海外編

エチオピア南北周遊
   @羽田→アジスアベバ 30枚

   Aジンマへの移動@ 45枚

   Bジンマへの移動A 46枚

   Cアルバミンチヘ 60枚

   D各種族の村々@ 46枚

   E各種族の村々A 48枚

   Fムルシ族 62枚

   Gハマー(HAMER)の人々 51枚

   Hハマー村の祝宴 42枚

   I南エチオピアからの帰路@ 32枚

   J南エチオピアからの帰路A 44枚

   Kアクスム 43枚

   Lラリベラ 63枚

   Mバハルダル 32枚

   N青ナイルの滝そして帰国 59枚

   Oエチオピアの花 9枚




      






○成田→関空→デュバイ 関空28℃   ・第1ターミナル 66番カウンター(国際便乗り継ぎ)   荷物はアジスアベバまでスルー   ・時間があるので空港で夕食(手荷物検査後)   ・羽田にてシートアサイン可能(関空・デュバイからの分)   羽田・関空はJAL→関空・デュバイはUAのマイレージ使用可能   21:00 エミレーツ航空6251便にて関空へ(出発予定時刻20:40)   22:10 関空着(到着予定時刻21:55)   ・2F→4Fへ移動 Cカウンターで再度チェックイン   ・この時間は、一軒の免税店だけ開いているが、その他の飲食店等は閉まっています。 飲み物は自動販売機のみ ・満席,23:25 エミレーツ航空317便にてデュバイへ(出発予定時刻23:15)
・(9時間30分)→予定(10時間45分)  早い!!,第2日目9月11日(月) デュバイ32℃ デュバイ→アディスアベバ
04:25  デュバイ着(到着予定時刻05:00),イエメン旅行の時のドーハトランジットと違い、あまり待ち時間がありません。,従って残念ながら、空港外へ入国することが出来ずガマンです!,折角下りたので空港の中を散策 写真を撮りました。,名の知れたドバイ空港 さすがに石油王国の貿易港、大きくて綺麗です。,お陰であまり長く感じないドバイ空港の滞在時間でした。,,やはりイスラムの国の空港、綺麗なお祈りの部屋もありました。,09:10 エミレーツ航空723便にてアディスアベバへ(出発予定時刻08:25),評判の良いエミレーツ航空 その優しくて綺麗なスッチーさんを撮ってみました。,,やはりイスラムの国の空港、綺麗なお祈りの部屋もありました。,空港の工事はまだまだ続いています。 これからも、どんどん大きくなるのでしょう。,せめて機内からドバイの街の写真を・・・,3時間30分でアジスアベバへ 予定は4時間10分のはずなので、これまた早いです!,11:40 アディスアベバ着(到着予定時刻11:30)・入国カードに記入、提出 ・入国後手荷物のX線検査→荷物をピックアップ→税関にてX線検査(荷物は開けられず)
12:10 ゲートを出る ・2003年オープンの新しい空港,・中国アフリカ友好道路(市内)、中国の建設による高速道路45km(環状)がある。 そしてアフリカ通りを走ります。,12:30 ホテル着  ・ホテルに入る際は、なんとX線検査。でも素晴らしいホテル(シェラトン)です。 これが貧乏国エチオピアのホテル?,でも、ここはエチオピアの中でも別世界でした。最初、真ん中、最後の3度ここへ泊ったのですが、それが待ち遠しい日々となったのでした。,12:30〜14:30 昼食+チェックイン(標高2300m)
ん?!   ハッピーニューイヤー?,・実は、今日9月11日は、エチオピアでは1999年の1月1日→新年の元旦なのだそうです。
エチオピアはジュリアン歴?使用・・ってそんなの知らなかった〜、,ホテルの窓から庭と市内を。  14:30〜15:05  市内観光 ・雨
・国立博物館・三位一体教会はクローズ ,15:05〜16:05 博物館と聖マリア教会 どちらも撮影禁止   メネリクU世の王宮,メネリクU世の王宮・・・
といっても・・らしくないな〜,・アディスアベバ 人口320万人,王宮の門番さん カメラを向けたら敬礼をされた・・・どういう意味かな〜,50%キリスト教徒 45%イスラム教徒 5%アニミズム,16:15〜16:25  ウントット山展望台
・付近にはメネリクU世の時代に植えられたユーカリ
街がよく見えるはずなのですが、残念ながら雨で・・・
1886年頃?までこの地を都に。 以降、アディスアベバへ遷都,16:55 雨の降る中をホテル着(出発より23km)  ・チェックインの際、パスポートリストだけで、パスポートの提出は不要
 このあとほとんどのホテルがパスポートリストの提出も不要でした。,なんともドアボーイの服装が似合っていないと思うのは私だけでしょうか・・・ドアの奥には空港にあるのと同じセキュリティの門 シェラトン   エチオピアNO.1 アフリカでもベスト10に入る新しく部屋も広い 無料のミネラルあり ビジネスセンターでインターネット可→ブロードバンド小雨後晴れ 昼間26度 朝晩は涼しい→上に羽織る洋服が必要 アディスアベバ→ジンマ 345km
先ずは南エチオピアへの旅の始まり 08:00 ホテル発 私たち6人の他  ガイド Mr.tewodros Getenet →Teddy(通称) 運転手 1号車 ヘノック 27才独身  2号車 ソロモン 6人の子持ち コック ヨハネス 2台ともランドクルーザーで5人ずつ乗車,先ずは、エチオピア情報      正式名称 エチオピア民主連邦共和国  人口 113万3,380?(日本の約3倍)  公用語 アムハラ語  人口  7300万人 55%の失業率,85の民族  オロモ3500万人→15世紀にビクトリア湖付近から移住してきたとのこと  アムハラ2100万人(主要民族)   アラビア人とアフリカ黒人?の混血(ハバシャ=ミックスと呼ばれる)→ガイドの説明
平均寿命 男性43才 女性47才 平均45才  エイズが蔓延しているため平均寿命が下がっている(エイズの撲滅に効果を発揮している国はウガンダだそうだ),昨日の雨で浸水したところが多かったらしい  国立公園 9個所  ガソリン  1g=5〜7ブル(3ヶ月前)→今1g=10.5ブル  ディーゼル 1g=4.5ブル(3ヶ月前)→今1g=6.5ブル  *10月からさらに値上がり予定  1ブル=13〜4円,教育   最近では米国式の教育制度12年生? 民族教育   地方自治 9州と2の特別州(アディスアベバ等)  平均収入 年間$110→$85に下がる,この色の車は公共の乗り物   タクシー、ミニバスなど
・今回のツアーに関連するエチオピアの簡単な歴史を少し
古王国ソロモン王とシバ女王の子メネリクT世が王国を築く→アクスム,A.D.1世紀〜アクスム王国(ソロモン王国) A.D.4世紀 エザナ王の時代に最盛期 キリスト教に改宗 オベリスクの建設 A.D.9世紀 アクスム王国の衰退,果物は豊富にあるようです。
A.D.10〜13世紀 ザグゥエ王朝→首都ラリベラ(最初はロハと呼ぶ)
A.D.13  ザグゥエ王朝から再びソロモン王朝へ
A.D.16  イスラム勢力が台頭,1889年 メネリク二世が王位につき、エチオピア帝国の基礎を作る
1891年頃アディスアベバを首都に
1896年 アドワにてイタリアとの戦争に勝利(第1次イ・エ戦争)
1930年 ハイレ・セラシエ王即位(〜1974年),1936年 第2次イ・エ戦争でアディスアベバが陥落、王は英国に亡命
1936〜1941年 イタリア支配   1941年 英国の援助によりエチオピア主権を回復
1958年 ECA(国連アフリカ経済委員会)の本部が置かれる,1962年 エリトリアを併合
1963年 現AU(アフリカ連合)の本部が置かれる
1974年 エチオピア革命→社会主義政権〜1991年
1993年 エリトリア独立,アフリカらしい景色?
1995年 連邦民主共和制に,現政府→民意は離反しているが、アメリカ・イギリスが政府を援助(対イスラム),・北部6〜9月大雨期 1〜2月が小雨期、それ以外は乾期
南部7〜9月、1〜2月が乾期と言われていたが、今回、9月は南部も大雨期明けのようだった,ん?
大きな鳥が沢山いる,どんどん集まってきているようです,これは、どう見ても猛禽類
コンドル? ハゲタカ? どちらも同じかな,大きな牛の死骸が転がっていて、それを鋭いくちばしでつついていました。 やはりハゲタカです。,09:15〜09:25 ハゲタカの写真ストップ(標高2000m),最初からいつもの海外旅行とは違う景色を見たような気がしました。,,満腹になったのか、羽を休めているものも,それにしても、舗装道路沿いにこんな光景が見られるとは・・・,地元の人たちには、珍しくもないようで振り向きもせず、むしろ私たちに興味があるようで、じーっとこちらを見たあとそのまま通り過ぎてゆきました。,子供たちは強烈な目で私たちの周りを囲みます。,ハゲタカよりも遙かにこちらの方が珍しいのですね〜,予定外の時間をあまり長く潰すわけにはいきません。
