 コンゴウインコです。,先ずはプラザにあるステラ。 AD250〜900年(比較的遅い方)。 全て溶岩で出来た材質。  王は17代まで 遺跡の大きさは24km四方で、ステラは12代18うさぎ王のものばかり(在位42年間)でした,年一回だけ行われる、人間を生け贄にする唯一の祭壇。 他の祭壇は高官の一部の血液だけを捧げるだけで人命は失われなかったそうです,当時の色がわずかに残っているステラです,溶岩のため彫りの深い彫刻が出来ます。 特にここのステラは完成度が非常に高く、足の筋肉などリアルです。,,ククルカン(蛇とケツァルのミックスした神)。  よく見てもなんだかよく分らないけど、これも麻薬使用による幻覚でデフォルメされたのでしょう。,羽を装身具に使えるのは王様だけでした,,球技場 とてもきれいな形で残っています。   パパガヨ(シンボル)にボールを当てると勝利。 ボールは12〜14s大のもので材質は木かゴムだったらしいとのことでした。,選手控え室。ここにもパパガヨの像が。,,碑文の階段(神殿26) マヤでいう図書館のようなもの。 64段で2200文字が書いてあります。,王12〜15代で完成。 内容は政治的歴史が書かれています。 現在まで60%解明されているそうだ。,西のアクロポリス。 当時一般の人は入れない神聖な場所でした。1987年ロサリラが原色(鮮やかな赤)のまま見つかりまし。 残念ながら見ることが出来ませんでした。 現在も調査中,まるでゴジラ・・・ 西アクロポリスの下からは貴族の墓も見つかっています。 その人骨は装飾品や栄養状態も素晴らしいそうです。,祭壇 彫刻の堀の深さを見てください,マヤの埋葬法は胎児と同じく立て膝に曲げる。→理念転生の意。同時に麻薬も見つかりました,東広場へ回り込む途中、北側の住居部です。 16代ヤシュパック王(昇る太陽の意)の宮殿。 ここだけは一層でした。 男一体と、あとは女性のみの人骨を出土。 それによって、一夫多妻ということが判ります。,一夫多妻→人口増えすぎ→衰退→都市の消滅 というのが現在の有力な説です。 消滅した部族からの人骨が栄養失調ばかりだからだそうです。   東広場へ。 3500体の像が出土。 これは猿の像,,シンボル、ジャガーの像。 東広場はジャガーの広場とも呼ばれています。,美人の像。 当時寄り目が美しいとされたらしい。(ホントにホント?)  他に子供の時にわざと板を当てて扁平の頭にされた人骨も多く出土しているそうです。 当時の流行なのかも,現在も発掘作業中で今日はこれでお終いらしい。,太陽の神殿  18うさぎ王のもの。,住居部から東広場への入り口   セイバの木が沢山。,広場入り口の対面に雨の神チャック神の神殿です,四隅に雨神チャックが掘られています。 後ろにはコパン川が流れている,雨神神殿の左側は合同会議所ポポルナ。 14代王が建立。 12代18うさぎ王の死後、政治のみは合議制に変りました。 色はグリーンでとても美しかったらしい,雨神神殿の入り口両サイドに、チャックの牙が・・,,東広場のポポルナから西アクロポリスと碑文の階段を望む,,セイバの木に共生する植物 高いところで見ると小さな草のように思っていたけれど、かなり大きなものでした。,本日、ホンジュラスの大統領がコパンにくるそうで式典の準備中。,料理が運ばれていました,,うまそ〜〜〜,コパン遺跡に咲く花,テコマチスという花だそうです 中米の花はみんなきれいです。,ホテルへ戻りチェックアウト、グァテマラシティへ、 式典とVIPのために14時まで国境閉鎖という話でしたがが、難なく通過。 黒曜石の採取場所で撮影ストップ,石をたたきつけて黒曜石を割ってみる。 今では、まるでゴミ溜・・・   かつてはマヤにとって刃物替わりなどで貴重なものでした,グァテマラシティの郊外にある、渓谷にへばりつくようなスラム街。 地震で被害者が出るのはほとんどこの地区で、一般の人が入り込むと生きて返るのが難しいそうです。   次回は博物館とマヤ民族の町です。,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, 名称         ,今日から、1泊(パナハッチェル泊)でマヤ種族の人たちが住む町へ。 この旅行で初めて降る雨の中を出発。カトゥクカフェでトイレタイムです。,カフェの中です,トルテーィヤを素焼き皿で焼いていました。,これをチーズで挟んだ物を現地ガイドが食べていました。,赤道に近い国グァテマラでも、標高が高くなるとさすがに寒い。 ここのガスストーブは頭の上の方でガスを燃やしています。,カトゥクカフェを出発し、小さな町の細い道を曲がりくねって坂を下りてゆきます。