東欧6カ国古都巡り 7 ブラショフ     
             
初期表示は自動再生でスライドショーされますが、画面右下の操作ボタンで、停止/再開やコマ送り/コマ戻しが行えます。























































 ,17:15  ブラショフのホテル到着。ホテルの目の前には市庁舎が。,夕食までは1時間半ほどあるので、近くを散策にでます。,先ずはホテルの前の通りをぶらぶら。,可愛い家が並んでいます。,しばらくはブラショフの町並みを・・・,,オオカミに育てられたといわれる、ロムルスとレムスの像。他の町でも何度かみかけたのですが、説明を聞くのを忘れてしまった(^_^;,,,がらくた市(?)が道路沿いに。,,,とても懐かしい骨董品,,,4人で懸命に漕いでいます。楽しそう。,一度ホテルの前に戻り・・・,まだ時間がたっぷりあるので旧市街へ足を運ぶことにしました。,ホテルの裏側にある道が、旧市街の広場まで続いています。,13〜14世紀ドイツ人がルーマニア人の居住区を壁で隔てていた。,従ってこの町の中心である旧市街はドイツ人居住区でありカトリックの教会があります。,髑髏とsex shop・・どんな脈絡が?,,横道はチョッピリ寂しそうな感じ,降りそうで何とか持っている空を気にしながら広場まで・・・,,旧市街の広場まで来ました。,明日午前中の市内観光でここへ又来るはず。,,日曜日とあって、天気が悪いうえ夕方なのにかなりの人々が集まっていました。,大きな教会のそばでは、地元の人々が色々なイベントをしていました。,民族舞踊でしょうか。,時間まで楽しみ、ホテルへ戻ります。,19:00 ホテルにて夕食。 ブラショフ風コロッケ,ポークシチューサラダと私の大好きなアイスクリーム(^_^;,夕食後ホテルの部屋から,,翌朝、やはりホテルから,昨日は殆ど雨でしたが、今日は天気が良さそうです。,9:00 ホテルを出発。午前中はブラショフの市内観光。,15分ほどバスで着いたのが聖ニコライ教会,町の外側に追いやられていたルーマニア人の居住区にある正教の教会。,1495年ワラキア王国の王子が教会を建て、1750年ロシア皇帝の支援で現在の建物に,教会の中はしまっていて入れません。フレスコ画がすすで汚れないよう、表の小屋でローソクを灯しています。,18世紀にはルーマニア初の学校も造られました。,墓地の入り口。カロル2世時代の政治家のお墓など。,町の南西にあるルーマニア人地区から又バスに乗り、ドイツ人街である町の中央へ。第1次大戦の兵士像,ルーマニア人街とドイツ人居住区の間には、マリア・テレジア門があり、それをくぐるとドイツ居住区。,町の中心でバスを下車,昨日散策した旧市街の広場。時計塔がある建物は旧市庁舎,12時と6時には民族衣装の楽隊が広場を更新するそうですが、時間がない。,黒の教会。14〜5世紀建立。17世紀の火災で壁が焼け黒く。国内最大のゴシック建築,黒の教会の脇にあるヨハネス・ホーンテルスの像。,彼の差す指の方角には彼が建てた学校が。 現在は図書館,彼の名前が。この学校でドイツ語を学ばせた。,黒の教会ミサ中で入れません。ドイツはかつてカトリックだったが、その後プロテスタントに改宗したそうです。今でもドイツ系の人が使用,,町の裏にあるトゥンパ山にはブラショフのモニュメント。ハリウッドを真似た?,ブラショフの紋章の建市775年の旗です。クラウン・シュタットと呼ばれた,ぐるっと回って再び中央広場へ,バスが迎えに来るまで、暫く自由時間。,広場で楽しむ人たちを撮らせて貰いました。,,,,バスに乗りシギショアラを観光して、今日の宿泊地クルージ・ナポカへ向かいます。







サーバーをレンタルする前に知っておきたい厳選4ワード 健康食品・サプリ生活