ティカール遺跡 

全盛期であった8世紀には、6万人にも及ぶ人口を要する巨大都市の中心に、赤く彩られたピラミッド群がかまえられていた。
そこには800年間に渡る33人の王の歴史が記録されている。
ティカールでは紀元1世紀には早くも王朝が成立ており、先古典記の終わりに起こった相次ぐセンターの崩壊を生き延びて、それ以降、ここが古典記低地マヤの新しい伝統の中心地となった。
4世紀の終わり頃には、メソアメリカの他の地域と同様ティカールもメキシコの巨大都市国家、ティオティワカンの南下により、メキシコ高原の伝統との融合を経てマヤ地域における優位を確立した。
しかし6世紀にはその地からも弱体化し、戦争での敗北と侵略を被り、130年にも及ぶ暗黒の時代を経験する。
その後7世紀終わりには復興し、それから150年後の古典記文明全体の崩壊にいたるまで、マヤ地域において再び重要な地位を占めることになる。
なおマヤ文明崩壊の原因説は色々と出ていたが、最近では戦争による没落と、やせた土地による作物飢饉でマヤの人々が都市を捨ててしまった、という説が有力となっているようだ。
今ではマヤ文字の解明が60%近くまでされているということです。

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