,,ちょっと周りの景色とそぐわない建物が・・・    なんだと思いますか?,これは、マヤの人たちのお墓。 沖縄でも立派なお墓を見たけれど、彼ら自身が住むより立派な建物のような気がします。,アティトラン湖とそれを取り囲む3山が見えるところで写真ストップ。,真ん中手前がトリマン山(3158m)、 後ろでで雲に隠れているのがアティトララン山(3535m)、 富士山型をしている。右がサン・ペドロ山(3020),ここへ来て天気も回復。暫くお店の人たちと交流です,道行く人々の服装、圧倒的に民族衣装が多くなってきました のんびりしていて、何となく楽しそう。 しかしこの道を歩いているということは、・・・ 信じられない距離の峠越えをしていることに,男性用の民族衣装・・・・ かわいいすぼんですよね。,お店の子供たちが飴をねだりに来ました,露店を開いている間、子供たちも一日中一緒にいるらしい,どうみても学校へは通っていないような気がするんだけどなぁ,妹の面倒の見方は日本の子供たちより数段上かも,このくらいの年の子が民族衣装を纏うと、ぐっと大人っぽく色気さえ感じます。 もっとも12才ぐらいから結婚するとのことだから、不思議はないか,,年配の人の重厚な民族衣装です,,,ホテルの入り口近くで、品物を持って売り歩く女性たち,アティトラン湖のほとりの町パナハッチェルのホテルでトイレを済ませ、湖畔を散歩。 周囲には約12の先住民の村があります。,この格好でかなり激しい動きをしても、頭の上のものはピクリとも動きません。 年季が入っているなァ,この腕に通しているもの、頭に付けて広げることも出来ます。 女性陣は10〜15枚ぐらいずつ買い求めていました。 安いし手作りで、髪の毛をまとめるのに便利だそうだ,アティトラン湖の畔です,マヤの若い娘たちが、水辺にたむろしていました。 手前の女性は石けんを使ってかみをあらっています。  でも水はあくまでも透き通って美しい湖です,,アイスクリ−ム屋さんのアイスボックス。  アイスは大好きだが、さすがにここでは買うことはためらわれました。,中古のスクールバスを改造して、派手に化粧をしたバス。 あちこちで見られるが化粧の仕方は様々,湖岸沿いのカフェ街です,パナハッチェルの商店街を散策。 手作りの小物を並べています。,商店街。 先住民の人たちが集まってくるところ,30分ほどブラブラ・・・「パナブラ」,トゥクトゥクにも、それぞれかなり個性がある。  さすが日本の漫画のキャラクターは見かけなかったです。,かなり暑い国々だが、沢山ワンちゃんを見かけても、寝そべっている犬はほとんど見ません。 中米の犬って活動家が多いのかな?,民族衣装がすごく自然でいいですね。,さて、チチカステナンゴを目指す。  先住民の家並みです,学校帰りの子供たちでしょう。   昨年から大統領が替わり先住民も学校へ通えるようになったが、出席させるための苦労も多いらしい。チチカステナンゴに到着。 サントトマスホテルで昼食です。 中庭では、マリンバの生演奏中。 カメラをおろしたとたん演奏を辞めてしまいました。  職業意識丸出し!。,レストランの中は、オウムやきれいなインコがカラフルでにぎやか。,食後、歩いてチチカステナンゴの町の観光へ。,とてもにぎやかです,お店はどこも大変からフル。  どれも全部手作りのものだ。  ネパールの町を思い出しました。,,野菜市場のマーケット。 農家が自分で作ったものを持ってきて直接販売します。,週2回の開催で、どうやら中国ウィグルの日曜バザールなどと同じようなもののようです。,,,サントトマス教会の見学。 入り口の階段でマヤの人々が、お香を焚いていました。 普通のキリスト教とは趣を異にする教会でした。,中の写真撮影は不可でした。 飾られている像などは教会ではあるけど、礼拝のやり方やろうそくなどの使い方、拝む対象もマヤの従来の神様に対して。 スペイン人も強制は無理だった・・というより改宗させるための苦肉の策? ここはマヤの聖地です。,町中で2時間ほど散策します。,カラフルでとても楽しい。 帽子を買ってこの紐を巻き付けたらバッチリ!! 気に入りました! この次のクロアチア旅行に持って行こうかな。,町を囲む壁に登り、商店街とサントトマス教会を展望。,町の外側の風景です。 こちらの方へは足をのばさないようにいわれました。 2時間があっという間に過ぎ去りました。  値段の交渉がかなり楽しかったです。 こちらは一割の値段から始まる。  買わないで歩いていると5分ぐらい過ぎてから、追いかけてきて値段を下げてくるのを待ちますグァテマラシティへ   フェゴ火山(3975m)の写真ストップ。