海外編
菜の花とメコンを行く
目的は
@昆明で雄大で広大な棚田と菜の花畑、そして少数民族を、
Aラオスで知られる明るく優しい人々に接する
でした。
しかし、今年のアジア南部の異常気象で、昆明はまるで真冬の裏日本の様相、しかも毎日、雪か雨、霧も重なり視界がほとんどない状態。
持参した、たった一枚の上着の下に何枚も重ね着で過ごす結果になったのでした。
さて旅行記を始めたいと思います
@菜ノ花は・・・
A棚田と少数民族
Bラオスの国境へ
Cラオス北部
D北部ウドンサイ
Eルアンパバン@
FルアンパバンA
GルアンパバンB
Hビエンチャン
Iパクセ@市場と学校
JパクセAワット・プー
KパクセB素晴らしきメコンの風景
LパクセCコーンの滝
M帰国
Nラオスの花
第1日目2月17日(日) 成田6度 晴れ
○成田→バンコク
15:15 成田第1ターミナル南ウイング集合
18:00 タイ航空677便にて出発(出発予定時刻17:15)・機材到着遅れのため
23:00 バンコク着(到着予定時刻22:15) 入出国カード・必要→入国手続はかなり時間が掛かった,00:05 バンコクのホテルからの迎えを待つ
00:15 空港発 00:30 スワンナプーム グランドレジデンスホテル着<BR>第2日目2月18日(月)晴れ 朝26℃ バンコク→昆明→羅平 220km
08:30 ホテル発 08:40 空港着 11:10 タイ航空612便にて昆明へ出発(出発予定時刻10:55),14:35 昆明着(到着予定時刻14:05) 14:35〜15:00 入国手続き 健康カード・税関申告書の記入不要 新しい入国カードの記入→入国手続き 昆明13度曇りで寒い
23人乗りのマイクロバス(TOYOTA)に6人でほかに現地ガイドと運転手,15:00 羅平に向けて空港発 16:20〜16:40 石林の写真ストップ
目的地への通り道にあるため車を降りたところだけで撮影です,今年は異常気象による寒波で、3日前昆明と石林の高速道路が凍結のために閉鎖されたそうです,ここで雲南省の概況を
面積 39.4万?(日本より若干大きい)森林率52% 山94% 人口4300万人 三分の一は少数民族(中国で最も多い省) 25の民族
雲南省は76m〜6740mまでの標高差がありその差6664m 立体気候,中国の5Aクラスの観光地は今ではバスが園内に入れないで電気カートで移動するようになっています
入場料も最近非常に値上がりしているとのこと
たとえば雲南省では、玉龍雪山190元、麗江古城80元(管理費)、石林140元,16:40 石林を出発
石林→羅平まで立派な一級道路でこの道は貴州省の興義まで続いています
途中霧で視界がとても悪かった,19:15〜20:45 外のレストランで鍋の夕食,寒くて火鉢?の周りに皆集まってしまいました
中国料理で使われる油の値段は胡桃、ピーナッツ、ナタネの順で安くなります。混合のものも多い。,20:50 ホテル着(標高1375m)?源(シンゲン)賓館 3星,第3日目2月19日(火)小雨・霧 羅平朝2〜3度 非常に寒い 羅平→元陽 388km
08:25 ホテル発
08:45〜09:40 水牛車に乗り菜の花畑の見学(出発より13km),寒いので水牛車内には火鉢が置かれていました
今年は40〜50年ぶりの寒波だそうで・・ついていません (;´д` ) トホホ,今年の開花は早かったがその後、雪と氷で花がしぼんでしまったのだそうです,1ha=15ムー 菜の花は400元/1ムー程度の収入でこの農家は5ムーの畑?,水牛車5元×8人=40元でした,このあと近くの山に登り山の向こうまで続く広大な菜の花畑を撮る予定でしたがこんな状況で残念ながら断念,牛車を引くお姉さんが家で作って持参したお持ちを火鉢で焼いてごちそうしてくれました
寒かったので本当に美味かった〜,菜ノ花の栽培と同時にその花を利用して養蜂もしています,10:00 ハチミツを購入後元陽へ向けて出発,10:15〜10:25 菜の花段々畑の写真ストップ(出発より35km),10:35〜10:38 おもしろい形の菜の花段々畑でまたまた写真ストップ(出発より35km) 新道は高速道路みたいな感じで車を止めにくいのを無理にお願いしました,道端に咲いていました。スイカの原種かと思ったらナス科の植物とのこと,2:40〜12:50 菜の花の写真ストップ(弥勒) 今回、菜の花が最もきれいだった場所です,弥勒=布袋様 紅河たばことワインが有名,標高が下がって霧も薄れてきたため、なんとかきれいな菜の花を撮ることが出来ました,,,13:05〜14:05 弥勒の食堂で昼食四川菜府レストラン ,雲南省の食堂はこのように並べてある食材をお客様が指定して・・・,こちらで料理してもらう形式です。 若い女性がオーナー、姉妹で経営、従業員は旧正月のために故郷に戻っているそうです,雲南省は有名な野菜栽培の土地柄 農薬も使わないそうで新鮮 とても美味しかった,食後はずっとバス移動、元陽の旧市街近くなると、いろは坂が続く,16:55〜17:00 道路沿いの店でポンカンを購入 19:15 「雲梯大酒店」3星ホテル着 (出発より388km)(標高1500m) 霧で何も見えず 本日の元陽は4〜12度
・元陽の街は坂の街 民族衣装を着たハニ族やイ族も多い 名前は新街だが、旧市街 新しい街は南沙といいます曇り時々小雨 元陽→緑春 115km 06:00 ホテル発
07:05〜08:05 多依村の棚田で日の出を待つ(出発より27km)
沢山の観光客がカメラの放列を作っているのですが、ご覧のように霧で何も見えません。,多依村の村人がゆで卵を売っていますが、それ以外には観光客からの収入は全くなく、せっかくの観光地中国政府はもう少し住民のために考えてあげて欲しい気がします
どうも漢民族だけのことしか考えられていない気がします,08:30〜08:35 勝村郷、?達で棚田の写真ストップしたがやはり霧で全く見られずがっくり
08:40〜09:05 勝村郷の源春小吃店にて朝食・米で作った麺、米線(べいせん)です,09:35〜10:40 ハニ族の村の見学(出発より48km),棚田のあぜ道を歩きます
元陽の人口20万人 97.8%少数民族
イ族の服装は派手 ハニ族の服装は地味 民族の各種族によっても服装が異なる,霧の中に村が浮かび上がってきました,?口村→ハニ族の観光村 きのこのような家が特徴です ,おばあさんが織物をしていました,,街の広場へ,お偉いさんが来るらしく踊りの練習中,村の資料館 私たちの車へ戻るのは地元の車を使用、1人あたり5元,11:05〜11:10 老虎嘴(別名?品)の展望台の見学 やはり霧のため棚田見えず・ここにいた女の子の案内で、「棚田が見える」という場所に一緒に同行してもらいました,11:25〜11:30 棚田の見学・うっすらと棚田が見えました,撮っているうちにいくらか霧がとれてきました,,道路上に民族衣装を着た女の子の一団が・・
