ダージリン 1 再びカンチェンジュンガ    
             
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第9日目11月20日(木)○ガントク→ダージリン 90km 晴れ 09:00 ホテル発 10:35〜11:25 シッキム州の入出国手続き
11:40〜11:50 山芋、みかん購入 12:15〜13:40 ティスタ・バザールにて昼食(標高300m)・CHIIREY WAYSIDE INN
13:15  一昨日通過した分岐点  ・道は上りに
14:00〜14:10 河の合流地点で写真ストップ,・左がランギット河(男)、右がティスタ河(女性)ガントクから見え隠れしていた河です(レプチャ族の聖なる河),ティスタ河→プラマプトラ河→ベンガル湾へと流れる 水葬もするが、カリンポンでは土葬,14:20〜14:45 カンチェンジュンガと茶畑の写真ストップ,ダージリンの茶摘みとカンチェンジュンガ!!,世界第3の偉大な雪の宝庫   素晴らしい雄姿!,しかし、何処にでも人は住んでいますねぇー,ちょうど今年の三番茶の茶摘み時期でした。,あの有名なダージリンティーの茶摘みです!,昔はただの労働者だったが、今は請負制になっているそうです,1kg=20RP 1日30kg程度摘み 約600RPの収入がある,最近は、産地が多くできたため、茶工場が潰れているそうです。,今日の茶摘みが終了したようで・
昔170の工場→今は100程度,続々と私たちの方へ上がってきました,かなりいい収入・・・といっても年に3回の短期間では生活の足しにはなりません,普段は農業をしているのでしょう,気軽に写真を撮らせて貰えました,街中に入ってきました。,見え隠れするカンチェンジュンガ,やはり、ヨーロッパアルプスをイメージしていたのが間違いだった・・・(^_^;),家に沿って線路が走っています・,明日乗るトイトレインの線路です,ここでダージリンの歴史を少し
・18世紀初頭までシッキム王が支配,1706年ブータンから侵攻した勢力がカリンポンを掌握,1780年ダージリンはネパールから侵攻したネパール(グルカ)人によって奪われる
1816年グルカ人がイギリスに降伏,15:35〜15:55 BLUE PINEレストランの展望台にて写真ストップ
・1835年グルカはダージリンをシッキムに返さず、イギリスに貸す,その金額が、最初は3000RP→1年ごとに→6000RP、9000RP、12000RPと値上がり,そんな中、2人のイギリス人がドージェン・リン僧院を見つけ、イギリス兵のための保養地として開発します,1840年のアヘン戦争と相まって、ダージリンで茶の栽培を始める,ダージリンは中国茶 ドージェン・リン僧院の名前が変化してダージリンになった
カンチェンジュンガとダージリンの街です,1857年には、ダージリンの人口が1万人に(多くはネパールからの労働者) 元住民であるレプチャ族は減少します。,ダージリン駅です
1879年 トイトレインが開通
1881年 シリグリ〜ダージリンまで全線開通→カルカッタまでの鉄道と結ばれ、カルカッタで船積みし、イギリスへ,1947年 イギリスはダージリンをインドに返還  現在 10万人の人口に ヒンズー教徒50%、仏教徒35%、キリスト教徒5%、その他10% 教会も多い,16:10 ホテル着◆ニューエルジン
17:00〜 徒歩でチョウラー・スター(広場)へ・ダージリン茶を購入・お茶 FIRST FRASH,第10日目11月21日(金)○ダージリン 晴れ
04:25 ホテル発・渋滞 
05:15 タイガーヒル着,2〜3度ぐらいか、非常に寒いです ホテルから9km,05:55 日の出,ここタイガーヒルは、日の出とヒマラヤが両方見える,山肌が綺麗に染まってきました,帽子30RP、手袋20RP 1RP=2円です。安すぎ!  帽子を買いました,低い方の山も日が当たり始めます,時間を変えて・・,もう一枚!,4枚撮り合成して全景にしてみました,27mmワイドで,18mmワイドで,,右がマカルー左がローツェ・・ 晴れていればその間にエベレストが見えるはずなのですが・・・,スリーシスターズです,サンライズも始まりました,シッキムと違いここは1000人以上の人たちが来ています。,有名で観光客も多いのですが、地元の人にとって「聖地」ということで日の出を拝みに来ているのです,06:25 タイガーヒル発・渋滞 サーバーをレンタルする前に知っておきたい厳選4ワード 健康食品・サプリ生活