早速またドライブに戻ります。,昔、紙芝居や絵本の中で見た茅葺き屋根(?)の丸い家,窓も電気もないようです。,食事の支度で火を焚いているのか、屋根全体から煙が立ち上っていました。,10:05〜10:20 トイレ休憩   子供がお金をほしがってきます。
通り過ぎるときにカメラを見せて撮らせて欲しいというそぶりをしたところ、にっこり笑って見せてくれた女性。 ありがとう〜!,11時03〜50分  Welkiteにて休憩,街並みを撮っていたら・・・,「私を撮れ」の催促。   従わせていただきました。,車を降りてちょっとの合間に、子供が沢山群がってきます。,歩きづらくて仕方ないほど囲まれてしまいました。    思わず手でポケットを押さえてしまいました。,でもエチオピアでは、泥棒や悪い人は、「みんなでやっつける」という習慣が染み付いているので、まずそのような被害は少ないそうです。     最貧国にちかい状態で有りながらと・・・・,コーヒーの発祥地、エチオピア  ここのコーヒーは、どこで飲んでも最高の味      いつもは紅茶と代る代る飲むのに、今回は3食後全てコーヒーを飲みました。,現地ガイドがおなかが空いているとかで、食事をしていました。,インジェラ   エチオピア人の主食です  Teffという植物から作られる    これから、一面のTeff畑が見られるようになります。,休憩後  街をチョッピリ散策,・キリスト教徒でも豚肉は食べないそうです。   イスラムとの共存の結果なのでしょう。,担架が通り過ぎたと思ったら・・・・     お葬式だそうです。4人だけとはちょっと寂しいな,ん?  あの人たちが持っているもの・・・
どこかで見たことが・・・・,やっぱりそうでした。  一月にイエメンで毎日のように運転手が口に含んでいた「カート」です。 こちらでは「チャート」というそうです。,エチオピアではこのナマの覚醒剤は禁止されていると聞いていたのですが、イエメンほどではないが出回っているそうです。今日のドライブ、まだ続きます。キャバナ?村の見学
アディスを出てからずっと続いていた茅葺きの家の見学をすることにしました,まず、家の裏にあるバナナ畑に連れて行って貰います。 沢山の人がついてきます,バナナ畑の中に、実が付いたコーヒーの木が所々に咲いています。,その後で茅葺きの家を拝見,家の中です。窓も電気もなく真っ暗で殆ど何も見えませんでした。 カメラを適当なところに向けてフラッシュで撮ってみました。 老人夫婦の家だそうです。 食器と鍋類、いろり以外あまり目立った家具などはありません。土間のままでした,表に出たところ。  多分、この村(一家族?)の半分の人たちが、いると思います。,こちらからギャラリーをモデルにして・・・ このあたりの人はグゥラゲ族といい、エチオピアの中国人と言われ、よく働くそうです。,現在では、族(Tribe)より、人(People)の表現の方が正しいかも知れないが、やはり私は族を使用したいので・・
またエスニック・グループとの表現もあるらしい。通りがかりの馬上の人にもシャッターの雨が・・・,これも通りがかりの女性陣 みんな通り過ぎずに集まってしまいました。,もっと沢山の人を撮ったのですが、枚数が増えてしまうのでこの辺で出発します。,12:40〜12:45  ギベ川渓谷の写真ストップ(標高1565m),12:50  野生のマントヒヒが・・・ やはり写真ストップ,13:00〜13:20 すごく綺麗な鳥がいた,こちらは黄色い鳥が巣を作っています。,鳥の巣団地,山羊が木登りをしながら食事中。 私たちもコックが造ったサンドイッチで昼食を済ませました。,食後、又ドライブ 目的地はまだ遠い,ギベ川を渡ります,道もひどくなってきました。,車窓から
エチオピアは人口が多いので可能性のあるところは全て開墾され畑になっています,14:40〜15:10  ナトゥリ?(発音の違いが有るかも知れません)村のマーケット見学,すごい人の群れです。,・オロモ族 
ここのオロモ族はモスリムだそうです。 貴重品は全て車の中においてきました。,写真の所望です。 このようなうれしい要求には必ず従うことにしています。 ただし無料ならば,皆さんとてもカラフルです,それにしても、だれもみ〜んな、おしゃれですね〜
だれもがファッションモデルになれそー,美人も多いです。,カメラを頭上に差し上げてめくら撮りしてみました。  混んでいて通路なんか全くありません。,とにかく足の踏み場もない・・・  真ん中らへんで帽子を被って人混みに埋もれているのが、私たちの仲間です。  見えますか〜?,果物のコーナー,,ナマのコーヒー豆も売られています。,コーヒーを入れるときに利用する器,・ここは.日・火曜日に開かれるマーケット だそうです,布地を売っているところで、我が女性陣がお土産を買おうとしたら・・・ すごい人・・・,こちらは、反対側の人たち・・・   中には棒で地面に線を引き、「ここからはいるな」と仕切る人まで現れました。,最後に車へ戻ってまで、まだ数十人がぞろぞろ着いてきました。 フ〜〜っ!,15:55〜16:15   暑いので小さな街でコーラー休憩,コーラを飲みながら目の前の道路をボケッと見ています。,目の前を通る人    特別な装いではありません。  まるで花嫁衣装のような格好で歩いている人たちも沢山います、 ホント!,川はエチオピアの人々にとって憩いの場所   泳いだり、洗濯をしたり、井戸端会議をしたり・・・・,車窓から
市場からの帰りでしょうか。   夕方、歩く人たちが沢山,18:30  ジンマのホテル着(標高1700m)
・牛→最低でも2000ブル、山羊→最低でも200ブル ・ジンマ人口8万人 オロモ族・カファ族が住む
19:10〜   コーヒーを買いにゆくが生コーヒーしか売っていなかった
・近郊のカファ州(以前の行政区分)のBONGAエリアがコーヒーの原産地
このカファがコーヒーという名前に  *現在はオロモ州に変わりました,20:00〜   ホテル内で夕食
・ラムのカツレツ,魚のフライ、そうそう最初に美味しいスープが出ましたよ,チキンのフライ。   6人なので2こづつ3種類とも注文しました。   どれも、まぁまぁいけました。  美味しかったです,朝、CENTRAL JIMMA ホテルの窓から・・・シングルはコテージ、ツインは本館 蚊帳、お湯の出は悪い、電話・テレビなし、電気が暗い 下の公園のようなところで、夜12時頃までガンガン音楽が・・・ 朝、4時頃あまり騒がしいので起こされた。 向こうに見えるバスターミナル。 出勤か旅なのか数百人の人々が、がなり立てていました。 お陰で今日は寝不足・・・,朝早いのに沢山の人たちが通り過ぎてゆきます。
第4日目9月13日(水) 小雨後曇り 28度 朝晩は涼しい→上に羽織る洋服が必要
ジンマ→アルバミンチ 320km 今日も移動日です,エチオピアのあちこちで、雨も降らず、日が差していないのに傘を差しているのを見かけました。朝も、まだ日が昇っていないのに・・・・ 何か意味があるのかなぁ,08:25 ホテル発    08:40〜08:55    銀行にて細かく両替・南部で写真を撮る際、一枚2ブル必要なため  300ブルをすべて1ブルに両替。  通常は100ブル程度で十分だと思います。 すごく臭い汚いお札が混じっていて閉口,ラバ車を沢山見かけました。 タクシー?,馬とロバを掛け合わせたラバ,これからは大都市付近以外で舗装道路はありません。 所々、四駆でなければ走れない場所があります。,エチオピアの風物の一つ、薪運び。 田舎の人たちの一日の仕事の半分は占めているのでは・・・,人、ロバ、馬・・・誰もがこの仕事に一心不乱・・・ってな感じです。,薪運び特集? 可愛いロバの顔を見ていると「よう頑張りますな〜。ご苦労さん」とつぶやいていました。,それにしても毎日これだけの薪を、人口が多いこの国の人たちが取り尽くしたら・・・,家の周りにも沢山の薪が蓄えられています。,そしてもう一つの風物・・・・,二枚目の写真で見当がつきましたでしょうか。,そうなんです。 まるで政府が号令を下して「歩け歩け運動」を発令しているかのような景色。,どこにでも歩いている人たちを見かけます,見晴らしのいいところで、歩く人たちの撮影時間を・・・ え?  そうです。わざわざです。,高いところも、低いところも,坂も山も関係有りません。,左下の隅の方に歩いている人たち 見えますか?,,写真を取っている私たちのそばをも、沢山の人が通り過ぎてゆきます。,,喉が渇いたときのペットボトル持参です。,,,いちに! おいっちに!,優秀な選手を排出するエチオピアのマラソンランナーの基礎はこれだったのかも知れませんね〜,気を取り直して出発