車を停めると、お酒を振る舞われ、「本日の4時からお祭りがあるので,残念ながら4時までは、いられないのですが、昼食なら・・・」
「それでも結構です。まだお祭りの準備はできていませんが、私の家(村唯一の高校生)で食べていってください。」,この人たちの衣装は雄鶏を意味していて、この飾りは鶏冠(とさか)の部分,おしりの部分の飾りは雄鳥の尻尾,村までは泥道を5分と言う話でしたが・・・,10分たってもまだ着きません,数人の女の子たちが、傘を差したり、手を引いたりしてくれました,途中での棚田です,本日はこの村(解放村といいます)の祭龍と呼ばれる祭りで旧正の明けた最初の牛の日に開かれるとのこと,15分ぐらい歩いたでしょうか、村らしき雰囲気と子供たちの姿が・・
やっとのことで村に到着です,この子がその村唯一の高校生です,高校生のいとこの娘,炊事場ではママさんが料理を作り・・・,そのままさんにも被写体になってもらいました,何とも狐につままれたような歓迎の嵐がはじまりました,村長さんまでやってきて、酒を振る舞ってくれるは、今日のお祭りで用意したらしい地鶏を振る舞ってくれたり・・,農薬を撒こうにも金がないので、食料は安全と現地ガイドと運転手が話していました,私たちと一緒に食事をする彼女に「どうして、見ず知らずの人をこんなに歓迎してくれるの?」
「だって、お祭りは大勢いた方が楽しいじゃない。」・・・
それはそうだけど・・,一年間の学費は3000元とのこと 村は貧しいので出稼ぎに出る女の子が多いそうです。
1人は杭州へ・・
今日はお祭りで帰省中,これからはじまるお祭りの準備、食料にする動物たちの解体です
村人の投票で選ばれた村長さんの説明では解放村の人口350人、70戸,車へ戻る途中、これから始まるお祭りの芸子たちとすれ違いました。,食事の料金は取らないと言うことなので、皆で集め高校生の学費の一部に800元を奨学金として渡すことに・・
一生懸命勉強します・・と感激、お別れの時には涙を流していました,楽しい時間のあと出発,14:35〜14:40 棚田の写真ストップ,,・標高があがると霧で視界が悪くなる→道は上下の繰り返しです,世界一といわれる元陽の棚田は霧で見ることは出来ませんでしたが、ハニ族とイ族の住んでいるところには必ず棚田があります,10年ほど前、フランス人の写真家が紹介して元陽の棚田が有名に 日本人は3年ほど前から観光に来るようになりました,棚田は11〜3月まで水を張るので、最も景色がいい,画面中央の棚屋は畑にある見張り小屋、あばらや 見張り小屋は田棚とも言う,4月中旬〜下旬 田植え 9月収穫,見ることは出来なかったけど、元陽の棚田は1万ヘクタールだそうです,何度も写真ストップを繰り返し撮りました,,,,,山を越え、突然街が開けたところのホテルへ
17:50 ホテル着(出発より157km)(標高1600m,19:30〜 近くのレストランで夕食,このメンバーでの旅行は出来るだけホテルではなく、街の食堂で食べることにしています 曇り 緑春→?侖(モンロン) 343km
08:15 ホテル発
09:25〜 土砂崩れ地域を通る(標高1000m)このあたりは紅河ハニ族イ族自治州 07年10月頃に大雨で道が寸断されたので、運転手が通れるかどうか心配していました,09:35〜09:40 牛孔にて棚田の写真ストップ(標高1015m)
高度が下がると霧が取れてくるようです,10:00〜10:20 山と棚田の写真ストップ(標高1205m) ,中国では事故があっても10名以下は新聞にも掲載されないし、行方不明は発表しないので、正確な人数は把握できないとのことでした,,ということでもしここで私たちが事故で死ぬようなことがあっても、そのまま日本でも解らなくなることもあり得るんですよね〜,それにしても水の張った棚田はきれいでした
ここで棚田は見納めになります,10:35〜10:40 雲海と山の写真ストップ(標高1535m)
見えなかった棚田の時はあの様な雲海の中にいたんでしょうね,11:10〜 大風Y口通過・哀牢山脈 峠は1800m
途中崖崩れ地域があり、雨が続いたので、通行できるか心配したが、マイクロのため問題なく通過,11:50〜12:05 大黒山の街の散策(出発より103km)(標高475m),市場を散策することにしました,この辺りはハニ族の街になります,,,ほとんどの人たちが民族衣装を纏っていました,,,皆さん、なかなかこちらへ顔を向けてくれませんが、写真を撮られることには、いやな顔一つせずにこやかな人ばかりでした,12:15〜 未舗装の道に,土砂崩れしそうで怖い感じの道が続きます
ゴムの林、ベンガルヤハズカズラ(紫の花)が見え出す,12:35 李仙河掛かる橋を渡り(標高380m)、普?(プーアール)市江城ハニ族イ族自治県に入ります,3:35 嘉禾という街で昼食を撮ることに・・・(出発より131km)(標高1245m),昼食の前に街を少し歩いてみます
若者は街に出稼ぎ、子供と老人だけが村に住むとのこと。親子の問題はどのように解決するのでしょうか,ハニ族でも先ほどの街と違い、部族によって帽子・服装が異なるようでした,嘉禾の旅社飯店にて昼食,,チャーハンです,16:25〜16:30 茶畑の写真ストップ,この辺りは有名なプーアール茶の産地 ,春と秋に収穫するそうです,車窓より
16:40〜 進路を南に(出発より198km)(標高940m)・再び道路は未舗装に,西双版納州に入り・・・
16:50〜16:55 青空のトイレ休憩,17:35 タイ族の村を通ります。タイの人たちはこの辺りの民族が移動していったのだそうです,17:35〜17:45 力哨披タイ族村の見学(出発より218km) (標高850m)することにしました,山の坂に、タイ族独特の屋根を持った部落が建っています,タイ族の人たちは棚田を作りません,雲南省にタイ族は120万人います,お年寄りのおばあちゃんが私たちに興味を示して、それとなく後をついてきます,派手な色の衣装が結構似合います ,大きく三種類の支族に分かれるが、西双版納州は水タイが多いとのこと,タイ族の独特な髪型です,18:10〜18:20 曼灘タイ族村の遠景写真ストップ(出発より226km),屋根の形でタイ族と言うことがよく分かります,食事時なのかどの家の屋根の隙間からも、煙が立ち上っていました,21:50〜22:50 ?醒にて夕食・?醒では鉄鉱石が取れる・中国の共産党員8,500万人
