海外編
アフリカ地中海の道
北アフリカ地中海沿岸の国、エジプト、リビア、チュニジアを、全て陸路を通しての旅行記です。
@考古学博物館
エジプト カイロ
31枚
Aピラミッド
25枚
Bアレクサンドリア
エジプト
56枚
Cマルサマトルーフから
エジプト・リビア国境のベルベル人の町へ
77枚
Dキュレーネ遺跡とアポロン遺跡
リビアキュレナイカ地方@
74枚
Eカサール・リビア、トレマイヤ、トクラの各遺跡
とベンガジのスーク キュレナイカ地方A
83枚
Fミスラタからレプティスマグナの遺跡
リビアトリポリタニア地方@
76枚
Gトリポリ市内観光
43枚
Hサプラタの遺跡@
49枚
I砂漠の中のへ
ベルベル人の貯蔵倉庫があるガバウからガダメス
42枚
Jベルベル人の旧市街
ガダメスの町
37枚
K砂漠の民トワレグ族と
砂漠のサンセット
33枚
Lチュニジアの国境を越え
マトマタまで
18枚
Mベルベル人の家を見学後、
砂漠の町ドゥーズへ
27枚
N大塩湖ショット・エル・ジェリドを
見ながらダル・シュライトへ
61枚
Oトズールからスベイトラの
ローマ遺跡を見てケロアンへ
40枚
Pケロアン滞在、
市内観光とエルジェムの円形闘技場
57枚
Q最終地チュニスへ
カルタゴの遺跡
45枚
Rチュニス観光と帰国
27枚
Happenings & feelings in 北アフリカ 地中海の道
エジプト地中海
エジプト考古学博物館、オシリス、ハトホル神、パピルス、ツタンカーメン、
ピラミッド、クフ王、ルクソール、
アレキサンドリア、クレオパトラ、カタコンペ、カイトベイ、
マルサマトルーフ、国境の町、ベトゥイン、ベルベル人
リビア
リビア キュレナイカ,リビア、フォーラム(集会所)、バジリカ(裁判所)、ローマ、円形劇場、円形闘技場、神殿、公衆浴場、モザイク、ビザンチン、アポロン、サートリーニ島、ドーリア式、イオニア、コリント、アポロ神殿、ゼウス神殿、
セレウコス朝、プトレマイオス朝、キュレーネ遺跡、 東ローマ、トレマイヤ、スーク、アラビア、コーラン、ベンガジ、ミスラタ、チェックポイント、ネーミングリスト、モスク、
リビア トリポリタニア,ミスラタ、リビア最大の遺跡、ラプティスマグナ、セウェルスの門、カルタゴの港町、セプテミウス・セウェルスハドリアヌスの大浴場、社交場の定番、公衆便所ニンフ(神)の神殿 ヘルメスの神、フォーラム(集会所)、バジリカ(裁判所)、メドウーサ、コリント様式(アカンサスとハスの花が彫られているのが特徴)、市場跡、カルタゴの船、ポエニ戦争、ギリシャ、フェニキア、ローマ各国の特産物、トラジャノス帝の凱旋門
トリポリの町のスーク、
サプラタ 円形劇場
ガリヤン、ガバウ、砂漠地帯、穀物貯蔵庫、
カサール・リビア ガダメス、ナツメ椰子、ベルベル人の町
トゥアレグ人、サハラ砂漠、、ハジ、トワレグ族、ラクダショー、砂漠の風紋、自然のショー、ナルートグランデ川、ベトゥイン
チュニジア
チュニジア
マトマタ、スターウォーズの撮影に使われた
ファトサナ、ドゥーズ、ショット・エル・ジェリド、コルベイユ、ダル・シュライト博物館
トズール、スベイトラ、ケロアンメディナ(旧市街)、スベイトラのローマ遺跡
シディ・サハブ霊廟、グラン・モスク、エルジェムの円形闘技場、スースのメディナ
ケロアン→ナブール→ケルクアン→チェニス、カルタゴの遺跡、トフェ(タトニ神)、ローマの石切場、ビュルサの丘
アントニヌスの共同浴場、シディ・ブ・サイド、チュニジアンブルー、 ベトゥイン、ベルベル人
カイロの空港へ到着。 これでチュニジアのチュニスから 帰国の途に着くまで飛行機には 乗らないことになります。,ラムセス ヒルトンホテルより ナイル川を望む,,翌日、まず最初の観光 エジプト考古学博物館へ,,古王国のエリアからです,第1〜6王朝まで 紀元前3400年ころのものが主体です,,数ある神々のなかで、特に知られるオシリス、ハトホル神,,このあと数ヶ月後には、館内の撮影が 許可にならなくなったそうで、貴重な写真 になりました,とても古王国時代のものとは思えない、 リアルな彫刻です,,後ろに偉大な神として、鷲を配置されています。