だんだん悪路が多くなってきました。,多くの人たちは市場へ出かけるために歩いているようです。,普通片道2時間程度はかかるらしく。公共のバスはほとんどないそうです。,随分沢山写真を撮ったんだな〜。 それだけ私の心を打っていたんだと思います。,大きな木の白い花があちらこちらに見られ、ドライブを通して印象に残りました。,これ、なんだと思いますか?・・・  養蜂の巣箱なんですね。 面白い製法です。 主に蜂蜜ワインの原料になるそうですが、私にはこの味はなじめなかった。  10:50〜11:00  ハチミツ箱の写真ストップ+トイレ(標高1230m),オモ川通過   CHIDAの村を左へ,12:35〜12:50   車がパンクしてタイヤ交換 あっという間に子供たちが・・・,何か欲しくて盛んに声をかけてきます。 一人にだけあげるわけには行きません。 大変なことになってしまうから・・・,何か私たちを引きつける事が出来れば、それに対して飴やお菓子をあげようと思っています。 撮りたい写真のモデルになってくれるとか・・・  青空が綺麗です,13:15〜14:00  誰もいなさそうなところを捜して昼食(標高1660m) ・サンドイッチ,通りすがりの人が、5回も振り返りながら私たちを見ていた。,道路沿いのがけの上に、牛追いの子供が除いていました。,と思ったら、あっという間に人だかりが・・・,例の「歩け歩け運動?」の人たちが、みんな通りすぎないで、私たちの前で止ってしまうのですね〜,風物詩の「薪運び人?」も・・・・
ギャラリーが増えるごとに、食事も喉を通りづらく・・・,早々に出発,オモ川の見えるところで青空トイレ休憩。 今回の南エチオピアは、オモ川沿いとマゴ国立公園に住むエチオピア独特の民族の人たちに会いに行くのが目的です。,再びアルバミンチに向かって,郷愁というか、懐かしさがあってどうしてもこの家にはシャッターを押してしまう。,村の近くの脇道です。 ここでも歩く人たちが・・・,16:50〜17:20  ソドにてコーヒータイム(標高2000m)  かなり大きい街です。,ソドのホテルの中 コーヒーセレモニー用の器具類,可愛い子供たちが・・・  現地の人々でこのホテルに出入りするのは、上流家庭の人たちらしい。,出発  さっきより、人とスモッグが増えたみたい,バナナの産地を通りました。 出荷中、2〜3日すると黄色くなるそうです。,豊かな穀倉地帯・とうもろこし・バナナ 牛・山羊→家路へ,,夕暮れ時  薪を背負った働き者の子供たちに出会いました。,写真を取らせて貰い、飴やお菓子を喜んで受け取って貰いました。,一生懸命働きながらこの笑顔・・・・ こちらもつい顔がほころびます。,元気でね〜!!,20:10  ホテル着(標高1320m)
20:30〜   夕食へ,・ソマレストラン ティラピアがおいしい。 SWAYNES ホテル  コテージ式  蚊帳、お湯の出は悪い、電話・テレビなし、電気が暗い*この時期、蚊はほとんどいなかった *運転手・ガイドはすべて別のホテル(食事も)アルバミンチ→ジンカ 247km
朝、早めに起きてサンライズをと思ったが・・・,サンセットも含めて、あまり綺麗な太陽を拝むことが出来ませんでした。 ホテルの庭からの写真です。,私が泊ったロッジです。 今回はダニや蚊(マラリア)の予防もあり、蚊取り線香、ダニアース、ダニシートなど色々用意。シェラトン以外は、夕食中に蚊取り線香を2コに着火しておき、ベッドはシ−ツの上に寝袋・・の状態で通しました。 私はダニに一回、蚊に一回刺されただけでした。,08:00  ホテル発 これからが南エチオピアの本番です,08:30〜08:35  ヒヒの写真ストップ,ホテルを出て30分ぐらいのところで、道路上にヒヒが出没しました。,エチオピアでは、まだ人間とのトラブルは全くないらしい。 共存共栄も順調だそうです(現地ガイド),撮影のためお菓子を少しあげました。,やっぱり親子はどこも同じ,家族はボスザルをおとなしく待っています。,ジンカヘ向かって再び・・・ まさにアフリカ・・・,この日の移動では各種族の村を通過します。,・ガァモ族、オロモ族、コンソ族など・・・  現地ガイドが一号車のため、コンソ族以外は区別がつきません,ちょうど牛さんたちの朝の通勤ラッシュ。 道路を全面的に占拠,牛渋滞の中、越えても越えても牛の群れは一向になくなりません,牛の中をもがくこと15〜20分・・・ やっと前が少なくなってきました。 大分時間をロスしています。,どうやら違う部族の地域に入ってきたようです。,歩いている男性は必ず棒(スティック)を持っています。,昔、部族間の闘争が多かった頃からの習慣で、いまでも手放さないでいるそうです。,たちの車が通りすぎるときには、大きな声、しかもこちらがそれを意識せずにはいられないほどの、強いアクセントの声を発します。,それも1・2号車両方にです。 どんな目的か分りません。,槍を持っている人もいた〜!!  いくら親愛の情を込めた挨拶だとしても、チョッピリ怖い!,次の写真に関係しますので、ペットボトルに注意していてください。 中は飲み水です。,私たちはこの道を「ハイランダー通り」と名付けました。 まだ、私たちの車が豆粒にしか見えないうちからダンスをしています。,ピョンピョンしゃごんだり立ったり、立つときにはゴリラのように片手を交互にあげます。,車が通りすぎるときに手を出して「ハイランダーー!!」と何度も叫びます。 ハイランダーとはエチオピアのミネラルウオーターのメーカーだそうです。 必需品である空のペットボトルが欲しいのだそうです。,南へ行くに従って、肌の色がどんどん濃くなっています。,畑(バナナ・綿花畑・トウモロコシ)の真ん中に櫓を建てて何かの見張り番? 所々で見られました。,川を渡ります。  といっても橋ではなくそのまま入って渡ります,ここの人たちにとって川は大事な資産,どこも大勢の人たちで賑わっています。,又違う種族の村へ入ったようです。,雨期には川が増水するのか、高いところへ家を建てています。,ここでは車道と牛道とが分かれていました。,車が近づくと子供たちは急いで近づいてきて、大きな声で「ハイランダー!!」 いくら何でもそんなに水を飲まないよ〜,お陰でプラスチックがあまり普及していないのでゴミが本当に少ない,他の国のようにミネラルのボトル、ポリエステルの袋が散乱していません,10:30〜  コンソの街通過,コンソの女性はみんな独特のスカートを身につけています。,こんなおしゃれな格好で、重い荷物を背負い、「歩け歩け!」,見ていて飽きないし、とても楽しい,この「歩く人」には感動さえ覚えます。,山の峠でも・・・,こんなに沢山,綺麗なスカートの少女、撮影させて貰って飴をあげようとしたら、他の男の子がひったくってしまいました。 又飴を出したら同じ子が彼女を押しのけます。 彼女の手を車へ引き込んでその手に飴を握らせました,峠の一番上あたりで一号車が故障。 運転手が車の下に潜り込み、いくつもの部品をはずしてしまいました。 え〜?どうなっちゃうの?,車の故障   たちまち子供たちが集まってきました。,子ども達が口々に「ハイラン!」と叫んで寄ってきます。,ペットボトルの要求ですが、この日はまだ「ハイラン」の意味が分らなかったので、自分たちの飲む分が入っている物しか有りません。,唯一の女の子がいました,カメラを向けたところ、恥ずかしがって逃げてしまいました。,通りかかった大人の人々もみんなここで止まってしまい・・・,ついにこんな状態です。 折角なので並んで貰って写真を取りました。,男性は撮って貰いたくて「こっちを!」とかなり積極的です。,4人の女性がこちらを指さしながら、大きな声を出して近寄ってきました。 カメラを向けると逃げるように隠れるくせに、その後最後まで仕切ったりしていました。,デジカメなので、撮ったあと液晶画面を見せると、すごい人気。 20分ぐらいで修理完了、早々に出発です。,このあたりの子供のおねだりのパフォーマンスが変わりました。  細い木を適当な長さに切り、紐で結わいたり、木の面に書いたお土産品(人形・面)を売りたくて、車を追いかけます。,ストゥーパのような形をした蟻塚と・・・,イエメンのタイズで見ることが出来た花「ボトルトゥリー」が咲いていたので、撮影ストップ。,とても美しい花です。,・オモ渓谷に入る。 標高が低いせいか暑い→38℃,WEITO川通過 ・TSEMAY(ツァメイ)族が住む地区