,,,山の写真を撮ってバスへ。,アンティグアの町へ寄ります 1541年スペイン人によって建設。 度重なる地震でグァテマラシティに遷都される。,街並みがとても美しい。 家々も大変カラフルです。,,ラ・メルセー教会。黄色ファサードに白い装飾。 きれいです,,ジャカランタの花もちょうど盛りです。,,中庭の噴水。  度重なる地震で何度も修復されています,ラ・メルセー教会の中です,,ラ・メルセー教会の中です,,聖週間、セマナサンタのセッションの準備で、きれいな絨毯に果物が沢山並んでいました。,教会の中,信者たちの祈りです,,,歩いてラス・カプチナス修道院へ向かいます,花で飾られた家々 町全体がとてもいい雰囲気でした,ラス・カプチナス修道院,柱が太いのは耐震構造のためということでした,ラス・カプチナス修道院の入り口,360度ぐるりと囲む修道女たちの瞑想(?)室 ,カテドラルへの道すがら、沢山の花が真っ盛りでした,,,,カテドラル、遺跡の部分と本体部分があります これは本体ですが、只今使用中で中へは入れませんでした。,カテドラルの遺跡の方の内部です,中にはペドロ・デ・アルバラードのお墓が・・・,,,,,カテドラルの遺跡の部分でした,コロニアル形式の広場と市庁舎です,市庁舎前では何かの式典が開かれているようでした,,,自由時間で町を散策・・・,,,,,,,マヤ式おんぶ。 もっと小さいときは袋の中に丸ごとくるんでしまうそうです。 まるでカンガルーと一緒ですね,グァテマラシティへ到着後、グアテマラ国立考古学博物館でマヤ文化のおさらいです。,木の皮で作った文書,石器の出土品,博物館のガイドはJICAで来ているクワバラさん,ここに展示されれているものは、グァテマラシティ近くで出土された土器たちです,マヤは麻薬の常習により、かなりディフォルメされた獣形やステラが多い,グァテマラシティ近辺では、出土品だけで遺跡はほとんど残っていないそうです,,絵画のコーナーです,,,,,,当時のピラミッドの復元図。 かなり色彩の派手な町作りでした。 あでやかだったでしょうね。,マヤの人々の生活の様子です。,,,グァテマラシティ近くで出土された土器たちのコーナーです。,これには驚きました。 世界最古のひねり式フタが付いた土器です! マヤが最初に発明したのですね〜,,,素晴らしい仕上がりですね。 現在作られたもの、といわれてもうなずいてしまいそう。,発掘された人骨とその時の状態です,発掘されたときのままを再現しています,,,,この仮面の目には翡翠が埋め込まれていました。,,ホテルに戻ります。 グアテマラ市内、金持ちの個人が建てた教会だそうだ(車窓から),今日はいよいよグァテマラとお別れです。 朝早くホテルを出発。  まるで富士山みたい,朝焼けです。    きれいですねぇ,朝焼け、トゥー(two)  エヘヘ,,トイレ休憩。  花もきれいだです,,,治安が良くないということでツーリストポリスがパトカーでずっと付いてくれました。 記念撮影!!!,アラスカからパタゴニア先端まで続く、パンアメリカンハイウェイを・・・。 そろそろ国境です,グァテマラ〜エルサルバドルの国境バイエヌエボ着。  つい最近中米5カ国の間で、入出国手続きがお互いの出国の場所だけで出来るようになったそうです。,それでもかなり時間がかかる。 自分の手続きが終って、皆が済むまで国境付近を散策。花が沢山  エルサルバドル 中米で最も小さい国,枝豆のような実が沢山。  花もきれいだが、かなり大きな木です。  この国より南はマヤ罫線住民の数は少なくて、85%がメスティーソ,花の名前は聞かないでくださいね。   1540年ペドロ・デ・アルバラード上陸したときこの地にはピピル族などが居住していた,ちょうど花が咲き誇る時期に当たったようで、良かったです。   15の火山のうち10は今でも活火山,国境を分けるディスクロポス川   紀元後600年頃には特に大きな地震、噴火が多発、ここより南はほとんど溶岩と火山灰に覆われてしまった,国境のお店。   ほとんど屋台ばかり。  このあたりが、マヤの最南端の理由は地震のため、南下をあきらめたことに寄ると推測される,でもかなりのにぎわいを見せていた,国境から1時間半ほど走ったあとで、サン・アンドレス遺跡へ,,小さなミュージアムを・・・出土品ケツァルクワトル,ここで出土した額を矯正された頭蓋骨。 歯には翡翠をうめたあとがある,左がスペインに統治されたときのコイン。右はマヤが使用したカカオの実のコイン,,マヤの人々によるインディゴ染めの製法図,そして遺跡へ・・・道ばたに咲いていた花です,2才のセイバの木。,若いセイバの木にはとげがあります,,少し離れたところにあるピラミッドの一部。