,古王国の墓から掘り出された 色鮮やかな埋葬された夫婦の塑像 どのパンフレットなどにも載っていて 有名ですね,数少ない中王国の発掘品のコーナー にはいります,中王国の発掘品 出土品が少ないので、そのころの歴史は、 詳しくは解明されていないとのことです,新王国に入りました ハトシェプスト女王の像だそうです,ピルスに描かれた神々の絵巻 鮮明な色は3000年以上前のもの とは思えません,パピルス,ここからは新王国のツタンカーメン のコーナーです 一番外側の棺,あまりにも有名なツタンカーメンの黄金像,,一番内側の棺,,お墓の出土品,,,お墓の出土品 ツタンカーメンの玉座 これも大変よく知られています,発掘されたときのお墓の状況ですカイロの町を散策です,,,,果物屋さん こういうお店には、必ず足を運んでしまいます,,バス停はないけど、人が集まるところには止ってくれるようです,,ピラミッド見学の前に、それが見える野外レストランで昼食。,ショーのための椅子席や、レストランホテル群が にじり寄るように迫り、まるで箱庭のよう。,10年前に来たときは、全くそんなものはなく、 当時の迫力は全くなくなっているように感じました,こんなに狭かったのかしら もっとスケールが大きかったのでは 食事中、その気持ちでいっぱいでした,ジョセル王が最初にピラミッドを造る(階段ピラミッド) 後に、この三大ピラミッドが建てられた,,,スケール感を実感したくて、第1ピラミッド(クフ王) にて写真ストップ゚ 。 さすがに近づくと大きいです!! ピラミッドのそばへ寄って改めて大きさを確認,,反対側に移動して、ピラミッドの中を見学。,前回来たときに見ているし、特に撮影 できるところもないので、私は外で待機しました。,周りの風景です,ピラミッドの中を見てきた人たちのお帰りです,遠くにサッカラのピラミッドが見えます,少し離れた展望所からの撮影,又、表側に戻って、参道やスフィンクスの見学に入ります,川岸神殿とスフィンクスの見学
現在エジプトには93のピラミッドが残るがうち、17〜18個が完全な形で残っています。中王国の発掘跡は無いが、新王国第17〜22王朝によって、ルクソールの岩山に一連の墓が掘られました。今回は地中海沿いの旅でルクソールには訪れないのがちょっと残念パピルスの店(出発より29km)
15:05 アレキサンドリアへ・昼間の大雨で道に水が溢れている
16:20〜16:40 トイレ休憩(出発より125km),16:20〜16:40 トイレ休憩(出発より125km)
18:40 ホテル着(出発より261km),翌朝、ホテルの周りを散歩
アレキサンドリアの人口800万人 エジプト第2の町,パレスティンホテル
公立公園の中にあります。・紀元前332のアレキサンダー大王の侵入以降できた町→南北35kmの町の大きさは当時と変わらず→プトレマイオス朝の首都(クレオパトラが住んでいた町),アレキサンドリアという名の町は、世界中に13〜14個所あって1年に1度会議があるそうです,,1892年に建てられた、王家の夏の宮殿の敷地内(現在公園)に建てられたこのホテル。1952年のナセル大統領の革命後、一般に開放されました,第4日目1月10日(土) 晴れ後曇り 昼間18度、朝晩は10度前後
アレキサンドリア→マルサ・マトルーフ 336km
09:00 ホテル発,09:30〜10:25 グレコローマン博物館の見学(出発より17km),写真・ビデオ無料→フラッシュはだめ
ローマ時代の早々てる顔ぶれの像の展示だそうで、私には良く判りません,入館の際には、手荷物検査→X線 ・紀元前3C〜7Cまでのアレキサンドリアで発見されたもの陳列,唯一残る第7代クレオパトラの頭だそうです,これと・・・,このあたりの作品の人物の名前は知られている方も多いのでは,紀元前3C〜7Cまでの、アレキサンドリアで発見されたものを主に陳列しているそうです,トイレ1E£,博物館の中庭
まだ陳列されていないものなのか わざとおいてあるのか、ローマ時代の遺跡がゴロゴロ転がっていました,10:40〜11:15 カタコンベの見学(出発より20km)カメラ禁止。紀元2〜6Cのローマ時代に作られた地下の墓