23:30 ホテル着(標高570m) (出発より343km) 熱帯植物園賓館 3星,第6日目2月22日(金) 晴れ 昼間25度
?侖(モンロン)→国境→ウドンサイ 150km+120km
08:30 ホテル発
国境に近くなってゴムの木の林が多くなってきました,10:20〜10:30 ゴム林の写真ストップ
1トン=1〜2万元→この農家で年間2〜3トンの収量,現在はかなり高値で取引されているそうです
木を削って出てくる樹液がゴムになります,車窓より・・・国境の町がちかずいてきました,11:15〜11:25 モンラ通過(標高600m) (出発より94km)
この数日立ち寄った街からすると、あり得ないような垢抜けた街です・モンラ県はお茶のルーツ タンチャ(固めたお茶) プーアール茶 昔は西南シルクロード→今は茶馬古道と呼びます,やはり国境では色々な商売が成り立つのでしょう,国境着(今日ここまで出発より152km)
突き当たりがイミグレイションです
ここで中国のガイド、運転手とお別れ・・
リヤカーで数十mほど荷物を運んでもらい、ラオスの車に移動,出国手続き→簡単(パスポートに添付してある出国カードを提出するだけ)国境付近の写真撮影は可能
中国、ラオス間の緩衝地帯に国境の碑があります,12:15 途中の国境碑で写真
12:25〜12:40 入国手続き(ボーテン国境) 曇り 緑春→?侖(モンロン) 343km
08:15 ホテル発
09:25〜 土砂崩れ地域を通る(標高1000m)このあたりは紅河ハニ族イ族自治州 07年10月頃に大雨で道が寸断されたので、運転手が通れるかどうか心配していました,09:35〜09:40 牛孔にて棚田の写真ストップ(標高1015m)
高度が下がると霧が取れてくるようです,10:00〜10:20 山と棚田の写真ストップ(標高1205m) ,中国では事故があっても10名以下は新聞にも掲載されないし、行方不明は発表しないので、正確な人数は把握できないとのことでした,,ということでもしここで私たちが事故で死ぬようなことがあっても、そのまま日本でも解らなくなることもあり得るんですよね〜,それにしても水の張った棚田はきれいでした
ここで棚田は見納めになります,10:35〜10:40 雲海と山の写真ストップ(標高1535m)
見えなかった棚田の時はあの様な雲海の中にいたんでしょうね,11:10〜 大風Y口通過・哀牢山脈 峠は1800m
途中崖崩れ地域があり、雨が続いたので、通行できるか心配したが、マイクロのため問題なく通過,11:50〜12:05 大黒山の街の散策(出発より103km)(標高475m),市場を散策することにしました,この辺りはハニ族の街になります,,,ほとんどの人たちが民族衣装を纏っていました,,,皆さん、なかなかこちらへ顔を向けてくれませんが、写真を撮られることには、いやな顔一つせずにこやかな人ばかりでした,12:15〜 未舗装の道に,土砂崩れしそうで怖い感じの道が続きます
ゴムの林、ベンガルヤハズカズラ(紫の花)が見え出す,12:35 李仙河掛かる橋を渡り(標高380m)、普?(プーアール)市江城ハニ族イ族自治県に入ります,3:35 嘉禾という街で昼食を撮ることに・・・(出発より131km)(標高1245m),昼食の前に街を少し歩いてみます
若者は街に出稼ぎ、子供と老人だけが村に住むとのこと。親子の問題はどのように解決するのでしょうか,ハニ族でも先ほどの街と違い、部族によって帽子・服装が異なるようでした,嘉禾の旅社飯店にて昼食,,チャーハンです,16:25〜16:30 茶畑の写真ストップ,この辺りは有名なプーアール茶の産地 ,春と秋に収穫するそうです,車窓より
16:40〜 進路を南に(出発より198km)(標高940m)・再び道路は未舗装に,西双版納州に入り・・・
16:50〜16:55 青空のトイレ休憩,17:35 タイ族の村を通ります。タイの人たちはこの辺りの民族が移動していったのだそうです,17:35〜17:45 力哨披タイ族村の見学(出発より218km) (標高850m)することにしました,山の坂に、タイ族独特の屋根を持った部落が建っています,タイ族の人たちは棚田を作りません,雲南省にタイ族は120万人います,お年寄りのおばあちゃんが私たちに興味を示して、それとなく後をついてきます,派手な色の衣装が結構似合います ,大きく三種類の支族に分かれるが、西双版納州は水タイが多いとのこと,タイ族の独特な髪型です,18:10〜18:20 曼灘タイ族村の遠景写真ストップ(出発より226km),屋根の形でタイ族と言うことがよく分かります,食事時なのかどの家の屋根の隙間からも、煙が立ち上っていました,21:50〜22:50 ?醒にて夕食・?醒では鉄鉱石が取れる・中国の共産党員8,500万人
23:30 ホテル着(標高570m) (出発より343km) 熱帯植物園賓館 3星,第6日目2月22日(金) 晴れ 昼間25度
?侖(モンロン)→国境→ウドンサイ 150km+120km
08:30 ホテル発
国境に近くなってゴムの木の林が多くなってきました,10:20〜10:30 ゴム林の写真ストップ
1トン=1〜2万元→この農家で年間2〜3トンの収量,現在はかなり高値で取引されているそうです
木を削って出てくる樹液がゴムになります,車窓より・・・国境の町がちかずいてきました,11:15〜11:25 モンラ通過(標高600m) (出発より94km)
この数日立ち寄った街からすると、あり得ないような垢抜けた街です・モンラ県はお茶のルーツ タンチャ(固めたお茶) プーアール茶 昔は西南シルクロード→今は茶馬古道と呼びます,やはり国境では色々な商売が成り立つのでしょう,国境着(今日ここまで出発より152km)
突き当たりがイミグレイションです
ここで中国のガイド、運転手とお別れ・・
リヤカーで数十mほど荷物を運んでもらい、ラオスの車に移動,出国手続き→簡単(パスポートに添付してある出国カードを提出するだけ)国境付近の写真撮影は可能
中国、ラオス間の緩衝地帯に国境の碑があります,12:15 途中の国境碑で写真
12:25〜12:40 入国手続き(ボーテン国境)晴れ 朝涼しい 昼間28℃
ウドンサイ→ルアンパバン 200km,朝早くホテル周辺を散歩中托鉢の坊さんに会いました。,近隣の人たちが餅米を持ち寄り坊さんの鉢に入れます,その後で並んでお経をあげる,住民は祖先に向かって一心に合掌します,08:15 霧の中、ルアンパバンに向かってホテルを出発,日が射してきてサンバイザーをおろしたら、裏側にお坊さんの絵が・・・ 交通事故除けのお守りということのようです,車窓より ウドンサイの人口30万人