上 の部分はほとんど無かった。 日本とは違う笛の音のような蝉の音がとても神経にさわりました,これが遺跡の全景の神殿群とプラザ。  AD350〜1500まで細々と続きました。 マヤ遺跡の南限 コパン、チチェンイツァーと交流があったことが解明されている,インディゴが咲いていました。  インディゴ染めはジーンズの色に似ている,近くのホヤ・デ・セレン遺跡(セレンの宝物の意)へ。カシューナッツの実がなっていました。 種の部分が食用になるんだそうです,,ホヤ・デ・セレン遺跡のミュージアム  マヤの南限を示す地図です。 ここは先ほど見たサン・アンドレス遺跡の平民の住居部になります。,「マヤのポンペイ」といわれ AD680、600mほど離れた火山噴火で火山灰に埋もれた。  柱と屋根の炭化したものです。,焼き物はきれいな形で残っています。 1976年に偶然発見されたそうです,上部の黒い部分が当時の噴火口。 下部が遺跡の部分,木を縄で縛り、鉄筋替わりにして土を塗り込めて家造り,実物大の当時の家と壁(レプリカ)です,,,,,祈祷師の居たところらしい,畑のうねったあと。 当時のそのままだそうです, インディゴ染めの施設  一般庶民の暮らしぶりがよく分る遺跡でした。  1993年世界遺産に,鳥が・・・・ きれいだぁ首都サンサルバドルへ。   車窓からです ドライブインのようなもの?,,トイレ休憩。 そばに咲いていた花,,車窓から サンサルバドル市内の市場。 大変にぎわっています,市内の中心、中央広場で下車。 モダンな教会、国立宮殿などがあったのだけど・・・,,仕事にあぶれたらしい人々が沢山。 何となくうつろな目をした人たちが・・・・。 FMLSの人々が心身のケアの辞めにキャンペーン中でした。,何をしているのか判らないような沢山の人たちから、刺すような強烈な視線が集中。 ローカルガイドが説明をあわてて切り上げて、バスへ誘導、そそくさと出発しました。,サン・サルバドルの郊外、悪魔の門へ。 昔は先住民に「精霊の宿る場所」と信じられていたそうです。 今は地元民のデートスポットに,,悪魔の門の山頂まで登ったのですが、霞がかかっていました。,1999年に地震により壊滅後復興。,アメリカ資本による弾圧、軍事援助などで死亡8万人、亡命10万人,ホテルへ着きました。 1980年代、600人大虐殺、その後虐殺を繰り返されています。  レーガン時代もズーッとその虐殺が続いたそうです。,翌朝、ホンジュラスの国境へ。 真ん中のへこんだところが、昨日登った悪魔の門です。  人口600万。 アメリカへの出稼ぎ300万。 最近は、アメリカ資本による経済が急成長,イロパンゴ湖到着、散策に 最近通過をUSドルに変換しました。  虐殺を受けたアメリカに頼ざるを得ない悲哀を感じました。,リゾートとして知られているところ。 昨年はこのあたりは内戦の中心だったそうで、銃の音が絶えなかったそうです。  でそ皆明るい顔だ。 ホッとします。,子供たちの写真です。,,,湖に沢山泳いでいた魚の唐揚げ。 ワカサギではないことは確かですね〜。 何年も使用しているような色の油だった。,,ボートのこぎ方も面白い。,,朝早いのでお客さんは若いカップル一組だけ。,景色が素晴らしいです!,朝の空に映える木と緑,,現地の皆さん朝の洗濯   このあたりはマヤの末裔ではなく、カリビアンやアフリカからの黒人混血が多いとのことです。,,朝日に映える緑と大木,一路ホンジュラス国境へ・・・。  中米の各国には富士山型の山が多く、火山、地震が多いのも日本に非常によく似ています。,昼食はエビ料理で有名な食堂へ。 遅いと材料が無くなるとのことで、席を確保するため、早めの11時過ぎに入りました。,チーズを挟んだトルティーヤ、これは絶品でした。 トルティーヤだけを口に入れても味も素っ気もなかったのに、合わせると数十倍のおいしさに変わります。,メインの大きなエビ。,木の金槌でたたき割って食べます。 美味しかったけどやっぱり日本の伊勢エビが恋しくなりました,トイレ休憩でガソリンスタンドへ。  トラックバスの人たちにカメラを向けたところ、全員が反応してくれました。,これもトラックバスです。 各人の家の前でおろしてくれるが、その分だけ時間がかかるということでした。国境到着です。  出国側で入出国手続きがOKになったけど、エルサルバドル側の係官はにこやかで親切。 ホンジュラスはむすっとして威張っていました,結局は時間がかかったが無事出国。,グランデ川を渡りホンジュラスへ。 さて、この国は、反共産主義を掲げる国家でです,1980年代アメリカは中米安定の拠点として、経済軍事両面で多大な援助。