WEITOにて昼食 ・ロッジにて、コックが作った料理です,・南部諸国・諸民族州→州都アワサ。 州で45民族 ・車はジプチ経由で購入。 ガソリンはスーダン経由で輸入,一人の女性が歩いていました。  車を止めて貰い、車内から撮影,2ブル(約26円)払いました。,Key Aferの木曜マーケットへ到着(標高1600m),一時間ほど散策します。 ・BENA(バンナ)、TSEMAY(ツァメイ)族のマーケットです。,女性も男性も衣装が決まっていてとても格好いい!   BENA(バンナ)5000人→山羊皮のワンピース(短い),二つの民族は似ている→ケニヤのマサイとも近い種族だそうです。,売られている品物も大変カラフルです。,大ズームで・・・・  全体を撮っているようなフリで・・・,首に付けている輪。  TSEMAY(ツァメイ)族5000人→牛皮のワンピース(長い),首に付けている輪 一個が第一婦人。 二個が第二婦人。 三個まで見ました,散策が始まった時から、15歳ぐらいの英語の上手い少年が案内役をしてくれていた。 その彼が友人だと言っていた3人を撮ることに・・・,撮った枚数を数えたり面倒なので、交渉してまとめて30ブル程度でフリーショットにして貰った。,その方があちらもまとまった収入になるようで、すぐにOK,それにしても皆さんいい面構えをしていらっしゃる。,衣装や飾りもいつもので変わらないそうです。,今まで、グラビアでよく見たのは、撮影用の衣装かと思っていましたが、そうではないと実感。 車の方へ戻ります。,車の近くにいた3人にターゲットを絞りました。,直立不動ではなくスナップを撮りたいと思い、案内の少年に話しかけて貰い、横から撮ろうとしたのですが意識されて・・・・,こっち向いちゃダメー!,この際、隣にいる女性も入れちゃおっかな!,そうその調子!!,口にくわえるのは、たしか歯ブラシにする木,足にはペインティング,なぁ〜んだ。 これではやっぱり、「やらせ」ですよね〜,これで「決まり!!!」,色々骨を折ってくれた案内の子にノート10冊30ブルをプレゼント。 とても喜んでいました。,さてジンカの宿に向かって出発,私たちの行く手をふさぐように・・・  道路一杯に竹馬に乗った子供が,思わず笑いが出てしまいました。 この工夫には止ざるを得ません。,ボディペインティングをした子供。片方は女性のようです。 写真を撮って1ブルずつあげました。,18:10     ホテル着(標高1460m)
・ジンカ  アリ族10万人→オモ地域で最大の民族 男性が女性のように髪を編む。   18世紀にビィクトリア地域から移住(オモ渓谷のすべての民族の元は同じだそうです)ジンカ・リゾート   コテージ式  蚊帳、お湯の出は悪い、電話・テレビなし、電気が暗い ジンカ滞在 往復200km
08:10  ホテル発,08:30   マゴ国立公園入口着,公園内に住むムルシ族に会いに行きます。,ディクディクがいた。
・マゴ国立公園 2600?  オモ国立公園(3100?)は7年前に橋が壊れたため、こちらからは行けずジンマ経由で行くことになる。 クドゥ、キリン、シマウマ、ガゼル、バッファロー、ゾウ、ライオンが棲息しているが、大型動物はほとんど見られない,2年前にオモ・マゴ国立公園はドイツ人が買い取ったそうです。,一人で歩いている人がいた ムルシ族では無さそうです。,10時  道が広がっているところに、ムルシ族の人たちが,グラビアで見たことがあったけど、実際目の前に見ると迫力,どうやら、観光客が通るのを待ちかまえて、写真代目当てに出稼ぎの人たちのようです。,中から6人ほどを選び出して、モデルになって貰いました。,これから行って、ムルシ族が普段の暮らしをしている姿と比べるつもりです。,お客様に対する特別な装いをしているのかどうか・・・,この人、美人ですね〜,それにしても、唇を輪の状態にしてお皿をはめ込むなんて・・・・  これが素晴らしいおしゃれなんでしょうか。,お皿をはずした状態の人です。,しばらくは写真をどうぞ・・・,,,,この鋭い眼光を向けられると、さすがにビビります。,最近は政府の指導で、出来るだけ口の加工をしないよう呼びかけているそうです。,,,,,全部で60ブル(6人分)支払いました。  私たちも6人だったので一人あたり10ブルです。,本物?のムルシ族の部落へ>,大地溝帯を越え、対岸の台地へ,ブッシュの中を走ります。,11:50〜11:55  ムルシ族の村  やっとつきました・・・    
ん?  人気(ひとけ)がないぞ。,現地ガイドの話では 数日前に、BODI(ボディ)族との争いがあり、女子供はブッシュの中に避難したそうです。,車で15分ほど走り、ブッシュの中に駐車。 そこからその隠れ家を訪ねます。,この争いで、BODI族5人、MURSI族2人が死亡したそうです。  ちょっと現実とは思えません。,片道2kmほど、ブッシュの中をを歩きます。 40℃で非常に暑い!,12:05  ムルシ族の臨時村(標高665m)が見えてきました,人がワッと集まってきました。 すごく早い!,沢山の人たちが寄ってきてゆっくり写真が撮れない,みんなで私たちを、突っつくようにして写真を撮れとせき立てます,とにかく人数を限定してモデルになって貰います。,写真代は銃の弾、塩の購入に使われるということでした。 なんだか闘争のために援助しているような気がしてちょっと憂鬱気味です。,トウモロコシファッション、いいですねぇ〜  それにしても、ハエがぁ〜!!  気にならないのかな〜,又暫く写真を見ていただきまーす。,,,穀物を粉にして・・・   右の人は写真代が欲しくて、ダメといわれながらも一生懸命入ってもいない粉を挽いています。,穀物の余分な物をより分ける作業,,ムルシ族→5000人,ブッシュマン、これから食料の調達に? なんちゃって、これは「やらせ」で後ろ姿で歩いて貰ったもので〜す。,3:15  訪問を終りジンカのホテルへへ戻ります。   前方に見えるのが、大地溝帯,大地溝帯を走ります。,14:30〜15:00  マゴ川付近で昼食
18:20 ホテル着,19:25〜21:00 民家訪問   ホテルのウエイトレスと話しているうちに、夕食の招待をしてくれることになりました。,そこでホテルでの食事をキャンセル。   彼女には100ブルを払うといったら、「本当か?」ととても喜んでくれました。,その彼女です。  頭に黒い布を被っているのは、この一年以内にその人に大きな出来事があったことを示すそうで、彼女の場合はご主人がなにかの事故でなくなられたそうです。,,多分彼女の兄弟たち,兄と息子,エチオピアでは3食前(昼は出来ないことが多い)にコーヒーセレモニーを各家庭でやるそうです。   さすがコーヒー発祥地。 ナマのコーヒー豆を木炭で煎っています。,お湯を沸かす,鉄のスティックで煎ったコーヒー豆を突き崩します。   教えて貰いながらやったのですが、力が足りなかったようでした。,手前が主食のインジェラとパン。  色々な香辛料の入った料理をインジェラで包んで食べます。 コーヒーの味だけは最高でした(笑,運転手とスルーガイドは毎日これなので、全部たいらげます。,運転手とスルーガイドは毎日これなので、全部たいらげます。,,,ジンカ→トゥルミ 127km 
 8:10  ホテル発・ホテル→ディメカ100km ディメカ→トゥルミ27km,Key Afer通過,この辺の人たちは、特別明るい性格のようです。,車窓から,遠くの方からも手を挙げます。声は聞こえないくらい遠いのに,Key Afer→ディメカ(ハマーの市場)60km
服装からハマーの地区に入ったようです。,10:10〜10:20       トイレ休憩,ハマー【ハマール】(HAMER)の女性写真ストップ,,牛追いの男性がいました,10:45〜10:50  ハマー【ハマール】(HAMER)男性写真ストップ,素晴らしい体格、面立ち。   もてるんでしょうね。,腕へのおしゃれ,なんとっ・・   頭の飾りを見てください。どこでも見かけるピンどめ!! 耳の飾りは、プラスチックのの下敷きをカット?,ここでも遠方からご挨拶,ウヒャッ!
ボディペインティングをした可愛い子供が二人!,双子かどうか分らないけど兄弟? いやいや、左が男の子で右が女の子だぁ