中国の国境からナトィ、ウドンサイ、ルワンパパンを通過し、ビエンチャンから南部へ延びるラオスの大動脈、国道13号線,高床式の家
今日は終日、道路は上下を繰り返す(高いところでも1200m),車窓から
ラオスの国旗が・・,ラオス北部の標高の比較的低い「低地ラオ」の典型的な高床式の家です,10:05〜10:25 通りすがりにあった市場の見学をすることに,まだ早いのかあまり人がいなかったが・・,ガソリンを売っているお店です,ちらほらお客さんが増えてきました,,金物屋(?)さんにかなりの人たちが集まっています,世界中どこの国でも、少数民族の人たちの色物の着こなしが本当に素晴らしいでんすよね〜,,子供が子守を請け負い分担するのも当たり前のこと・・・,10:30〜11:05 ソンチャイ村の見学(標高1255m),道沿いのモン族の村,モン族はミャオ(苗)族とも呼ばれるが、この呼称は蔑視の意味が含まれるので、自分達ではモンと呼んでいます,家の中を見せてもらいました
仏壇らしいです,大きく分けた分類の種族としてはこの村は「高地ラオ」,おとなしく控えめな人々です,家は低床式,冬は寒いので高地ラオでは低床式になります,村全体が坂の上に出来ていて一番上まで歩きます,のんびりとしてとても幸せそうですが・・・
結局は食べられちゃうのかな〜,奥の一番上まで行きます,だいぶ登ってきました,村が見渡せます,,子供たちが後を追いかけて私たちに付いてきます,カメラを向けると身仕舞いを正し、こちらを見てくれます,,液晶画面を見せると皆声を上げて喜んでくれるのですが・・
残念ながらプリンターがなくて・・・,一番高いところへ来ました,,低床型の家,,,,首に悪魔の形のお守りをかけて「悪魔除け」ということだそうです,,村全体で使う「石臼」,一夫多妻制ですがここのご主人はまだ奥様が一人(若いから?),おばあちゃんと孫
ここのご主人は14才で結婚、15才で子供を生んだそうです,再び出発,11:10〜11:15 トイレ休憩(標高1135m),12:00〜13:05 パックモンのパソラオレストランにて昼食(標高370m),例によって美味しい餅米,バナナの皮で包んだ魚の卵・筍・川海苔の蒸し物 ,卵と川えびの炒め物、,卵と川えびの炒め物、,最後にフルーツ 特にマンゴが熟していてサイコー!,これは店においてあった品物ですが、日本製が人気があるということで、日本語で書かれた製品
スプーン印は日本からの輸入品らしい,おいしい」という名前の現地の株式会社がこちらでは有名だそうです,これも日本製ではないらしい
日本のわさびが流行っているそうです13:05 バス発
15:05〜15:55 紙漉き工場・織物工場の見学
ココナツ椰子の苗です,紙すきの原料となる木
ここまでの3時間に車内で聞いたお話を・・
ラオスの学校 ◯小学校義務教育5年生 中学校6年生 大学6年生 昨年から大学5年から6年へ,木の繊維を叩きます
◯小学校は義務→町では100%、山でも90%の就学率 中学には70%、大学には30%が進学,紙漉 日本の紙すきとは少し異なる
◯学校の就学時間 8:00〜12:00 13:00〜16:00・17:00 近い子は家で食事,乾燥
ラオスの土地 ◯土地は基本的には個人所有 1990年以降、土地は証明書さえあれば、元の所有者に返還→自由に売買ができる→但し、国が管理,模様をあしらったもの
「ラオスは、飢えている人はいますか?」 「米は自給自足。おかずは最低でもこうもり、ねずみ、蛇がいっぱいいるし、草もたくさんあるから大丈夫」,加工する
紙すきの工場は、ルアンパバンではここ4軒だけです,,色物の紙 やはり日本とは異なりますね,色物の紙の加工品です
ここで作ったものほとんどがルアンパバン市内で売られているそうです。,紙漉工場のすぐ傍にある織物工場の見学
まゆ,工場・・・まだ原始的器具が全盛です,素晴らしい製品の一部
2年前は「掘っ立て小屋」のようだった工場が今では素晴らしい施設になっていました。 観光地化してから凄い利益を上げているようです。,16:10 ホテル着 ・ホテルの部屋にバスタブがないためチェックインしないでホテル発(標高310m)ルアンパバンの街へ
町の散策・刺繍マーケット経由ワット・マイへ,16:50〜17:20 ワット・マイの見学
お祭りのための競艇用ボート,1821年建立,ワット・マイ
ルアンパバン概況
人口34万人(03年)→現在45万人 信号なし 1995年に街全体が世界遺産に指定される。 かつては250もの寺院が現在は80程度。 メコン河とカーン河の合流点に街があります,ワット・マイ本堂入り口
ルアンパバン歴史
1353年に建国されたランサーン王国の首都として栄える。16世紀に入るとビエンチャンに遷都,本堂の扉に施されたラーマヤーナ
・18世紀には再び分裂ラオス、ルアンパバン王国の首都となる,ラーマヤーナ とても立体的です。 釈迦の説法図が有名
・18世紀1度中国に征服される(2〜3ヶ月程度),3回のお祈りをしますが、過去・現在・未来を意味するとのこと
・1975年まで王朝が続く,翡翠(ではない)色の仏像
・1990年代以降の開放政策により、再び街に活気がよみがえる,本堂仏像の裏側。 新しい大きな仏像が出来たので旧仏像が後ろに置かれています,町の散策しながらプーシーの丘へ,,刺繍マーケット,プーシーの丘の登り口、アイスキャンデー売りのおじさんが大きな声で・・ 戦後の日本を思い出します。たぶん「え〜・甘いアイスキャンデー〜♪」って言ってるかな?,登り口の階段で子供が売っている小物,ほとんどが中国製で買う気が起きません,17:20〜18:00 プーシーの丘の見学。 高さ150m、328段の階段。街が一望、ルアンパバンの町並みです,頂上にはアメリカ軍の高射砲とお母さんに連れられてきた地元の子供たち,海外の観光客たちのカメラに惜しげもなくモデルを努めます。親も子供たちもお金をくれとは言いいません。少数民族以外の中国人だったら・・・,本日の夕陽は雲に隠れ気味・・,瀾滄江(メコン川)へ太陽が沈みます,,,,明後日に見学を予定している王宮で美人数人が写真を撮っていました,丘へ登る前に見た、新しい銀行の開設式に(副首相も出席していたそうです)参加していたVIPさんたち?,気持ちよく被写体になってくれました,ラオスの人たちって本当に優しく温かい気持ちの持ち主が多いです,この間、ガイドに別のホテルを探してもらっていました,18:00〜18:50 ナイトマーケットにて自由行動後、街のレストランで夕食