アレキサンドリアでは5〜6個所発見されているそうです,カタコンペの撮影禁止でその代わりにその周りの下町を散策します,,,,下町という雰囲気です,2本目の裏通りでは青空市場が開かれていました,露天市場,ワッ!という感じで、子供たちがあっという間に集まってきました,,私たちを見て、子供たちがあっという間に集まってきた,写真を撮って欲しいらしく完全に取り囲まれてしまいました,かなりにぎわいのある、露天市場でした,11:18〜11:40 ポンペイの柱の見学 紀元2〜3Cあるいは6Cに建てられたらしい,ラムセス神殿の上に、建てられた柱で、当時灯台の役目を果たしていた。
どこから持ってきたのか不明だそうです,,アレクサンドリアの町方面,付近を散策です これがバス旅行の神髄 現地の文化を味わい、時によっては交流も・・・,古い町を歩くのはホントに楽しい!,12:05〜12:15 カイトベイ要塞の写真ストップ(出発より27km)
かつて古代世界7不思議のひとつに数えられた大灯台跡に建設された,カイトベイ要塞 15世紀大灯台は120mもの高さがあったと言われ、14世紀に地震で崩壊した,カイトベイ要塞 の後ろ側の風景です
12:20〜13:30 FISH MARKETにて昼食(出発より29km) ぼらのグリル
13:30 マルサ・マトルーフへ,FISH MARKETにて昼食 この膨らんだナン(ここではパンといっている)が凄く美味かった,マルサマトルーフへ バスに乗り込み、出かける前に若い女性から声が、・・・,写真を撮って欲しいらしいので有り難く撮らせて頂いました。 アリガトー!,リゾート地が続く海岸をひた走ります,ズーッと地中海に沿って走ります,日が暮れてきました マルサマトルーフから170km手前の砂漠には、ドイツ・イタリアの無名戦士の墓地があるそうです,ヒトラーなどのファシズムによる侵攻のため、現在でも付近には200万個以上の地雷が埋まっているので、奥深くは入れないそうです
奥にはリビア砂漠が・・,サンセットを撮影しながらドライブ。マルサマトルーフから140km手前には、原子力発電所があります,エジプトの電力の80〜90%はアスワンハイダムからだそうで シリア・ヨルダンにも輸出しているとのことでした,食事用の、鳩小屋での写真ストップ ,一棟に300羽が入っているそうです,又子供たちが集まって,,ついには大人まで・・・・,ホテル着(出発より336km)
私の希望で特別にコシャリという料理を用意してもらう,パスタを5ミリぐらいに切ったものの上に、レンズ豆など2〜3品入っていて、その上にタレがのっているもの ,家庭料理の一つで週に1〜2度は食べるという
いつもはホテルでフルコースのはずですが、私の希望のためこのコシャリだけしか食べられませんでした。お陰で皆さんに迷惑を掛けてしまったようで・・・マルサマトルーフのホテルの窓から,,,朝、恒例の散歩です,海岸が近くにあるのでそこへ行ってみました,地中海から間近にある町マルサマトルーフです,しばらくはウットリと見ていたがとても寒い!,今日は国境越えがあり、いつものことですが、陸路の国境越えでは強い緊張感を感じます,ホテルの部屋から地中海を・・・ ,リビアとの国境の町サルーンに向かって出発!!,ここは北アフリカに一番はじめから住んでいた、ベルベル人の町
一番の繁華街なのだろう 多くの人たちが食堂などのそばに余暇を楽しんでいるようです,エジプト最後の日ということで、感じたことを書いてみます。エジプトの滞在はカイロ、アレキサンドリア、それと地中海リゾート地のマルサマトルーフの3泊のみでした。カイロは、前と比べて全く様変わり。スフィンクスの脇にショーなどの観覧席が出来、その後ろにはレストラン群ビルや家が、ピラミッドへにじり寄るように迫っていました。 昔見た時の迫力が消え失せ、スフィンクスも全然小さくなってしまった感じで、全体的に箱庭をみているようで、がっかり。 世界中の景色や遺跡が同じ運命にあるようで、今の内に早く見ておきたいと改めて思いました。,アレキサンドリアは南北35kmの町の大きさはプトレマイオス朝の首都(クレオパトラが住んでいた町)の当時と変わっていないそうです。