おわかりになりますよね!,これは何が何でも撮らなくては・・・,こちらがぞろぞろ下りてきたのにビックリした様子,お二人さん、なんだか固まってしまったようです。,あまり可愛いので、あちこちからカメラを向けてしまいました,脚には飾りもちゃんと付けているんですよ。,「生まれて初めて、肌の色の違う人に囲まれて、いったいどうなっちゃうの」なんて思っているのかな〜,そばにいた少女 お二人さんの付添人みたい,三人と私たち以外のギャラリーも増えてきました。,ハイランダー(ペットボトル)を手に、口に飴を入れた貰ったのですが・・・  舐めるはずの飴が、半分唇から出たまま舐める事が出来ないほど固まってました。,付き添いの少女に10ブル支払って再出発。,今度は、とっても可愛い女性が・・・,,今日は、写真ストップが多すぎるようですが、これはやっぱり男としてゆずれません。,ヤットコサという感じでディメカへ到着,11:50〜12:40  ディメカの土曜マーケットの見学,マーケットの中を散策します。,とてもにぎやかで、明るいマーケットです。,ハチミツ バターなどを売っている。 衣装も綺麗。 外出の時はこの洋装で・・・,先日見た、・BENA(バンナ)、TSEMAY(ツァメイ)族の親類の種族でそちらの人と結婚することもあるようです。,ほかと比べて、写真を撮るのに、あまり厳しいことを言わないようです。,運転手も、「ハマーの人たちは性格がいい」と盛んに褒めていました。,一号車の運転手。何度も来ているうちに友達になっているらしい。,動物マーケットの方にも足をのばしました。,牛マーケットの門番役らしいが、格好いいので写真を・・・,多分小学下級生、英語が上手く、説明役を名乗り出たが、大人にひがまれたようで、何度も頭をたたかれていたが、こちらで庇って案内を頼みました。,案内が終って、ノート10冊をお店で買い、持ってきたボールペンをあげたら、大喜びでした。,12:40〜13:30  ディメカにて昼食,二人でいた運転手の友達を誘って、一緒に食事,彼女たちの表情を撮ってみました。,結婚の時、男は女性の家に牛40頭を差し出すそうです。,冗談に、運転手が「牛40頭、連れてくるからアジスアベバへ来ないか」といったら、「丸い屋根の部落の家でないと嫌」といわれた。,「アジスアベバに土地を買ってその家を造るから」といったら、「やっぱりここがいい」ということでした。,やっぱり生まれ育ったところが最高なんですね,14:30  トゥルミのキャンプ地着(標高955m) キャンプ場に到着。 かなり沢山のテントが張られていたので、それのどこかに寝るのかと思ったが全部海外の旅行者のもので、既に泊っている人たちだという。 殆ど旅行者を見かけなかったのに。車に積んでいたテントを下ろし、運転手たちが設営を始めた。,キャンプ場の従業員で、ハマー族の村に住んでいる人がいた。 その人に、村の踊りを見に来ないかと誘われた。 一人あたり100ブルを払って、小雨交じりのなか村へ,村の入り口です。 最初はショーか何かの誘いと思ったのですが、私たちだけだという。キャンプ場には他にも沢山の外国人が来ているのに・・・,子供や女性が出迎え?  いや、むしろ興味を示して来たのがと思います。 どうやらキャンプの従業員は、英語が話せるので村の広報役をしているようです。,多分、自分たちにとって、差し障りの無さそうなグループを見つけて誘いをかけていたのでは・・・・・・,案内されて村の奥の方へ・・・  宴のためか家の周りはガランとしています。,どうやら、招待客は私たちだけのようです。  ハマーの人たちだけで楽しむところへ、そのまま潜入するのだと言うことが分ってきました。,村の一番奥の広場では、もう既に踊りが始まっていました。,あっち向いてピョンピョン
こっち向いてピョンピョン,とてもいいリズムで手拍子と笛が鳴っています。 装いは人によってマチマチ,これは、観光客向けではなく、自分達のための祭り。ブルジャンプ明けの踊り  踊りの名前は「EUANGADI」というそうです。,昨日ブルジャンプがおこなわれ、本日はそれを祝う踊りの日だそうです。  そのブルジャンプとは・・・,16頭の牛を4回飛ぶ・・という競技をやり、成功すると、翌日のこの踊りの次の日から一週間ブッシュ(森)に籠もります。→精をつけるため(笑,その間、家族・親戚が結婚相手を捜すのを待つのです。,結婚が決まると男性側から女性側に牛平均40頭、その他装飾品が贈られます,婿側の男性家族が嫁側の女性家族の背中をむち打つ習慣があそうで、女性達の背中にはみみず腫れのような痕,理由は花嫁側が貰う牛に対してあげるものないから・・・何もそんな事しなくても,子供を産まない女性は実家に帰され、牛も帰さなくてはならないそうだ。 2・3人の妻をもてるということです,祝宴も大変盛り上がってきました。 女性の笑顔がそれを示しています。 さて踊りの内容はというと,男性が跳ねながら女性に迫ります。女性は肌が接触する寸前に「ひょい!」と身体をひねって避けてしまいます,さてカメラは女性陣に向けられます。,ここから女性特集  男である私の特権をお許しくださいね。,知らず知らずのうちに、可愛い子を捜している・・  自分に、このときは気がついていませんでした。,写真を見ているうちに、そうだったんだ〜  と分ったのでした・・・ホントです (^^;),見つけました!お気に入りの女の子!,もう一枚撮っちゃった  (^^;),後ろ姿の飾りもとてもきれいです。,お尻が目的ではありません! 飾りが目的です! 絶対に!!  なにか、力んでるな〜,この女性、笛を吹いて輪の中のリ−ダー的な役をしていましたが、最初は何となく物憂げでした,でも佳境に入ると、さすがに元気になって踊っていました。  他人事ながら・・・ホッ!,今日のヒーロー、昨日「牛の16頭4回飛び」に成功した人を連れてきてくれました。 おめでとー!,その後、ヒーローが跳ね踊りに加わって最高潮に。  一週間後に戻ってくるときは、頭を皆と同じ坊主になっているそうです。,さて、ギャラリーと、周りの「全員で山羊を食べる」準備中を見学します。,仲良し3人組?,家族で見学中,沢山の人が見ています。 今まであんなに注目の的だった私たちですが、このときばかりは、そんなことはありませんでした。,おかげで、とけ込むように見学することが出来ました。この村のたった一人の学校の先生です。 キャンプの従業員とこの先生だけが英語を話せるようでした。,薪の周りで串刺しの羊肉を焼いたり、ナマの羊の皮に付いている肉を女性が食いちぎって食べたりしていましたが、それは撮影を断られました。
これは床屋さん,できあがりはこんな感じかな?,宴もたけなわですが、私たちはこれで失礼することにしました。,可愛い女性!,車まで見送りに来てくれました。  足の裏がこれほど白いとは!,キャンプ場での夕食はろうそくの火で。  すーっと同乗しているコックが造ってくれます。,スープも肉も素晴らしい味です。今まで、サンドイッチなんか食べさせられて、なんのためにと思っていたが、面目役如。  いつもこうだったらな〜, 晴れ 35〜40度 トゥルミ→アルバミンチ 245q
キャンプ場で朝食。 昨日の興奮がまだ残っています。 08:20 ホテル発,09:20〜09:25 サボテンの黒い花(標高530m)写真ストップ,ブッシュの中で異様に目立っていました。 ズームで・・・,通りかかった人に被写体になって貰いました。 ハマーの人だと思います。,09:30〜09:35 砂漠の実のなる植物 写真ストップ  ・・・・って、名前はガイドも運転手も知らないそうで。   やたらとあるので気にもしないらしい・・・,10:00〜10:35 エルボレ族の村見学,・過去にコンソ族とオモ渓谷に住む人々との貿易を生業としていたそうです。,そのためか、各種族の装飾や身なりを併せ持っているようです。,そしてその生業から、混血の種族に・・・,胸の形がみんな良く感じるのは、私の気のせい?,ボディペインティングが派手なのもこの種族の特徴,顔にも一杯ペインティングが・・・,これじゃぁ、人相の特定が出来ない・・・  別に法破りがいるわけではないし、関係ないか・・・,現在は貿易をおこなっていないそうです。,ここの人たちは、写真を撮れととてもしつこい,ハマーの人々の奥ゆかしさに、日本人の私たちは一番惹かれました。,WEITOにて昼食(標高600m)
ん?  道路上で牛のもめ事?,もう、私たちの車なんか、目じゃない! 必死で闘争を繰り返していました。 最後に白牛が負けて逃走しました。 闘争終了。,・WEITO→コンソ 子供が自分で作ったものを売る。 12:45 お香を買う   12:55 イスを買う   13:30 お面を買う,13:50 コンソ族のスカート写真ストップ 往路でも写真を撮りました,プリーツのような独特のスカートをはく種族です。,道路沿いに、コーヒーの木が続きます。実が熟しているようです。,14:15 コンソ族の村の遠景写真ストップ。 14:25〜14:55 コンソの街にて休憩  ・ホテル変更の電話→時間が早いのでコンソ泊はやめ、アルバミンチ泊に変更・コンソ→アルバミンチ90km,15:15〜16:00 コンソ族の王様の家訪問(宮殿??),・9氏族の王様(3万人)です。  通常は前王が死去後、9年9ヶ月後に次王が推挙される。ところが最近は解決すべきトラブルが多く、その期間を待たずに、この次王が即位,・19代王 1990年死去。 20代王 1993年即位 2003年死去,これは、はな垂れ王子(?)です。,21代王 2003年即位(同じ年)→この王様と会っているところです。