,日本も青年海外協力隊を派遣、橋や道路をつくりました。,パスピルという田舎町の万屋でトイレストップ,丘の上に十字架が・・・なんなのかな〜,親切にトイレを貸してくれたよろずやの奥さん。 勿論ジュースやミネラルウォーターを買いました。,,途中、パンアメリカンハイウェイをそれて山道を行きます。,高い山はないけど、80%は山岳地帯とか。 やはり日本によく似ているみたい,,首都テグシガルパの郊外に入りました。,ホテル到着。 外に出てホテル前の写真を,かなり立派なホテルです,,部屋からの夜景です,朝、部屋から。    テグシガルパ→1762年首都コマヤグワの隣に、銀の採掘場として建設されました。,朝、ホテル前で。   1845年テグシガルパに遷都されます,ニカラグアに向けて出発です。,その前に町の大聖堂見学。,金銀が採掘された最盛期に作られたもので、ゴージャスにつくられています,町を一望できるエル・ピカチョの丘へ。 ピカチョ・キリスト像は1979年建立されました。,,眼下にはテグシガルパやチョルテカ川、国立競技場などが・・,,そしてニカラグアとの国境へ,トイレストップ。 地元のバスも来て沢山の人も下りてきました。,駐車場には先住民などに対する看板が。 「焼き畑をするとこういう結果になりますよ」という意味だそうで,,,ニカラグアとの国境の町、グサウレへ到着。 今までの国境と比べると華やかな感じがします,道路も広いし商店も多いです,国境の町に住んでいる子供たち。,色々な旅行者が通るので、子供たちには楽しいのだろうな。 私が子供だったらいつも来ているかもしれない。,,荷馬車を駆って、振り返りながら通る少年。 こちらは遊びではなく仕事だ,,ホテルから持ってきた昼食用のボックスランチを手渡すと食べながらそばにずっと居た。 もっとほしかったのかな,この裏がイミグレイション、 私たちはは今まで乗ってきたバスから降りて、ニカラグアのバスに乗り換え。 パスポートの手続きはガイドがすべてやってくれました,グァテマラからズーッとガイドをしてくれた、フランクさんとドライバーのラウルさんとお別れです>ニカラグアにはいるとすぐまた富士山型の山が・・  ほんとに多いです。,車窓からです,レオンの町に入りました,レオンの町で下車観光,きれいな家並みです。,先ずは大聖堂。,ここでニカラグアについてのお話も。 中米で最大の面積の国。 国名は先住民の指導者、ニカラオから来ている。,大聖堂の中にある 国民的詩人ルベンダリオのお墓。   墓標のライオン(国民)が彼の死を嘆いているということだそうです,大聖堂の屋上へ 国民は、噴火による地震やハリケーンの脅威、政治的、経済的にも厳しい歴史に耐えてきました。,独裁政治(ソモサ父子)にも翻弄され、内戦のため荒廃します。,太陽に向かうイエスの像を背後から。  1980年代の住民大虐殺の際には、多くの人々がホンジュラスの難民キャンプに逃げ込んだ。,屋上を歩いて街並みを見に・・・ 現在義務教育の卒業は70%にとどまる。,夕日に映える美しい火山と街のコンビネーションです,,下で見るカラフルな壁の家も、屋根から見るとちょっと・・・,街の散策。革命のイラストが描かれている家の壁,,,レオンの町を散策です,ルベンダリオの家を見学します。,ルベンダリオは19世紀のスペイン詩にも大きな影響を与えました。,寝室と彼自身の絵,ルベンダリオの家の中庭,高校のようです,,18世紀に建てられたコレクシオン教会を見てまた広場へ戻ることにしました。,コレクシオン教会,前もってニカラグアは治安が悪いと聞かされていたが、とても考えられない。  楽しそうな人々でした。,遠くから声がかかりました。  写真を撮って欲しいとの合図。 別に写真が欲しいわけでもないのに撮ってほしがるのです。 送ってあげられない変わりにHPに載せることにしました。,また大聖堂の前の広場に戻ってきました。,,,大聖堂の入り口。,,人々も以外に明るいし楽しい街です,放課後をこの広場で精一杯楽しんでいます。,アイスクリーム屋さんも大繁盛ですね。,夕暮れに広場の真ん中にある名前も知れない黄色い花が印象的でした。,美しい夕日を見ながら、首都マナグアのカミノレアルホテルへ向かいます,,>美しい夕日を見ながら、首都マナグアのカミノレアルホテルへ向かいます,ホテルの庭です,ホテルで飼っている鳥。 名前は・・・・・,,,,マグアナ市内観光。 国立博物館(旧国立宮殿) 館内も観光したが写真は不可でした,向かいには大統領官邸,すぐ横には、1972年の地震で廃墟になった大聖堂が。,十字架は折れ曲がっているし、今にも崩れ落ちそうでそばにいるのが怖いほどです。