主立った遺跡は殆どが海の中、私たちには見ることが出来ません。アレキサンドリアという名の市は、世界中に13〜14個所あり、1年に1度会議がある会議があるそうです,ポンペイの柱、カタコンペ(お墓の地下遺跡)それと博物館だけの見学でした。 マルサマトルーフは近代的な地中海の別荘地。前回のナイル川沿いの遺跡巡りとは、全く雰囲気が違った旅でした。,食堂の前の道での風景です,,イスラム圏では、いつも見ることが出来る 水パイプです,ベドウィンの放牧風景,,雲行きが少し怪しくなってきました,ここ2・3日の間で、エジプト人がリビア入国の際にVISAが必要になったとのことです
リビアでは、200万人のエジプト人が出稼ぎで働いていますが、麻薬の密輸等のことも関係しているのでしょう,どうやら下校時間だったらしい。おびただしい子供たちがにぎやかにこちらへ集まってきています,色々とこちらに話しかけてくるのだが、アラブ語で全く分からない。少しだけでも言葉が分かったらと思うのですが,そばにいるのが楽しいらしく、なかなか立ち去ってゆきません
でも、誰もが素朴でカメラを向けるとうれしいらしく、笑って姿勢を正したりします,エジプト人以外は、殆ど訪れることのないところだそうで、終戦後、私たちがアメリカ人を珍しげ見ていたこととオーバーラップしました,,わたしにとっても結構楽しい時間でした
こういうのがあるから、また旅行をしたくなるのですよね〜,,,,,さて、そろそろ食事をしなければ,この町の小さな食堂で定食を・・ ここのご飯というやつが本当に美味しかった,やきそばを細かく切ってご飯とともに炒めた感じのもので、日本人向きの絶妙な味がしました,炭で焼いた羊の肉ケバブ(シシカバブー)、も他ではなかなか味わえないおいしさだった ,,,あの山を越えると国境があります,食後の休憩です,,,いざ!国境へ向かって出発
いつも、陸路の国境越えは、何があってもいいように時間の余裕をたっぷりとって行動しますが、何が起こるか判らないので緊張します,丘(270m)を登り切った所から更に国境まで7km
嵐のようなカミナリと雨が急に降ったため緩衝地帯(約500m)を交渉して、特別にバスで送ってもらう 順調だ
そしてバスに荷物の積み替え エジプトのバスとガイドが帰り いよいよリビアです陸路でアフリカの地中海沿岸(エジプト、リビア、チュニジア)を走りました。 その中のリビア キュレナイカ地方の部です,まずはキュレーネ遺跡の観光(出発より18km) ギリシャが作り、後にローマが使った典型的な遺跡です フォーラム(集会所),フォーラムとバジリカ(裁判所)の境となる壁の列柱 BC5世紀頃ギリシャによって建てられ、BC4世紀にローマが統一されることによって使われる事になった,バジリカの出入口 この遺跡は紀元以降に建てられたものが多い ,バジリカの出入口(外側)です,回廊の壁,フォーラムの周りにはトレーニングセンターのようなものがあり、ローマ時代の人々はここを走って、健康に留意していたのですね。 今のトレーニングジムの大きなものらしいです,フォーラム、バジリカの外にある”王道” 今は無いが、この道の先にはアクロポリスがあります この道でもジョギングなどをしていたようです,フォーラムから王道への出入口 ここでローマ時代の町に必ずあるものを・・・ フォーラム、バジリカ、トレーニング道路、公衆浴場、公衆便所、円形劇場、円形闘技場、大小の神殿etc,この町にはこのくらいの規模の円形劇場が3つありました。 ここは一般の市民のための円形劇場。 フォーラムと王道を挟んで向かい側に位置する,王道に沿って各神々が彫られた列柱が続く,神たちに見守られながら、歩いたり走ったりしていたという事です,,二つ目の円形劇場、 ここは今でも現役として使われているそうで、ギリシャ時代はVIPの為に使われました。 BC4世紀に建立,王道の先の遺跡風景。 とても広いです,公衆浴場は非常に大きく、部屋数も多い。 ローマ時代には大切な社交場だったそうです,モザイクや大理石を配して・・ 現代の温泉センターなど及びも付かないほど素晴らしいものだったことがよく分かります,この色とデザイン見てください。 