写真などを引っ張り出してきて、懸命に詳しく説明してくれました。,宮殿内を案内して貰いました。 あまり人影が見られません,宮殿の召使い(?)が粉を挽いていました。 他に奥さんらしい人がちらりと。 あとは山羊などの動物で全て。あまり人が来なくてもっと居て欲しいのか、お墓へ案内するというのを、丁重に固辞しました。アルバミンチは遠い,宮殿内の家具? 18:25  アルバミンチのホテル着  20:00〜 ホテル内で夕食。 ・スープ+グリルの魚、エチオピアのスープ、魚はすべておいしい。SWAYNES ホテル コテージ式 蚊帳、お湯の出は悪い、電話・テレビなし、電気が暗い。 *この時期、蚊はほとんどいなかった,アワサの朝晩は涼しい 
 アルバミンチ→アワサ 280km
08:55 ホテル発,09:15〜10:35  ホテルを出てすぐのチャーモ湖にてボート観光(標高1030m),チャーモ湖 535?  野生動物の観賞です。 クロコダイル,湖が大きくサカナも豊富なので縄張り争いもなくゆったりとしています。,オーストラリアの川では、クロコダイルの縄張りは70メートルに一匹の状態ときいたことがありました。,ペリカン  固まって泳ぎ、魚を捕るときには一斉にお尻を空に向けて潜ります。,カバ   この動物はどこにいてものんびりしているところしか見ませんね。,,10:55〜11:45 アルバミンチの街を出る前にFriendship Cafeにて休憩。・アボガドジュース  美味しかった。 ここでカバの歯・クロコダイルの歯・とうがらしを買う,・アルバミンチ→アワサ 全て舗装道路でした。,12:05 バナナ・レモン買う。 付近にはガモ族が住み バナナ・マンゴ等農業が盛んなため豊か,14:00〜15:20 ソドにて昼食,14:00〜15:20   ソドにて昼食。・これまでは徒歩が多かっただ、ここ以降、ロバ車が多く見られるようになりました。,車窓から市場を・・・ミシンで縫う商売も。 18:05   ホテル着(標高1600m) 20:00〜  ホテル内で夕食。 Wabeshebelle ホテルNO.2 ,第10日目9月19日(火)  晴れ 昼間は25〜30℃前後 朝晩は涼しい。 アワサ→アディスアベバ 270km。 サンライズを撮りにホテルの庭へ,・南部諸国・諸民族州の州都アワサ  人口は12万人,猿が遊びに来ていました。,ホテル前はアワサ湖 。 鳥の種類が多いので特集をしてみました。,多分カワセミでしょう,これは判りません,,かなり大きい鳥です。,08:00  ホテル発,08:10〜08:35  アワサ湖の畔にある魚市場の見学,小さな船で網漁をやり、船着き場がそのまま市場になります。,その場で捌いて売られてゆきます。,ナマズ,ペリカンを初めハゲコウなどの沢山の鳥たちが。,捌かれた臓物などをを求めて共存,そのため、ハエこそいるものの、腐った魚の臭いがありませんでした。,09:00  シャシャメネ通過,・ジャマイカにエチオピアのハイレ・セラシエが訪れるたら7年間干ばつのため飢餓で悩まされていたジャマイカで雨が降った。 そのためハイレ・セラシエがキリストの再来と崇められる,それが1950年代のアメリカでの黒人運動と結びつく(ボブマリーの歌、ボブマリーが一時住む)エチオピアは神の国といわれるようになり多くのジャマイカ人がシャシャメネに移り住んだ,09:43  本道をそれリゾート ランガノ湖へ トイレ休憩,・エチオピアで唯一住血吸虫が住まない湖ということで湖水浴場として賑わう。  今はオフシーズン    深さ45m 350?,10:40〜10:45  またハゲタカが・・・,10:40〜10:45  またハゲタカが・・・,犬が来て動物の死骸を横取り。 ハゲタカの顔が、恨めしそうに見えるのは私だけ?,昨日までの景色と比べると都会らしく感じます。,11:05〜11:15  ジワイ湖の写真ストップ ・ハンマーKOP、黒トキ,ハゲコウ,なんと!ペリカンが私の真ん前のフロントガラスに体当たり! ガラスが割れてしまいました。,時速100キロ近い早さだったので、ペリカンは大丈夫だったのだろうか。 修理は保険 私たちもも怪我はなく幸いでした。,Dream Land Family Resortにて昼食(標高1900m)(12:55〜14:15) ・カルデラ湖(ビショフト湖)を見下ろすレストラン。 スパゲッテイ 運転手の食事はインジェラ。 5:40   シェラトンホテル着 久しぶりの湯船。 ・ランクル運転手・コックはここでお別れ 19:30〜   ホテル内で夕食 ・モンゴリアンバイキング(火曜のみ) 野菜炒め、寿司、焼きそば・・おいしかった〜アディスアベバ→アクスム 05:50 ホテル発    06:10 空港着  ・空港へはバスは横付けできず、離れたところから徒歩  空港入口ではX線チェック→ベルト、時計まではずす。 07:25 エチオピア航空122便にてアクスムへ(出発予定時刻07:00) ・バハールダル、コンダル経由アクスム・FOKKER50 片側2席づつ→フリーシート プロペラ, エチオピアに東アフリカのパイロット訓練所があるくらいなので安全・・・  っていえるのかどうか。  11:15  アクスム着(到着予定時刻10:30), エチオピアに東アフリカのパイロット訓練所があるくらいなので安全・・・  っていえるのかどうか。  11:15  アクスム着(到着予定時刻10:30),13:40 アクスムの観光へ。 13:45〜14:40  オベリスクの見学(三番目に大きい) ・3000年前、ソロモン王とシバの女王の子供メネリクT世が建国したアクスム古王国   紀元後1世紀頃〜アクスム王国→3000年の間に252人の王?,4世紀 エザナ王の時代に最盛期 キリスト教を国教とします。*貿易で栄える 乳香、没薬(もつやく)、奴隷を輸出 *キリスト教導入以前は、月・太陽信仰(イエメン類似)月・太陽の神殿  月→半月,このオベリスクの先端は、アリベラなどの教会群の窓の形などに象徴的に使われている。*紅海で遭難した3人のシリア人(キリスト教信者)を助ける→エザナ王がキリスト教を信仰,*1955年まではエジプトを総司教とするコプト教を信仰→以降、独立したエチオピア正教 ・一帯に75のオベリスクが現存→1980年に世界遺産に指定,一番大きいオベリスク 大きなオベリスクは戦勝記念碑、小さなオベリスクは王家の家族の墓標だとも言われている。 1枚岩の花崗岩で造ら,倒壊したままの状態。 33m 重さ500トン ラムハイ王のオベリスク 3世紀,2番目に大きい26mのカレブ王のオベリスク。 *6世紀 カレブ王は、再びエチオピアの最盛期を作る→イエメンまでを領域に。 イタリア軍が三つに切って、戦勝記念にイタリアに持ち帰るが、2005年に返還され、まだ建立されていない(資金不足),二番目のオベリスクの近くにある、ラムハイ王と家族の地下墓,14:50〜15:15 カレブ王の宮殿・地下墳墓の見学,・カレブ王の宮殿跡→ほとんどが修復 1898年にドイツの考古学者によって発見され、1902年から発掘,カレブ王は、イエメンまでを含む広大な領域を支配するが、早めに王の座を退き、息子のカブラマスカルに王位を継ぎ、自らは修道院で生活(最後の20年間),・右側の地下には、カレブ王の地下墳墓  三つの石棺→カレブ・王女・カブラマスカルのものと言われる,・左側の地下は、宝物殿 地下の入り口が狭くだそうだ盗掘よけ,15:25〜15:40 石碑の見学  ・1980年に発見されたエザナ王の戦勝を神に感謝した碑文   サビアン語(古代アラビア語)・ギリシャ語・ゲズ語で書かれる,ゲズ語→4世紀のエザナ王の時代に完成、10世紀頃には日常語としては使われなくなるが、現在でも宗教用語(聖書はゲズ語)として使われる→今はアマリク語(12世紀頃からラリベラで使い始める)  エザナ王が世界で初めて、コインに十字架を刻む,15:57〜16:24 シバの女王の神殿を見学   ・1950年に発見され、1952年からフランスの考古学者が発掘,・聖書には、シバの女王はエチオピアの王であったと書いてある?→ガイドの説  一般にはイエメンとされている。 ・正面のオベリスク→墓標?   