魚のスープ 豚の唐揚げ 酢魚 天ぷら コンシンサイの炒め物,タイの観光客がとても多い。・昨年からナイトマーケットの場所が変わったそうです,ホテルが決まり、トゥクトゥクに載ってホテルへ,急遽泊まることになったマノラックホテル 本日は副首相が宿泊。連泊のはずでしたが翌日は満室だったので明日は同じ街の別のホテルになります第8日目2月24日(日) 晴れ 朝涼しい 昼間28℃
ルアンパバン滞在,早朝、ホテルの周りを散歩 ここでもホテルの前で托鉢が・・,ラオスの人々はとても信仰心が厚い,09:35 ホテル発
10:00 メコンクルーズへ(ワット・シェントーン前の船着き場),20人乗り程度のスローボートをチャーター(トイレ付き),乗る前にミカンを購入 5000キープ/kg,メコン河は40mの深さ。 乾期のこの時期は20m程度だそうです,刑務所 周りの畑を耕し自給自足をしています,11:20〜11:55 パーン・サーンハイ(酒造りの村)に上陸観光
船着き場でサツマイモのチップを焼きながら販売。香ばしくて美味しかった,酒造り工場 村自体が観光化されています,酒の原料の餅米を洗い・・,この瓶に入れて発酵させます,原始的な蒸留器です,蒸留されて出来てきたラオラオ,蒸留していないラオラオ(日本酒のよう) とても甘い,売られている製品群 おみやげにいくつか買い求めました,サソリ漬けのリキュール,こちらはコブラ漬け・・・(;^_^Aアセッ,観光化され、酒造りの店以外に織物の店が並ぶ,再びメコンクルーズ
12:25〜13:15 パークウー洞窟の見学,メコン河を遡ること30km、メコン河とウー河の合流地点の断崖絶壁にある,船着き場の目の前にある、この洞窟は「タムティン」,16世紀頃ランサーン王国の王が、洞窟を発見し、仏像を奉納。以降、毎年正月にお参りに来るようになる,一般の人々もまねをして仏像を奉納するように・,4000体の仏像があったが・・,18世紀中国軍(金の仏)、最近の観光客に盗まれ、現在は1500体ほど?,,「タムティン」洞窟の左側の階段を登るともう一つの洞窟「タムプン」が。 ,洞窟前にあるお腹の大きい釈迦像。もてすぎて修行にならないので、醜い姿にしてもらったそうです,金箔で貼り付けられた文字,お祭りなどに使われる龍神,洞窟の奥。こちらにもかわいらしい沢山の仏像が,船着き場に戻り、対岸にあるレストランへ行って昼食です,レストランから今見てきた洞窟を望む,メコン河とウー河の合流が、水温の差と流れの速さの差により川の色の境界がくっきり。,昼食はかなり豪華。 右下は川海苔 ラオス北部でだけ食べるそうです,市内へ戻ります 子供たちが売っている雀を賈って逃がしてあげると功徳になるとのこと。いくつ売れたか聞くと「全然」・・全員に飴を配ってあげました,15:45 船着き場着後その前にあるワット・シェントーンの見学,ここにも35〜40mの長さのお祭り用ボートが。,1560年建立のルアンパバンを代表する寺。その後、三回修復 1番最近の修復は54年です,本堂内。ラオスでは、お寺に入場する際は、すべて靴を脱ぎます 内部の写真は、ほとんどOK,本堂の壁には「生命の木(ガイドは黄金の木)」のモザイク,ここにあった生命の木が枯れたため絵にする→モザイク(色ガラス)は1954年に日本から輸入したそうです,,お坊さんが立っていると絵になります,手前の15kg仏像。持ち上げると願いが叶うという,,寺で使用されている金色はすべてペンキだそうです,1960年に執り行われたシーサワンヲンの葬儀で使用された霊柩車,街を散策しながら夕食へ。屋台で売られているラオスの五平餅?味は五平餅そのもの・・とても美味しかった,レストランの前がマーケット,そのマーケットでフルーツを買います。 これはドリアン,これはジャックフルーツ,レストランで中身を出してもらいました。左がジャックフルーツで右がドリアンどちらも最高!!,餅米から作るラオビールも美味しい、アルコールがだめな私でも2杯飲めました,ホテルへ戻る途中結婚式に出くわしました,子供連れの結婚式??,ラオスの結婚式はふつうでも1000人ぐらいの人が集まるそうです,有名人になると10000人の時もあるとか・・・凄い!,写真を撮らせていただいたお礼に気持ちだけ少しずつお祝いをおいてきました。 昨日と違うパラソルプランホテルへ ルアンパバン→ビエンチャン
06:20 ホテル発
06:30〜07:05 托鉢の見学
今まで見た托鉢は朝ホテルの前の散歩で見たものですが、今日は観光場所にもなっている托鉢を見に行きます,沢山の僧が集まっています,一定の時間がくると一斉に始まりました,ここではある程度観光化していて、観光客が地元の人たちから餅米を買い求め、托鉢の提供をしています,ここで托鉢について
托鉢は亡くなった先祖を弔うため、先祖にあげる気持ちで餅米を提供します,出家できるのは最低10才から・・・,もらった餅米を自分のお寺へ持ち帰ります
昼から翌日の5時まで食事は口にしないとのこと,今度は裏通りの観光客のいない道路へ来ました,餅米以外に、甘いものを入れてくれる場合もあるのですが、僧侶は要らないらしく、子供にあげていました,ラオスでは、20歳以上は一度出家をする人が多い。,食い扶持に困る親のため結婚前に曽呂になる場合が多いとのこと。眉も剃る,従って僧侶になるのは、貧しい家の子が多い,僕も欲しいワン!,大変長い列です。 曽呂は酒、妻帯は禁止だそうです,07:10〜07:55 托鉢の後そのまま朝市の見学です,これはなんだと思いますか?・・
実は蟻の卵なんです。 凄い食材ですね,野菜コーナー,大変なにぎわい・・・さすがルアンパバンの中心市,何でしょう?,,揚げ物,焼きバナナ,野生の鳥,コウモリです,これもわかりません,蘭の花,ミツバチの巣,各種動物の足,虫・・・ちょっと食べる気が失せますね〜,瀾滄江で捕れる魚(テラピア?),仏壇や仏像に捧げる花,朝市の中程にある食堂でフォー(餅米で作られた麺)を食べました,二人の姉妹で経営しています,好きなものをトッピングとして選ぶことが出来ます,食後も市場見学を続けます,蛇の「ぶつ切り」だ! 写真を撮っている間に売れてしまいました,ジャックフルーツですね,春巻きのようですがこのまま生で食べるようです。火を入れないものはちょっと怖い,たこ焼き風の食べ物。 たこ焼きよりはふわふわして柔らかいけど美味しかった,サツマイモを葉っぱに包んで焼いたもの,これは絶品でした〜!,魚と肉の串焼き・・・川魚はちょっと生臭いので敬遠,サボテンの実 ドラゴンフルーツ 味はあまりしないですね,プーシーの丘の下にある川に架かる橋で、お坊さんが渡るのを待ちかまえました,近くにはお寺があって僧がいます,この橋をお坊さんが渡ったら絵になると考えました,傘を差したお坊さんが来たけど渡らないで通り過ぎ〜〜,来た〜 ついにきた,絵になるー・・・かな? それともたいしたことない?皆さんいかがですか?,08:15〜09:05 王宮博物館の見学,1904年、フランスによって王宮として建設される。現在は博物館です。写真撮影はNO