,そのすぐそばの建物 大丈夫なんですかね。不思議な気が・・・    三角形の紋章は国旗かも,子供たちがその辺で取れた、食用になる草を持っていたけど、売るつもりなのかな?,ヨハネパオロ2世広場へ。  広場の向こうは沢山のビル群があったが地震で跡形もなくなってしまったそうです。,ヨハネパオロ2世広場   歴史が刻まれているが、地震のあとに建てたので真新しいですね〜,野外劇場です,丘へ登りマグアナ湖を。   ここはかつて独裁者ソモサ大統領の邸宅があったところです,市内観光を終り、グラナダへ向かいます。グラナダへ到着。,ニカラグア最古の街で保守派の拠点でした。,かなり綺麗な町です,ニカラグア湖畔で写真ストップ。,また遠くで声が・・・ 写真撮影の請求です,カメラを向けたら咄嗟にこのポーズ・・・   典型的なラテン系の明るさ。  うれしくなった。,,,ニカラグアでは各家が鉄格子のデザインに、趣向を凝らしていてとても面白い。 治安が悪かった頃の防衛策なのが皮肉ですけどねー。,格子の柄を見ているだけでも、飽きないし結構楽しかったです。,,,街並みはスペイン様式の家々が並び美しい。コロン広場でバスを降り散策と自由時間をとります。,広場には露店、ニカラグアの工芸品やTシャツが並んでいました,,観光案内所の街角です,広場に面したアルハンブラホテル,ホテルの紋章です。 ニカラグアは治安が悪いと聞いていましたが、エルサルバドルに比べると、そんな風には思えませんでした。,,,,3世代の館と言われているそうです,新旧取り合わせた家が並んでいます。,,看板も楽しいです,美しいサンフランシスコ修道院です,,,どこかの映画のシーンを見ているような気分になる絵でした。,玄関は綺麗だけど、壁が・・・・,昼食をとり・・・,ニカラグア湖沿いに国境目指して・・・   また富士山・・・・,湖に浮かぶオメペテ島です。スタリカ入国です. ペニャ・ブランカスの街  中米で唯一の免税店のある国境です。,ここでもバスと現地ガイドが変わります。,夕暮れ時、エルシティオホテル到着。  コスタリカについて・・・  国名の意味は「豊かな海岸」  人口の98%が白人系,翌朝、いつも通り、ホテルの庭を散策  バナナの実と花 電力の自給率120%。 水力、地熱、風力発電のみ  原子力は無しです。,軍隊の恒久的廃止や永世中立宣言など、政情不安定な中米地域では独自の路線をとっています,とても1940〜1950年代にかけてこの国にも内戦があったとは思えないほど豊さを感じました,,,ホテルを出発。  車窓に黄色い花が目立つ  エリズリーナという花だそうです,トイレストップ。,このあと山道に入って行きます,車窓から エリズリーナの花があちこちに。  オレンジ、黄色、ピンクの3種類あるそうで、葉はあとに出てくるので、ピンクのものは桜のような感じになるかも知れませんね,落ちている花もきれいです,サンタエレナの街で四駆のルートバンに分乗。 モンテベルデへ 国立ではなく私立の公園です,モンテベルデで腹ごしらえ周りの花の写真を。  国立私立を会わせて、125以上の自然保護地区があります,国土の35%が自然保護地区ということだそうです,ジャングルウォーキングスタートです,うっそうと茂った木の中を目をこらし耳をそばだてて歩きます,,,低いところでは日が当たらないので、高い木の枝に着生するランの一種,着生→とりつく相手に害を与えない  共生→相手に害を与えないが日が当たらなくなり死ぬ場合もある。  寄生→相手の養分を横取りして殺す・・・ 言葉の意味でした,これも着生ランです,,,,,吊り橋は自分が鳥になった視点で森を見るために、高さ5〜70mの位置に作られました。 インディジョーンズの世界に入ったような気,,結局、鳥はケツァルの声だけ、動物はムカデの一種を見ただけでした。  人間滑車(ジャングルを上から見るため)の設備が大きな音を・・・。 これじゃ動物たちも隠れてしまいますよね〜,,,結局、コスタリカは長期滞在で、沢山の自然公園を歩かないと、満足な自然観察が出来ないと言うことを感じました。 個人旅行がしたい・・・・,最後にハミングバードガ,「飛ぶ宝石」 最小3gしかないそうです。,羽ばたきが激しく、カロリーを大量に・・ いつも食欲が・・・,心臓は1分間に3600回の脈拍。 ,その分短命なのだそうです。 ,紫、エメラルドグリーン、ブルーなどカラフルに種類があります,野生のランが咲いていました。   すごく小さい花です このあとホテルへ向かいますフランツィス・クレーターの観光が今日のメインになります,ホテルです 部屋の前の溝に、葉切り蟻が長い列を作ってせっせと切り取った葉を運んでいました。