シバの女王の墓、それとも女王ヨディツトの墓?,50の部屋、謁見の間、オーブン、排水溝が残る→建物は修復してあるが殆どが土塊,,16:55〜17:50 新旧シオンの聖マリア教会の見学 *小雨  ・一番古いシオンの聖マリア教会の跡  357年にエザナ王によって建てられる→メネクリクT世がエルサレムより持ち帰ったアークが納められていた→10世紀に女王ヨディツトによって壊される,*この時期(40年間→女王ヨディツトは様々な建造物を破壊)。  ジワイ湖にアークを避難再建するが、16世紀イスラムによって破壊される。 現在は、基礎が見られるだけ,・古いシオンの聖マリア教会下の博物館  野外に置かれている・・・なぜこんなところに・・・,粗末な棚→中に歴代王の王冠、十字架が納められている。  柵越しに見学,・古いシオンの聖マリア教会脇のチャペル。 1960年にハイレ・セラシエ王の妻がチャペルを建設し、古いシオンの聖マリア教会からアークを移す(大勢の人が礼拝に来るので安全ではないため、本物のアークが安置されている)本物はここだけで他の教会のアークは、すべてここ,・古いシオンの聖マリア教会(男性のみ見学) 17世紀、一番古いシオンの聖マリア教会跡の隣に、ゴンダールの王ファシリデスによって、再建,一番古いシオンの聖マリア教会が女王によって破壊されたため、現在でも女人禁制なのだそうだ。 今回、男は私を含めて二人だけ,フレスコ画が美しい。 普段は布で覆われているが行くと係員?が開けてくれる。もちろんチップが必要,とても漫画チックではありますが。,・新しいシオンの聖マリア教会  外観は17世紀のラス・ミカエルの王冠を模している,古いシオンの聖マリア教会が女人禁制のため、誰もが礼拝できる教会を1960年にハイレ・セラシエ王が建設,450年前に書かれた聖書→羊皮紙に植物・タマゴをインクとして描く,これまた大変漫画チックで・・・  子供たちにも入りやすいかもですね,YEHAホテル着(標高2070m)(18:00)   ホテルからオベリスク。 南部と比べて設備が整っています。 お湯が出る 電話・テレビあり 電気は南部よりは明るく、場所をかえれば本も読める,第12日目9月21日(木)  晴れ 25〜28℃度前後    アクスム→ラリベラ 
09:20   ホテル発,09:36〜09:40 街を散策,ラクダが次々と通りすぎます。,いつまでもこんな片足状態で・・・ この方が楽なの?,09:50〜10:00  マーケットの見学,アクスムの人口4万人 ラリベラの人口1万2千人,しばらくは人のウオッチングをさせて貰いました。,10:15   空港着  ・空港入口ではX線チェック→ベルト・時計まではずす,11:20 エチオピア航空123便にてラリベラへ(出発予定時刻10:50),・FOKKER50 片側2席づつ→フリーシート プロペラ
・本日は1便のみだそうだ,マイクロバス→荷物は屋根の上に ・ホテルまで25km,12:35〜12:45  花の写真ストップ   ・ラリベラの教会群について  ・第1教会群グループ(ヨルダン川北) 6個所  第2教会群グループ(ヨルダン川南) 4個所  第3教会群グループ 1個所→有名な聖ギオルギス教会,・アロエ、リュウゼツラン?  ・10世紀アクスムの王DIL NAODを攻め、MERA TERKLE NAYMANOTがラリベラ(当時ロハ)に勢力を移す→これがザグゥエ朝の始まり(アクスム王朝との血の繋がりはない),ザグゥエ朝は1270年まで続く。その300年間に16代以上の王が統治。4人の王(ラリベラ、ラリベラの甥NEKUTO LEAB、ラリベラの兄、ラリベラの叔父)が教会・修道院を造る,・付近はアムハラ族が住む  ・12世紀〜13世紀ラリベラが40年間王位に就く(この時代に街の名前がロハからラリベラに)、内23年間の間に11の教会を建設。,ラリベラの教会は、岩窟式(回りを一周できる)、半岩窟式、洞窟式の3タイプに分けられる,13:40〜14:30 ホテル内で昼食(標高2350m)と休憩   15:20〜   第1教会群グループの見学,・第1教会群グループ(ヨルダン川北)へ 6個所  @聖救世主教会 岩窟式 足場が組まれる  ラリベラ最大 外に36、内に36、計72の柱で支える。外の一部修復(1954年),岩窟式 上部の窓アクスム様式(半円形の月)、下部ギリシャ様式。アクスムの聖マリア教会を模して建設。,内部には、アブラハム・イサク・ヤコブの天の墓,,A聖十字架教会 半洞窟式 足場が組まれる  外側は半円形の模様,,アークが入っていたという器,B聖マリア教会 足場が組まれる ラリベラが最初に建てた教会,柱には布が巻かれている ラリベラの紋章、,この教会の責任司教,人類の発祥と終末を象徴する壁画  フレスコ画,聖マリア教会の内部見学後、右手には王家の祈りの場所,C聖処女教会
左手には洞窟の入り口→聖処女教会,次の教会へ,D聖シナイ教会
入り口に頭に紫の布を巻いた聖職者,聖シナイ教会と聖ゴルゴダ教会をあわせて、聖ミカエル教会とも呼ぶ,二つの教会は中で繋がっている,天井の十字架,もう一つの天井の十字架,E聖ゴルゴダ教会→女人禁制 ラリベラ王の棺,,,お葬式で墓に埋葬した後、帰る人々   死後3日間は「泣きの日」というのがあり、集まってみんなで泣くそうです。,その後、40日(日本の49日)など、死後7年まで法事の行事があるそうです。,,ラリベラが聖地を模して、ヨルダン川と名付けた,十字架が立っています,16:30〜17:10  聖ギオルギス教会の見学,・第1と第2から少し離れた所にあり、第3グループとも呼ばれる。 高さ15m、幅12m、奥行き12mの正十字形,3階建ての外観で、アクスムの時代を代表する教会。ラリベラが最後に建設,ノアの箱船を象徴→下の窓はニセ窓(船を意味する),岩の裂け目はアララット山を意味する,16世紀の巡礼者のミイラ,司祭→12使徒を引き連れたイエスをかたどった十字架、聖ギオルギス教会の十字架、聖書,ROHA ホテル着(17:20)  アクスムのYEHAホテルと部屋タイプはまったく同じ。 お湯が出る(朝晩とも6時〜9時) 電話・テレビあり 電気は南部よりは明るく、場所をかえれば本も読める,第13日目9月22日(金)  晴れ 25〜28℃度前後 朝晩は涼しい         ホテルの外を散策,09:05〜  第2教会群グループへ 4個所、地下道で繋がっている教会が多い,@大天使ガブリエルとラファエル教会           内部で繋がっている,ラリベラ王の宮殿として使用されていたと考えられる,建物の脇には天国への道 72mの地下道で他の教会と繋がっている(現在は通れない),@→A苔むした通路  A聖マルコリオス教会  ラリベラで2番目に大きい教会だった,ベツレヘム→32mの地下道→聖マルコリオス教会(15年前に修復),,壁画が残る→フラッシュ禁止,B聖エマニュエル教会 第2グループ唯一の岩窟式  屋根には被いが掛けられている イタリア占領時の破壊痕,12使徒 3人のシリアからの伝道者(伝説参照)を表す数(建物は3階建て→地下を含む),外側の下の窓は、アクスムのオベリスクと同じ様式          王家の教会だと考えられる,C聖アバ・リバノス教会 洞窟式。 父・リバノス(レバノン)の意味  ラリベラで最小、唯一の洞窟教会 足場が掛かっている,説1.ラリベラ王が妻のマスカラ・ベルのために建設,説2.ラリベラ王の妻マスカラ・ベルが建設,修道院を教会に換える 妻マスカラ・ベルに関連する教会なので女性の信者が多い,14:25〜15:20  ネクトレアブ(Neakuto Leab)修道院へ ・13〜14世紀、ネクトレアブによって建てられた修道院,ネクトレアブ→ラリベラの甥でザグウェ王朝最後の王→ラリベラを代表する4人の王の1人  20世紀になってメネリクU世によって修復,教会→礼拝のみ 修道院→修道僧(100人程度?)が寝起きをし、信者等も礼拝の礼拝のために宿泊できる,聖なる水が湧き出る事で遠くからも信仰を集める  この水が霊験あらたかだそうです。,エチオピア正教では、水・金に聖なる曜日で、礼拝者が多い             若い修道僧,・修道院を出たら、子ども達がリズムのいい合唱を。       お金と飴を提供,15:50〜19:00   自由時間  19:00〜  ホテル内で夕食 ・スパゲッテイ・ミートソースかトマトソース  *常にガイドは他のホテル、食事は一緒にしない          
フ〜〜!  アリベラのアルバムは疲れる〜〜第14日目9月23日(土)晴れ25〜30℃度前後 ラリベラ→バハルダル 
07:50  ホテル発   ・昨日のリコンファーム時点で2時間飛行機の出発が早まる。  