各国から送られたプレゼント、王族が使用した家具や調度品が展示→フランスの傀儡王国だっため、すべてが質素なかんじでした,53kgの24金(90%、10%銀と銅)を使った83cmの黄金の仏像は、一時タイに取られたが返還される
エメラルド仏→15世紀にスリランカ→カンボジア→ラオスと渡ってきた,ランサン王国最後の王様の像
王宮内には、中国広西チワン族自治区で見られる蛙が付いた太鼓が陳列されている
ランサーン王国は象の国だったのに18世紀タイにたくさんの象が持って行かれ、現在は全国で200匹ぐらい,11:30 ホテル発
11:45 空港着,13:15 ラオス航空102便にてビエンチャンへ出発(出発予定時刻12:40),国際空港ターミナルは日本の援助で造られ、その記念碑です ビエンチャン着(到着予定時刻13:20)
14:15 空港発
●ビエンチャン人口 61万人 ビエンチャンの一番高いビル 14階建てのドンチャンホテル
・空港から友好橋まで26kmの道路は日本の援助 市内には32個の信号
14:30〜15:05 ホーン・パケオの見学,ホーン・パケオの見学
・1563年ビエンチャンに遷都する際、エメラルド仏・黄金仏を安置するために造られた寺,昔はエメラルド仏が安置されていたためにワット・パケオと呼ばれた,宝物は16Cにチェンライからラオス 18Cにラオスからバンコクに移されたらしい
タイの習慣らしくタイ人の観光客が金色の紙を貼り付けてしまって剥がせなくなってしまったとガイド・・,1779年に寺院は焼失→エメラルド仏はバンコクに
頭の突起がない仏像が多いのは、体内に宝物が保管してあったため、戦争の際に真っ先にねらわれたとのことです,黄金仏は返還され、ルアンパバンの王宮博物館にありました,フランス統治下で作られたフランス人をたたえるモニュメント
ラオスの人にとっては屈辱以外の何ものでもない・・,15:07〜15:30 ワット・シーサケットの見学,・1818年創建のビエンチャン最古の寺,タイの侵攻時も、タイの寺院と似ているため破壊を逃れる,,原形をとどめるという意味では価値が高いのだが、痛みが激しいようです,周囲の回廊に無数の仏像 120体,6840の穴が掘られ、仏像が奉納されている,首だけ盗まれた仏も多い→売りやすいのだろう,斜めに作られた柱ではありません。痛みのため建物が歪んでいるのだそうです。修復するための費用もままならないとのことでした,ラーク=龍 お釈迦様の生まれ変わりとも考えられています。 角が一本,あれだけ沢山のかごを持つ・・芸術的ですね〜
16:05〜16:30 凱旋門の見学,凱旋門の通りへ着きました,本当は戦没者慰霊塔 1938年〜62年にフランスが建設→未完成です,2000年以降、形が凱旋門に似ているため、こう呼ばれるようになったそうです,凱旋門に登ってきました,高さ45m、幅29m,遠くにメコン川が見えます。,2004年10月サミットに向けて中国が修復 プレゼントと称する・・・中国らしい,大統領官邸が見下ろせます。覗けるなんて平和なんですね〜,16:35〜16:45 タート・ルワンの見学,かなり広〜い。 タート・ルワンの祭りの際には、国民の半分がここに集まると言われる,お祭りは毎年10〜12月(旧暦の12月)の1週間開かれる,敷地内に仏教の会議場を建設中,とにかく暑いので見学は外観のみにしました,ラオスのシンボル→高さ45m 幅69m 黄金の塔と言われるが実はペンキ
最初は紀元前に建てられたといわれるが、証拠はない。,正面にセティーラート王の像。はっきりした記録は、1566年にこの王が再建したというもの。,後に3回ほど修復されているが、最近は1930年代。,17:15 ラオ・プラザ・ホテル着,LANE XANG ホテルにて夕食 竹筒にくるまれたような餅米が美味しかった,音楽(打楽器のみ)とショー,それに民族踊りのディナーショウです,泊まったのはラオ・プラザ・ホテルでした晴れ 涼しい 昼間33℃
ビエンチャン→パクセ→コーン島
05:05 ホテル発 05:15 空港着
・朝食は弁当だが、食べずに現地ガイドが空港職員にあげる。おかげで全員で50kgの超過料金が無料に・・
06:25 ラオス航空512便にて出発(出発予定時刻06:30)
・到着時の温度25度,08:00 パクセ空港発マイクロバス
・チャンパサック県→人口03年48万人 07年60万人 パクセ 7〜8万人,07:45 パクセ市内着(到着予定時刻07:45),08:15〜08:35 パクセ市内の食堂で朝食,色から見て凄く美味しそう〜,ワンタン麺 美味しい!,色につられて注文・・・やっぱり美味しかった,この黄色の麺はトウモロコシ+卵で作られている・・最高!!,08:30〜08:40 チャンパサックパレスの写真ストップ,元王宮で現在はホテルですが、室内は見かけ倒しだそうです,08:45〜09:25 市場の見学,大きな市場です,沢山の人々の賑わい,豊富な品数・・特にフルーツ系は素晴らしい,カエルこれも食品です,野菜市場,大変活気があります,,市場場内売り場,香ばしい香りが充満!,フルーツは3月〜マンゴ 4〜5月ドリアン の時期,お昼のおかずにいくつか買い求めました,ソーセージ類,ゴミは多少散らかっているが、ちゃんとゴミ箱があり、掃除は行き届いている この辺も中国とは違う感じです,09:25 国道13号線をワット・プーへ
・国道13号線は、00年頃きれいな舗装道路に→橋はすべて日本の援助
10:05〜10:15 フェリー待ち(出発より36km),10:15〜10:30 フェリー乗船
・船上の麺の値段は3000キープ
・船賃 バス代3万3千キープ 人は無料,,フェリー乗り場のお店,,人と自転車だけを乗せるフェリーです,のんびりした田舎・・・といった風情です,,フェリーの出発,対岸からの・・・,ゆったりしたメコンの流れに各種のフェリーものんびりと動いてゆく・・,,,そろそろ終わりです,10:40〜10:45 昼食レストランにてトイレ休憩(出発より38km) あれ!木の根から仏像が生えてる?,回り込んでみたら、なるほど。 元お寺があった場所で、仏像だけが取り残されたのだそうです,10:55〜11:05 小学校訪問