現代のものとなんの遜色も無いですね。 2000年前のものとは思えない,三つ目の円形劇場 寂しいところにあるわけではありません 周りがまだ未発掘なだけです。 まだまだ沢山お宝が埋もれているんですね〜,今まで見てきたところを振り返ります フォーラムとバジリカ、その前の王道を挟んで、円形劇場や公衆浴場などが対面に並んでいました。,,先ほどと同じ、王道に沿ってフォーラム、バジリカの先の遺跡です。 町の広大な遺跡です。 民の家や施設などの跡ですが、やはり頑丈な小神殿が目に付きます。,ここは女性を踊らせたりして会食をしたところ,,,,勝利の女神の像 足の下にイルカが彫られている,小神殿、 生け贄の動物を捧げる場所があり、血を流す溝や匂いを消すための、お香木を燃やす場所があります,小神殿 別角度から,,アクロポリスがあったあたり 岩に穴があいているのはビザンチン時代に使われたお墓だそうです,丘の下にはB.C.6世紀、水不足でティーラ(ギリシャのサントリーニ島)を抜け出した島民たちが、アポロンの神の導きでたどり着いた最初の町といわれる遺跡があります,塀に沿って道が出来ています。 最初に下の町へ移住してきて人口が増え、狭くなって後から今まで見た丘の上の町が出来たものだそうです。,下の町の入り口につきました,下の町の全体を,,サートリーニ島から求めてきたというアポロンの水。 今でも流れ続けています,,アポロ神殿 BC7世紀に建立 民の命の源の神をまつる。 さすがに大きいです 一番古い形式、ドーリア式の柱、ローマの柱の様式はイオニア、コリントと3つの形がある,,,アポロ神殿の周りに建てられた神々の像,アポロ神の奥さんの神殿、動物と戦った強い神だったそうだ,,崖っぷちに面した円形闘技場,円形闘技場 それほど大きくはありません 最初に町が出来た当初の人工に合わせて作られているそうです,公衆浴場 やはり綺麗で大きい いくつにも部屋が分かれています,公衆浴場 上の方から,近くの海が見えます。 港も出来ていたそうです。 海の国ギリシャの民ですから当たり前ですね,,,キュレナイカ地方二つ目の遺跡観光 アポロン遺跡 地中海の海に面した素晴らしいところにある,ギリシャ人は”海の民”だ。 山の上に町を築いても港町を必ず作った。 山のキュレーネ遺跡の他に海に近いところにアポロン遺跡という港町を作りました。 ギリシャが作った他の地区のローマ遺跡も大体この形を取っています,潮風に吹かれるせいか、キュレーネ遺跡に比べて形は整っていないようでした,しかし海とのコントラストがすばらしい!,風に吹かれて気分爽快です!,地中海を眺めながら少しリビアの国の事を書こきます。 まずは人々 70%はアラブ人、10%ベトゥイン人、10%ベルベル人、10%トゥアレグ人 ベルベル人は原住民族で、トゥアレグはベルベル人の中の違う種族,海に面した円形劇場 リビアの人口は500万人、外国人労働者600万人(内300万人はエジプト人)トータルで1100万人 ちなみにエジプトの第2の町アレクサンドリアが800万人です,ニジェールから出稼ぎ目的で、サハラ砂漠越えをして来たが、生き残った人が3人だけだったという逸話があるそうです。 リビアはそれだけリッチな国なんですね,オイルマネーで砂漠から水資源を取り出し、水、それと医療、教育費は無料、電気ガス代もわずかだという,テレビもアンテナの設備をすれば、衛星放送を400チャンネルも見られるとのことでした,人も皆素朴で親切で優しく、とても陽気 リビアに入る前までとはイメージが一変してしまった。 アルコールはいっさい飲めません,特殊な石を使った柱,柱に大理石が使われ得ています,町に戻り昼食 リビアの食事はスープが基調で色や味は違うが、必ず小さく切られたパスタが入っていて、どこで出されても大変美味しいかった。 もちろんメインディッシュや前菜、デザートも美味しかったですが・・,ゼウス神殿 ここは町やキュレーネ、アポロン遺跡からかなり離れたところにあります。 