,部屋からの景色です,丘の上に立つロッジ式ホテルの各部屋,翌朝、 曇り空の中ガタガタ道をのろのろ・・・・,車窓からです,運転手がきれいな鳥を発見   自然公園よりもむしろ山道の方が動物を見ることが出来るのかも・・・,パンアメリカンハイウェイに出てホッとする。  トイレストップです,,何処へ行っても果物が美味しく豊富です。   車窓から,ポアス火山国立公園へ   また山道を・・・,オレンジのエリズリーナ,7つある火口のうち3つが活動中。 そのうちの一つフランツィス・クレーターを見学です,火口までの道ばたには沢山の花が咲いていました,,,,,,火口に着いたが霧に包まれ全くミルク色!?・・・ と思いきや一陣の風で一瞬途切れ、クレーターが顔を出しました。,美しいミルキーブルーの湖面と荒々しいクレーターの壁です。,ガスが噴出する勢いはかなり激しいです。,,,,,ほんの一瞬しか見えないということで、シャッターをやたらに押しすぎたようです。 これでも三分の一だけのUPです。,道ばたにある噴火口説明の看板 このあとまた見えなくなってしまった。   気まぐれ噴火口・・♪,バスへ戻る間についまた花の写真を・・・・,,,この葉っぱ、デカ〜〜〜イ!!,,,,,,,,このあと、サン・ホセへ,サン・ホセ国立劇場へ,大理石はイタリアから取り寄せ、画師もイタリアやスペインから呼び寄せたとか・・・,総工費25億円・・・ コーヒー税でまかなったそうです,とにかく豪華です,,,,,番外観光、サンホセ博物館です。 軍隊を廃止するまでは軍隊と警察の建物でした。,,博物館入り口付近,サンホセ博物館 昔は鳥葬で遺体をこの上に並べ、骨になるとひっくり返して台の上に並べて埋めたそうです,葬祭の飾りらしい。   両サイドは鳥に人が突っつかれている絵柄が池くられています,,出土品   国家形成はされていなかったが、かなり発達した文明だったのがよく分ります,,なんのために作られたのか、砲弾にしては大きさがマチマチです。  鉄器がない頃のものだそうなのですが・・・,コスタリカのノーベル賞受賞者の賞状が展示されていました。,ノーベル平和賞受賞者のメダルです,チョウチョ園へ,,,トリップコロビシへ到着。  コスタリカの国旗です,ホテル,近代的なビルです 夕食は日本料理懐石もどきの夕飯でした,翌朝 パナマの国境へ向けて出発です。,ロス・チェスピリトス村のドライブインでトイレ休憩。,標高が高いので、この旅行では珍しく肌寒い・・・,パナマとの国境へ向けて走ります ヴィラ・ミルズの最高地点でフォトストップ 霧で視界があまりよくなく、周りに咲いている花を・・・,,,,,丘の上のレストラン ルナ・シェーナでブッフェランチ。 コーヒーの小さな白い花が咲いていました。   咲いている期間は一週間だけだそうです。  グッドタイミン,こちらではオレンジ色の幹の竹が多いです,四駆で登ってきて、眼下の風景を見ながらの食事です,,食後周囲を散策 レストランの周りにはきれいな花が沢山,,ショウガの一種だそうですが・・・,,,,,,,,,,,,予定より早めなので、サン・イシドロの街のバスターミナルにてフリータイムです,外国の旅行者は全くいなく、かなり注目されたが、散策が楽しい,,ここにはどういう訳か女性ばかり・・・,中央市場が隣接、覗いてみます,やはり果物屋さんが一番目に付きますね〜。,素敵な女性がいると、知らず知らずにシャッターを押している、だれかさん,ついでに撮りました,みんなラフな格好でリラックスしているようです。 たぶん仕事ではなく長距離バスなのでしょう。,再びパナマを目指して出発,ブエノスアイレス郊外のドライブインでトイレストップ,,道ばた美可愛い花が咲いていました,この旅行で、初めて体験するスコールの中、国境 パソ・カノアスへ到着です,国境の風景は、色々な人たちが行き交うので、結構楽しめるんです。,さて次回は中米最後の訪問国パナマになります。   フ〜パナマへ入国。 バスを降りずにガイドと添乗員が出入国の手続きをしてくれて、雨でそのまま出発。 一番近くの食堂でトイレストップです,レストランの庭の花,,あとは何処も寄らず一路ホテルへ。 車窓か,建市記念日でお祭り中のダビッド市、ナショナルホテル着。,夜遅く到着のため、外からの写真一枚だけ・・・,朝、ホテルの窓から、 道路をクナ族の人が歩いていました。   ここでパナマの事を・・・ 16世紀初期、スペイン人が中米を征服していた頃・・・,クナ族が魚の豊富な場所を「パナマ」と呼んでいました(他に説があり)。  朝の散歩を兼ねて市内観光。,9つの州(県)と一つの準州からなっています。,,クナ族の露店。  ,やはりカラフルですね〜。    1543年バルボアが国土を横断、太平洋へ到達後、スペインの軍事拠点として重要視される。,色を見て皆欲しそうです。 でもだれも手を出せなかった。,日本人が着こなすのはかなり難しいからのようです。,小さいが一応大聖堂。,鐘楼のみが16世紀のオリジナルだそうだ。,ダビッドは人口11.8万人、パナマシティ、コロンに次ぐ第3の都市として栄えています。,最古の銀行だそうです,屋根瓦、型を取るのに道具がなくて、女性の太モモを型の変わりに作ったそうです。♪  一つ一つ想像しながら楽しんだりしていません!!!,ダビッドシティの散策です,,,ホテルへ戻り、バスに乗ってコロナドの街へ向かいますバスに乗ってコロナドの街へ,サンチャゴのドライブインでトイレストップです,,サンチャゴのドライブイン,コロナドのシーサイドレストランで昼食を,,昼食後、ビーチを散策します。,,太平洋パナマ湾望むプリプ・バビオータ海岸,砂浜はきらきら光る黒砂,,,心なしか寄せる波も鳥さんも黒く感じる。,,,ここへ着いてから急にむし暑くなり、泳いでいる人たちが羨ましかった。,,,さぁ、パナマシティに向けて出,パンアメリカンハイウェイの一部、ラス・アメリカス(アメリカ橋)を渡りパナマシティへ 廃止の上の車窓から,今渡った、ラス・アメリカスです,パナマシティに入りました。 先ずはミラ・フローレス運河庁ですバスに乗ってコロナドの街へ,サンチャゴのドライブインでトイレストップです,,サンチャゴのドライブイン,コロナドのシーサイドレストランで昼食を,,昼食後、ビーチを散策します。,,太平洋パナマ湾望むプリプ・バビオータ海岸,砂浜はきらきら光る黒砂,,,心なしか寄せる波も鳥さんも黒く感じる。,,,ここへ着いてから急にむし暑くなり、泳いでいる人たちが羨ましかった。,,,さぁ、パナマシティに向けて出,パンアメリカンハイウェイの一部、ラス・アメリカス(アメリカ橋)を渡りパナマシティへ 廃止の上の車窓から,今渡った、ラス・アメリカスです,パナマシティに入りました。 先ずはミラ・フローレス運河庁ですパナマシティ旧市街散策。   かなりすごい!!,貧しい人々の住居区と隣接しています,,サンホセ教会。  見事な黄金の祭壇です  英海賊襲撃の際は上に色々塗り込めてこれを隠しました,ステンドガラスや像も大変きれい,,,姉弟でしょうか、とてもほほえましい。,治安が悪いということで自転車に乗ったポリスが付いてくれています。,足を止めないように言われたが、結構みんな明るい顔なんです,修復工事済みでそっけなくなった、旧運河建設時代、初のホテルです,足を止めたり話しかけると危険だと言われる。 ちょっと寂しいです,,世界遺産に申請しているというのですが、片っ端から新築していて風情がなくなってきていました。 本当に申請が通るのだろうか,,ゲバラだ!!,サンフランシスコ教会跡,広場からのラス・アメリカス(アメリカ橋)を眺める。 全長1655m、パナマ運河の上に架かります,フランス広場,フランス大使館、旧刑務所、旧裁判所などが並んで,プロムナードへ,フランスを象徴するオベリスクです,パナマシティの新市街の摩天楼,,プロムナードから潮の引いたパナマ湾を眺めるカップル,カップル2,夕暮れに 気持ちいい散歩になりました。,,,,街並みを抜けてバスへ戻ります,,,,,大聖堂  なんで教会が迷彩色をしてるの?,,また旧市街を通り、バスへ。   皆早足で・・・ でも怖さは少しも感じないのだけど・・・,広場では和やかな家族の語り合い・・・・,,中米最終日。   集合写真を取り忘れたと言うことで、旧市街の遺跡(番外編)へ  パナマ・ビエホ遺跡    鐘楼の前で記念撮影を・,1519年スペイン人が城壁を築いたところです。,オープン前なのに中に入れてくれました。 ラッキー!,,パナマ湾に伸びるサウスハイウェイをひたすら空港へ ,朝日が雲間からわずかに日が当たっています。,帰国の日に空港へバスの中というのは、・・・ 今日は、特に朝早くということで、いつもにぎやかなのにだれも無口で、声一つ聞こえません。,トクメン空港へ,ヒューストン到着です。 また入国審査で2度目のいじめにあいました。  いい加減うんざり。 着陸後、空港を出るまで2時間も・・・,USAに対しての印象がどんどん悪くなってきました。  いつか国立公園巡りをしたいのですが、気持ちが萎えてしまいます。,夕食はオプションで、ショッピングモールでたべました,,さむそ〜!,,素晴らしい青い空


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