・日本の援助でできた小学校,ラオス7000の小学校の内1200が日本の援助(民間も含める),500〜600万円でひとつの学校ができる,みんな温和しくてまじめな生徒ばかり,行程の真ん中にある大木
黒板は韓国、井戸はフランスが掘って、機械は中国製を村人が購入,・生徒数134名、先生5人 ,校庭で遊ぶ生徒たちと・・,しばらく話し合いました,,ほほえましい風景でしょ?,将来女優?,ボールペン、ノートその他日本から持ってきたものを全部女性の校長先生に託して・・,記念写真を撮り出発です,11:15〜11:20 パンヤの木の写真ストップ,こんな感じの実がなっています,実の中は綿のような感じです11:37〜13:15 アンコールワットの前に栄えたワット・プーの見学(出発より50km)(標高155m),クメール遺跡ワット・プー
ODAに因って修復→参道のリンガがおこされる,リンガ+オッパイの形をしたパサック山(1400m)の麓に造られています。左右には集会所の遺跡,男性用の左側集会所,右側は女性のための集会所です,11〜12世紀に使われました,ヒンズー教の寺院として一説には5〜6世紀に造営が始まる,6〜7世紀ごろワット・プーの王様はタイ ターパノムの女王と戦う,女性だけの種族ターパノムの女王を軽く見たため負けてしまいます。 パノム=裸のオッパイの意,タイ→アンコールワットと追われ、そこで安住の地を見つけ一大王国を築くことになります,つまり、この遺跡はアンコールワットのルーツということになりますね
ちょうどプルメリアが咲き誇っていました,その後18〜19世紀に上座部仏教の寺院として使われたため仏教の仏像が混じっておかれています,プルメリアはラオスの国花です,奥へ行くほど階段の幅が狭く急坂になります,息が切れてあえぎそうになった頃神殿に着きました,アンコールワット遺跡で見覚えのテパダ像が彫られています,,,これもカンボジアのバンティアイ・スレイの遺跡のものとそっくりですね,,神殿の中の正面には18世紀に作られた仏教のお釈迦様が鎮座,,神殿裏側にある湧き出る水。ヒンズーの生け贄の血を洗うために使われました,その脇にあるのは仏教で彫られた岩絵,上ってきた道と景色を・・,こちらから見ると右側が男性用集会所,男性集会所,女性集会所遺跡,さて、神殿から右奥にある生け贄を載せるための岩,階段として使われた蛇の岩,象の彫刻の岩,大きなジャックフルーツがたわわに実っています,13:30〜14:25 昼食 ・SAYTHONG GUEST HOUSE,,パクセの市場で買ってきた素材を使って料理してもらいました, 16:30 BAN HARTフェリー乗り場着(出発より172km)
またメコンを渡り、ホテルへ向かいます,フェリー乗り場はちょうど夕方のラッシュアワー。沢山の人々が乗り降りしていました,のんびりしていてホッとするとき・・・,,トレーラーなど大型の車などを運ぶフェリー
お坊さんが絵になります。16:50 ホテル着(出発より175km)
ホテルの前が瀾滄江(メコン川)夕食前にカメラを携え夕景を楽しみます,夕暮れが近づいてきました。,メコンの流れはゆったり・・,この別世界に私たち3人だけで静かにたたずみます,雲の中に隠れたままサンセットは終わりを告げました,ここメコンでは沢山の人が魚を獲ることで生計を立てています,私たちがこの風景を楽しむほど、漁師の人々は気楽ではないはずですが・・でもすてきな風景でした。,・・・・,サンセット後に何枚か獲ったのですが全部こんな感じの色に撮れました。 不思議な感じです。蒼のメコン,19:00〜20:30 ホテルを出て夕食
・徒歩にて野外レストラン(メコン河に面している)へ ,宿泊 ヴィラ・ムアンコン ヤモリさんお出迎え・・・,第11日目2月27日(水)晴れ 昼間33℃ 朝晩20℃ コーン島滞在 78km,早朝、サンライズを待つ 紺碧の空と川面,素晴らしい景色にわくわくしてきます,もう言葉はいりませんね。 刻々と変わるサンライズの景色をお楽しみいただければと思います。,,,,,今回、一番気に入った写真です。,,,,,,,いかがでしたでしょうか。 とてもすてきな時間を過ごしました,日が昇ると同時に托鉢のお坊さんがこちらに向かってきました,朝日に照らされて、まるで後光が射しているように思えました,ホテル前のT字路で地元の人たちが餅米を差し出します,そっしてごせんぞさまに向かってお祈りを・・・,,すっかり日が昇りました,朝食まで時間があるので周辺を散歩,,,,海外のバックパッカーたちがそろそろ動き出し始めたようです。北へ向かうのかな、それともタイへ国境越え?,,,ホテルへ戻り朝食、今日は滝の見学です第11日目2月27日(水) 晴れ 昼間33℃ 朝晩20℃ コーン島(グ) 78km
09:35 ホテル発 09:40〜10:05 フェリー待ち(出発より3km)
フェリー発着所前で砂糖椰子の実が売られていました,サトウ椰子の実です。サトウの原料の樹液を採取するためには、この実が実らないように細工をする(明日のアルバム、サトウ工場を参考),実を割ると中に3コほどの中身が・・・,その皮をむいた状態です。 食べてみましたが砂糖椰子というのに甘くもなければ味もほとんどありません。コクのある水といった感じ,大きなトレーラーがフェリーで航行しています,10:05〜10:10 フェリーから船着き場へ,10:35〜10:40 船着き場着(出発より23km),ボートを1艘チャーターしました,10:40〜10:55 ボートにてデット島へ,神風のようなスピードで走る高速船です,30人以上も乗るチャーター船もあります。
10:55 デット島着,デット島の別荘群。 電気は通じてないそうです,南国ムードいっぱい!,椰子が青空に映え・・,船着き場にクレーンの基礎の残骸が残っていました。
1839年〜日本軍進駐まで使用される→コーンの滝を船が航行できないため、鉄道を敷設。ここで荷物を積み替えた,10:55 改造トラックで小コーン島へ,昨年まではここも歩いていったそうです,車窓から,,小さな露天商が・・,フランス時代に使用されたミニ蒸気機関車の残骸,車を降りてここから徒歩 デット島とフランス時代にできた橋で繋がる,竹藪の間を歩き・・,,滝が見えてきました。