大きくて荘厳だ,やはりドーリア式の柱で一番古い時代のもの,ギリシャの全盛期はBC7〜4世紀、 BC4にアレクサンダーが死去と同時にギリシャは分裂し、シリアセレウコス朝、エジプトプトレマイオス朝、ローマ、などが勃興,BC3世紀にローマによって統一される,ホテルに戻る 連泊二泊目 やっとリビアでのホテルを撮る余裕が出来ました,今日は昨夜の分もたっぷり寝かせていただきます おやすみなさ〜いこれからベンガジに向かって出発です,思ったより、緑が多いのに驚き。 山の中を走ります,砂漠が90%だが地中海沿いは扶養な土地ばかりだそうです,リビアは3の州に分かれています。 地中海の東部キュレナイカ地方、 西部のトリポリタニア地方、 それと砂漠だ,歴史的には、ベルベル人の時代、ローマ時代、ビザンチン時代、アラブ人の時代にわけられます。 ワッディ・クゥーフの橋にて写真休憩(出発より22km),カサール・リビアの見学(出発より46km)です ビザンチン時代の教会跡,この穴のあいたところにモザイクがありました。 そのモザイクを全部保管し、博物館に展示しています,博物館を見学,これより6・700年も前のローマ時代のモザイクに比べると荒いし、色や技術も劣っています。 6世紀以後なのにやはり国の勢力の違いなのでしょうか。,しかしビザンチンは東ローマからトータルでは1000年からの時代を築いているわけで・・・・,,,,,,,,,ビザンチン時代の教会の中です 次の遺跡へ向かいます,トレマイヤ(プトレマイオス)の遺跡見学(出発より120km),円形劇場です あまり大きくはありません,町のフォーラム,付近に咲いていた花です,フォーラムの床下には貯水槽のトンネルが掘ってありました。 中に下りてみる事に,貯水槽の大きさから、この町の人口が推測されルそうです。 約3万人ということでした,雨の水と山から流れてくる水を貯水槽に溜めて利用した,ここもアポロン遺跡と同様に「港町」として栄えました,,遺跡が残っている部分を一回り,地下の貯水槽が表に出てきた部分,なんと亀が目の前に現れた。 後でスークを散策したときにこの亀の3cmぐらいのものが売られていました これは15cmぐらいありそうです,遺跡から戻る途中、下校中の学生にあいました。 カメラを指さしたら、気持ちよくこちらを向いてくれた。 こういうときはホントに嬉しいですね〜,遺跡入り口にある、プトレマイオス遺跡から掘り出されたものの博物館へ,改めてローマ時代に作られたモザイクは素晴らしいと思う,,このころは、このあたりにも猛獣が沢山いたという事がよく分かります,,,色と良い現代に負けないし、芸術的・・・,どれを見ても本当に優雅な時代だったようですね,,,,,,プトレマイオス遺跡から,,,,専門家はこの足だけを見て、色々な場面や物語を想像することが出来るそうです,しばらくは、地中海に沿ってのドライブが続きます,,トクラの遺跡の観光(出発より162km),遺跡はまだほとんど発掘されていないようで、これはローマ時代のお墓だと言うことです,トクラ遺跡。 オスマン・トルコ時代の城塞を観光 部分的にローマ時代ものが利用されています,あまり見るべきものがありませんでしたが、相当大きな、ローマ時代の遺跡がまだ埋まっているそうで、こらからが、国の観光財産として期待されています,ベンガジのホテル着(出発より234km)後、スークの観光にでました,とてもにぎわっています,,スークの肉屋さん,お店を覗いたら、ニコッと笑いかけてくれ、写真を向けたら素晴らしい笑顔を作ってくれました,この作りたての熱いパン(ナン)が最高に美味しいんです 3枚ほど買ってみんなでかじりながら散策を・・,どこを歩いても私たちが珍しいらしく、回りから注目の的に,遠巻きに沢山の人たちが集まってきて、人だかりが出来てしまう,露店のお店により、アラビア語のキーホルダーを作ってもらう 1コ0.5ディナール 1ドル1.3ディナールです 安い!,スークのお店,一人の若い男性が話しかけてきた。 日本人だと云ったら、一生懸命 Good People を連発、カメラを向けたら、MyFriendsといってあわてて二人を呼び寄せて写真に納まったのでした 撮って欲しくて話しかけてきたらしい,アラビア語の値段表。 全然解りません!!,コーラン用の時計。 