東欧6カ国古都巡り 18 クラクフ     
             
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●クラクフ滞在。 市内とアウシュビッツの収容所の見学です。  9:00 クラコフのホテルを出発。 今日は連泊です。 9:10 オスカー・シンドラーの工場へ●「シンドラーのリスト」という映画にもなった工場です。1908〜1974 南ドイツ生まれ。クラコフにはビジネスでやってきました。●ナチスのユダヤ人迫害を目の当たりにして、労働させることで強制収容所行きを止めさせる。結果、740人の命を救いました。1000人の名がリストにあったとのことです。●「ゲットーの壁」1934年以降の人類最高の負の遺産と言われている。●オリジナルのゲットー(ユダヤ人ナチスにより強制的に住まわされた家)の壁と建物。●最古の「スタラ・シナゴーグ」。 クラコフには68000人のユダヤ人が住んでいたが、ホロコースト後には3000人しか生存していなく、現在は180人だけだそうです。●9:25  「シンドラーリスト」の撮影地、カジミェーシュ地区。 クラコフが爆撃を受けなかった理由はバベル城にナチスの本部があったためらしい●カジミェーシュ地区を散策。現在も使われているレム・シナゴーグ●映画に出てきたシャロカ通り。この地区にはシナゴーグが8カ所あった●9:50 クラコフの旧市街を散策します。●美術大学前のヤン・マティコ広場でバスを降ります。左側は美術大学●ショパン生誕200年ということで、国中のいたる所でショパンが使用したものと同じの形のピアノのオブジェがありました●円形の見張り塔 バルバカン●昔、街へ入るには必ず通り抜けた門です●フロリア門の前で演奏をしている街芸人●13〜4世紀の旧市街を囲む、フロリア門と壁の一部●門の向こうはフロリア通り 街が作られたのは10世紀です●フロリア通りへ入って振り返り、門を・・。1957年 クラクフの名になる●クラクフの紋章(龍) 1320−1398年 ポーランドの都として栄える。その後はワルシャワに移るが、戴冠式はクラクフのバベル城で行われました●残っている城壁には現在3個の見張り台が。●ここから旧市街●中央広場へ向かって歩きます●●個性のあるお店が並んでいて楽しい。●●泥酔した人が通りで爆睡。お巡りさんが心配そう、どの国でもいますね〜●半分ぐらい歩いたところで、振り返りフロリア門を●路地裏通り●広場の聖マリア教会が見えてきます●教会の塔の上部。かなりこった作りです。●毎時、聖マリア教会の窓からラッパの音が。敵襲を知らせる時に鳴らすのですが、タタール人の矢で演奏中に死亡という伝説に習い、ラッパの音楽も途中でストップします。●中央広場 200m×200m●淡色の壁の建物が美しい。●13世紀当時ヨーロッパ最大の広場だったそうです●広場の端へ行って、なんとか聖マリア教会の全景を入れました●広場中央にある織物会館●ここで暫く自由時間を・・・●先ずはご婦人方の希望に添い、織物会館内のお土産屋さんをあさりに●ここはやはりご婦人方の独壇場。 べっ甲などを仕入れていたような・・・●やっと表へ出て広場を散策します(^_^;●色々な美しい建物が並ぶ●●広場にあった小さな教会●●広場では沢山の観光客を相手に、色々なパフォーマンスの芸人達●子供に大人気で、仕方なく親は財布を取り出します。●●旧市庁舎の一部として残った時計塔●自由時間が終わりバベル城へ向かいます。●途中、1364年という古さの歴史を持つヤゲゥオの大学を通過●コペルニクスやパウロ2世が卒業したそうです。●パウロ2世の紋章が。●現在使われている校舎●現在学生数は14000人●パウロ2世が学生時代住んだと言われる家(アパート?)●彼の肖像画が飾られていました●城壁あとに作られた公園を歩き・・●城壁あとに作られた公園を歩き・・●バベル城へ。階段を上り・・●城の中へ。ミツケアテックの像も●ポーランド王室の居住地。ナチの本部として使われた事があるそうだ●3階建てです。 様々な様式が混じっているそうです●入ったところにパウロ2世の像が●●王室の建物。中は撮影禁止です。総督の執務室、寝室、金庫室、軍隊行進の部屋などを見学●王宮の教会。白いレンガの部分→ロマネスク。  赤いレンガ→ルネサンス●あちこちの教会で見かけた、白いドレスの少女達●この国では9歳になるとこういった儀式が行われるそうです●お城をあとにして、クラクフの市内観光が終わります。●11:55  徒歩でレストランへ●昼食は野菜スープと・・●お米入りのロールキャベツ・・・それにアイス♪●15:30  クラコフ郊外のアウシュビッツ強制収容所へ●唯一の日本人職員、中谷さんという人に案内をして貰います●「働けば自由になる」と書いてある門。Bの字が逆さまに・・●ここでは実際に収容されたのは25%、75%はそのままガス室へ連れて行かれたとか。●ナチスの証拠隠滅で正確には分からないが、ここでは130万人が命を落とした。その他詳しい内容はここでは省きたいと思います。●3q離れたビルケナウ収容所です。 各地から結ばれている囚人を乗せる列車のレールがここから入ります。●収容所の中から見た列車の門●日本人職員中谷さん。主に経済的に苦しい時代、その根源をユダヤ人に転嫁し、ドイツの国を守るためと正当化してしまった心の内面と人間の弱さを、何度も強調していました。●迫害されたのは、ポーランド人、ジプシー、ソビエトの捕虜、心身の障害者もいたそうですが、9割はユダヤ人だった●囚人を監視人にして、お互いに疑心暗鬼にさせることにより、うまく統率。監視人も食事をぎりぎりに与え3〜5ヶ月で命を落とす状態に。●木造の囚人棟には穴だけのトイレ、3段ベッド。ぎゅうぎゅう詰め状態●各地から結ばれるレールと囚人棟です。●各地からのレールの最終点●あそこでおろされた囚人の殆どが、全ての持ち物を剥がされ、そのままガス室へ送られたそうです。送られる寸前の子供の姿の写真なども貼ってありました。 見学後クラクフのホテルへ戻ります。







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