11:25〜12:00 滝の見学,乾期で水が少なく物足りないですね〜,4トラで皆さんに見せていただいたあの迫力は全くありません,まぁ天気に恵まれただけでも良いかな,リーピーの滝、ソンパミットの滝・・っていわれてもどれがどれなんだか・・,25本の滝が流れ込むということでしたが、見えるのは細いのも含めて8本程度かな〜,12:00〜12:20 改造トラックでデット島へ戻り,12:20〜12:40 ボートにて最初の船着き場へ戻りました,12:40〜13:00 バスにてコーンパペンの滝へ,こちらの滝の方が少しは迫力があります,高さ15m 幅1km,,,新緑と青空が目に浸みる・・・,すぐ近くにカンボジアとの国境があると言うことで、見に行くことにしました。13号線の切れたところで、新しい道を建設中→2年後には橋が架かるそうでこの先50qのところに出入国検査場があるそうです,脇の細い道を入りしばらく行くとラオス・カンボジアの国境碑がありました,柵とバリケーなんて言うものは全くありません
14:23〜14:27 ラオス・カンボジアの国境碑,碑の反対側はカンボジアで、カンボジア人もよく越境してくるそうです。
私たちもカンボジア側への国境を越えて小用を足してきました。(縄張り意識のワンちゃんではありませんが・・),14:30 川イルカがいるという話を聞き メコン河沿いの国境へ(滝より12km),船宿でイルカが見えるか訪ねたら「見える」との返事,イミグレーションがあるが、出国しない場合は素通りでそのまま船着き場へ,14:45〜15:55 ドルフィンウオッチングツアー
対岸はカンボジアの村です。お互いに買い物などで簡単に行き来してるそうです。,・一艘のチャーター費は8万キープでした,白と黒のカワイルカが15匹生息しているそうです,舟からそのままウォッチングするのかと思ったら、国境の微妙な問題でラオス側の小さな岩の上に下りて・・・,遙か遠くを眺めるだけ・・,15分ほど待ちましたが、結局ルカがあげた飛沫だけがかろうじて見えただけで、あきらめ戻ることに・・・,途中腹ごしらえに麺を食べ・・・
17:00 ホテル着 明日は帰国です第12日目2月28日(木) 晴れ 昼間33℃ 朝晩20℃
コーン島(グ)→パクセ→国境→ウボンラチャタニ→バンコク 185km+80km,この旅行最終日
今朝もメコンのサンライズを狙います,やはり何度見ても感動がわき上がってきます,,同じような朝でも毎日違った顔を見せてくれるようですね,朝日に照らされる雲の模様の美しさ・・・
生で見るともっと感動的なのですが、撮影の腕の悪さが悔しい・・,川面の朝日に漁船が入るよう追いかけてみました,,,,08:30 ホテル発 タイとの国境へ,08:40〜08:55 砂糖椰子の工場見学・・工場?,雄花、雌花の根本より樹液を取るのですが、実がなってしまうとだめなのでその花芽をご覧のようなやり方でつぶします。 勿論木につながっている状態でですが・・
この写真は説明のために切り取った花の部分です,そして実際に樹液の採取方法を試して見せてくれました,肩にかけた竹筒を砂糖椰子の花に取り付けます,このような感じで竹筒が樹液で満たされるのを待ちます,樹液が発酵しないように容器を常に焼くので、できあがった砂糖は燻した味が残っています,樹液を煮詰めて砂糖を作ります,できあがった野外工場の砂糖製品。 10個で2ドル。20コ買いましたが評判が良くあっという間になくなりました。 もっと買ってくれば良かった。,10:50〜10:55 トイレ休憩,しばらく村を散策です,のんびりした田舎・・・といった風情,子供たちがブーメランのようなもので木の実を狙って投げていました,このワンちゃん、鼻にくっつけるほどカメラを寄せても全く起きません。よほど良い気持ちなでしょう,11:55〜13:10 パクセで昼食(出発より140km) ・昨日と同じ名前のTOUR LAOレストラン
・今回のラオスの旅行では、地球の歩き方に載っているラオスの食べ物をほとんど食べ尽くす目的もあったのですが特別なものを覗いて達成することが出来ました,フルーツもどれも素晴らしかったのですが、この時期一番旬だったマンゴが最高でした,13:15〜13:20 メコンを横切る、日ラ友好橋の写真ストップ,日本の援助で2000年に完成→長さ1800m しかし有料。 橋の近くはマンションの造成中 大きく新しいホテルも2軒建つ予定,14:00 国境着(出発より185km),・ラオス側の名前ワンタオ国境 タイ側、チョーンメック国境,14:00〜14:05 出国手続き・入国時記入した出国カード(パスポートに挟んである)提出→簡単に済みました,,ラオスのバス終了。荷物はリヤカーで国境越え,私たちは檻の中をタイ側へ進みます,タイ側で入国手続き。
16:00以降、土・日・祭日は70バーツの超過業務代を徴収 ・荷物はノーチェック,新しい出入国ターミナルを建設中,その中を通ってタイへ,14:20 タイ側のバンは2台来ていました。・一台のバンに荷物を載せ もう一台は人を乗せる,14:20〜14:40 市場の観光 ・最近法律が変わり、ラオス人は通行許可書だけでは、タイに入国できなくなったということで市場は閑散としていました,便利なトゥクトゥク。国境から町へ人を運ぶ主役です。 14:40 バンで空港へ ●タイの人口6,300万人(ガイド)→最近7,000万人(新聞) ウボンラチャタニ2万人 *ベトナムは8,000万人・米は1回 乾期の今頃はバンコクに出稼ぎ・タクシン本日帰国ということで歓迎の垂れ幕(タクシンは田舎で人気がある)が出ていました。・ウボンラチャタニから南へ約100kmのところにクメールの遺跡があるカオ・プラヴィ・ハーン 10〜12世紀 ・タイの平均収入 6300バーツ(公務員) 8000〜8500バーツ(民間)ラオスの平均収入 40〜100$(公務員) 40〜700$(民間)→平均200〜300$ ラオスの平均収入はタイの半分程度,15:20〜15:30 ガソリン+トイレ休憩・セブンイレブンが併設 日本製品もしくは日本色を出した品物が多い。「どうぞ」、「おいしい」、MEIJI、ヤクルトなどの製品群。*MITSUSHITAなるクーラーまであった(他の場所で見かける)・バンコクまで700km→いい道が続く。 16:20 空港着(ウボンラチャタニ) 18:15 タイ航空1031便にて出発(出発予定時刻18:15) 19:15 バンコク(ドン・ムアン空港)着 19:40〜20:10 ミニバンで35kmも離れるスワンナプーム国際空港へ・ 1000バーツ→通常は1時間かかるが、140キロで飛ばす・バンコク空港の電気の明るさに圧倒される 00:15 タイ航空642便にて出発(出発予定時刻23:50) 第13日目2月29日(金) 晴れ 成田 0度 バンコク→成田 07:25 成田着(到着予定時刻07:10)