08:50   空港着,・空港入口ではX線チェック→ベルト・時計まではずす  09:50  エチオピア航空123便にてバハルダルへ(出発予定時刻11:50),FOKKER50 片側2席づつ→フリーシート プロペラ機  ・アクスム、ゴンダール経由バハルダル。 その日にの客数よって経由地が入れ替わったりする。まるでタクシー並みです。,12:20 バハルダル着(到着予定時刻13:30)(標高1765m)  ・経由が多いため、到着時間はほぼ同じ。 ・降りた客 我々+1名 乗った客なし,空港に貼ってあった、タナ湖周辺と青ナイルの滝の地図です。,12:35   空港発  ・アムハラ州の州都バハルダル 15万人,街には赤い花→ガイド曰く火炎樹が咲き誇る→今までで一番きれいな街,13:10 ホテル着   13:30〜14:30 ホテル内で昼食  14:50 ホテル発,5:00〜15:35 土曜マーケットの見学,・テフ、インジェラを焼く器等の見学 オレンジ・唐辛子の粉末購入,しばらくは人間ウオッチングをさせていただきます。,,,ビニールが落ちていて、南部と比べてバザールは汚い,,よく見ると中国製品だらけでした。  15:45  ホテル着,16:05〜16:35   船でタナ湖を横断し、半島へ  ・きれいな12人程度の船 半分は屋根,タナ湖  青ナイルの源流 3600? 対岸までは60km 大きいです。,半島に到着,16:35〜16:55  徒歩でウラ・キダネ・メレ修道院へ  ・終始子ども達がつきまとう→学校が始まるからペンをくれ、ノートを買ってくれとせがんできます。,それもかなりしつこかった。  ガイドの話、子供時代は教科書をシェア、今の子ども達もペンがない場合は、ペンをシェアしたり、先生の物を盗んだりした。,6:55〜17:30  ウラ・キダネ・メレ修道院の見学。  ・半島の住民5000人,16世紀に建設  15〜16世紀 イスラムの勢力が強くなり、宝物等をタナ湖の島・半島に避難させる(当時多くの教会・修道院が破壊された)  タナ湖の30島の内20島に修道院,修道院の壁画    修道院は修行のため世俗と離れたところに建設する。 畑は耕さず、野生のコーヒーやレモン等  を収穫→街で交換、またお布施などで生活します。,・円形の修道院→エチオピアの一般的な形→聖書に書かれたソロモンの時代の寺?も同じ形なのだろうか。 以前は茅葺きで今トタン屋根,やっぱり漫画チックですね。  でも原色で美しい,17:35〜17:40   博物館の見学   ・寄付された王冠、法服などがありましたが、暗くなってしまい写真は全滅,その他、テオドロス王の王冠   バスコダガマの息子→16世紀にポルトガルからエチオピアの対イスラム戦争の応援に来るが、タナ湖周辺でなくなったそうです。,修道院から港へ戻るときの景色です。,18:00  船でホテルヘ   小さい船が・・,・タンクワァと呼ばれるパピルスの船です。,18:45 ホテル着    LAKE TANA ホテル(BAHIR DHR TANA) バハルダル→アディスアベバ ,朝、恒例の散歩 
ん?  何かがいる!,モンキーでした。 くりっとした目が可愛い,子供たちらしい。 詳しい名前が判らない,どうやらこれが親らしい。
08:05  ホテル発  青ナイルの滝へ,街の教会前、沢山の人々が。 何事かと思ったら、お祈りに遅刻した人が、音を立てられないので、外で祈っているんだそうです。 学校で遅刻、立たされている気分かな?,車窓から,今日は、アジスアベバへ戻る日 こんな景色も見納め,まだ見ていたい気がする風物詩,何日かぶりのシェラトンも捨てがたい,湯船にゆっくりと入れます。   09:00〜09:10  水力発電所ゲートに到着ローカルガイドがつく,青ナイルの滝管理事務所がある街   かなりの貧困層・・・国境から近いので難民の街か?,09:15〜  大雨期が終ったばかりで、15分で行ける道が通れないらしい。  暫く車で行きここへ駐車。 ここから3〜40分歩きます。,・ファシリ橋 17世紀ポルトガルによって建設 ,ゴンダール州とゴジェム州を結ぶ重要な幹線→当時青ナイルに掛かる唯一の橋  橋の真ん中から,あれ?  トンボがとまってる,橋から反対側の景色,橋の下 青ナイルの滝から流れてきています。,橋の下 青ナイルの滝から流れてきています。,さすが幹線道路、かなり多い通行人たち。, これは鶏の行商人?,黄色い花が一面に。今、花が一番多い時期だそうです。,タナ湖のダムが見えます。,09:50〜  最初の滝が見えてきました。   最も左のこの滝はダムの下の滝,大雨期が開けたばかりで水量が大変多い。,乾期が進むとここの部分だけ。 しかもこの半分もなくなってしまうそうです。,かなりの迫力,2番目の滝,3つ目と4つ目の滝が見えてくる。 今回は4つの滝が広がる,最も右の滝が最大で高さ40m、幅400m,乾期には青ナイルの水の75%がダムへ,源流はタナ湖から、川を遡り、更に167km上流,合成してみました,バスへ戻る途中、インジェラを作って売る店が。,Teffを発酵させてできたものを、鉄板にクレープのように敷きます。,Teffを発酵させてできたものを、鉄板にクレープのように敷きます。,できあがり。 見た目はとても香ばしそうなのですが酸味があってどうも食べにくい。,スルーガイドの話では、5段階ぐらいの品質があって、ここのは一番下に近いそうです。,途中、ハイレ・セラシエの別荘   12:10〜12:25 タナ湖を見下ろす見晴台  12:45ホテル着  13:50〜14:00 ホテル内で昼食,14:00  ホテル発  ・昨日のリコンファーム時点で1時間飛行機の出発が早まる,,18:30   アディスアベバ着(到着予定時刻18:00),19:20    ホテル着
20:05    ホテル発,YOD ABYSSINIAレストランで夕食(20:15〜22:20 ),・踊り+歌の付きの伝統的なレストラン→地元客も多い,・インジェラがおいしい高品質のせいか。 エチオピアでは生肉も食べる→牛・山羊,エチオピアの音楽は、日本の演歌にとても似ていて効いたことがあるような曲ばかりだった・  日本の曲「しょじょじ」が演奏された,第16日目9月25日(月)  曇り アディスアベバ  13:00  ホテル発  ・9月26日はマスカル祭り  ・車が止まると物乞いが多い→南部の時と違い、運転手は何もやらない   4:33〜15:20 TOMOCAにてコーヒー豆購入,・しゃれた立ち飲みの喫茶店→コーヒー豆も販売している  ・HARERのコーヒー→エチオピアで一番品質がよく、輸出用,・コーヒー発祥の地KAFFAのコーヒーも購入 紅茶もエチオピア産を売っている。・カルディス→伝説上コーヒーを発見した子供→よくコーヒーショップの名前に使われる,15:30〜15:55  国立博物館 ・さっと一階だけ見学,・20万年前の頭骨,・ルーシー→学術名Australopithecus Afarensis 1974年にアメリカ人によって発見される。 当時はやっていたビートルズの歌「Lucy in the sky with diamonds」からルーシーと名付けられたが、エチオピアではDinkneshと呼ばれる,320万年のほぼ完全な形(45%)の骨(化石)のコピー→本物は、数ヶ月前にアメリカの展覧会用に貸し出される。エチオピアでは本物は展示していなかった→エチオピアで本物を展示していなかったのに、どうしてアメリカで展示するのか!という批判も多い。 二本足で歩行しはじめた旧人の貴重な骨→また旧人と原人を繋ぐ重要な資料。 アファ州で発見されたため、学術名はAfarensisと名付ける。正確には、大地溝帯に位置するアファ州のアワッシュ地区Hadarで発見。 16〜18歳の女性,メルカートの車窓見学。 ・泥棒は恥→恥の文化が浸透 盗む人はほとんどいないそうです。 良い習慣です,・アフリカ最大の野外マーケット→ここではメルカートと呼ぶ,,・王政時代、イスラム教徒は土地をもらえず、商売人になる。  メルカートの商人のほとんどがイスラム教徒,17:15 空港着  17:15〜18:25  すべての手続き。 ・きちっと並ぶ→割り込みがない。 ・ガイドは、航空会社カウンターまでの入ることができない,・チケットは、関空まで ・チェックインは時間がかかるが多少の荷物のエクセスは問題なし  20:25  エミレーツ航空724便にてデュバイへ(出発予定時刻19:35),第17日目9月26日(火)  関空26℃ 羽田 雨   デュバイ→関空→羽田   03:10 エミレーツ航空316便にて関空へ(出発予定時刻02:50)・ほぼ満席  17:25  関空着(到着予定時刻17:20)  20:05  羽田着(到着予定時刻19:50)


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