その時間になると鳴るようになっているという,スークを出たら辺りは暗くなっていました。 ここでは、リビアの制服を買い求めました,そのまま歩いてレストランへ夕食です,この町ではかなり高級なお店,それにしてもアラビア文字はすばらしい!芸術といってもいいのでは・・・,お店の中です,,,,,本物の銃が壁に飾ってあるとは。 古いとはいっても・・・ この国は悪い人は殆ど居ないのかも・・・,美味しそうでしょ?,,ベンガジで泊ったホテルです。 ロビー カダフィーさんの姿,ベンガジで泊ったホテル,今日は、ベンガジ→ミスラタ 842km。 長いドライブ ミスラタへはいるとトリポリタニア地方となります。アジダビヤにてトイレ休憩(出発より163km),ベンジャワッドにて昼食(出発より424km),現地人は男女別に食事をしていました。,久しぶりにパスタを しかし、あまり美味しくなかった やっぱりリビアでは、独特のスープを主体にしたリビアの食事が一番です。,普通、女性の写真を撮ると、そのご主人からものすごく怒られる。 それを覚悟でお願いしたら、気持ちよく撮らせてくれました。 英語が分かる位なので進んでいる人たちなのだろう,もう一枚 アリガト−,男性の写真も・・・・,リビア 公務員の給与150ディナール、民間企業の給与250ディナール 但し、公務員は 月に 砂糖5km→6ディナール、オリーブオイル25リットル→10ディナール、小麦25kg→1ディナールで買える等の優遇政策がある 民間企業は多少高くなるが、リビア市民に限っては優遇措置がある,また90%の人が、ふたつの仕事を持っています オフィス時間 8〜12時 3〜4時 または7時〜3時 リビア女性の40%が働いています(エジプトは60%) 単純明快な国旗 緑一色です,今日は丸一日移動日でした,朝からバスに乗ったまま、サンセットを迎えることに・・・,,あまりにチェックポイントが多いため、そのたびに提出しなければならない、ガイドの持つ我々のネーミングリストが不足してしまいました 今までに30枚使用、更に20枚コピーするために途中の町に寄り道 その間にモスクと星の写真をミスラタの朝です 昨夜遅くホテルに到着 ちょっと寝不足ですが、この旅行最大の目的の一つレプティスマグナを見る日で、ちょっと興奮気味です,朝食後、出発前のホテルの窓から 出発です,ミスラタのホテルから91キロ。 リビア最大の遺跡、レプティスマグナ。 セウェルスの門 道路の十字路の4方向にそれぞれ計4個あります。,大変豪華ですばらしい 。この町出身のセプテミウス・セウェルスが皇帝になり,、ここは一大飛躍をする,最初はカルタゴの港町として発祥,,セウェルスの門,セプテミウスの門をくぐって、まず左前方に目にする風景です,これは右前方,右側一番手前の遺跡 まずは”ハドリアヌスの大浴場”から プールのようなものがあり、施設としても大変大きい ここの遺跡は全体に砂岩、石灰岩、大理石を使用しています。,厚い荘厳な柱や壁で仕切られ、いくつもの浴室、更衣室、ボイラー室、身体を鍛える場所などがあります。,,それも神殿のように豪華で素晴らしい都市であったことを伺わせます,各部屋それぞれに装いを凝らして作られていました。,紀元126〜127に造られ、運動場や競技場としても使われました。(セウェルスの死亡が237年),ここの部分は回廊状で、ここを走り回っていたのですね。 ローマ時代の人たちが、そばを走っているところを思い浮かべ、鳥肌が立ちました。,大理石も大きく綺麗で素晴らしいものです,社交場の定番、公衆便所。 便器の下は下水道が流れ、前の溝も手を洗ったり、お尻を拭くための水が流れていました 上下水道が完備です,ご覧のように大きな部屋の三方に便器がズラ〜ッと並んでいる。壮観ですね 隣同士で、政治、狩り、うわさ話など、色々な話題が行き交ったことでしょう,すぐ左側が公衆便所、奥の建物が公衆浴場です,公衆便所からハドリアヌスの大浴場を見返します,公衆便所の先に空き地がありその先にある建物 ニンフ(神)の神殿 ヘルメスの神も祀られています,ニンフ(神)の神殿,ニンフ(神)の神殿 。セウェルスの時代(3〜4世紀にかけて)造られています。 前側には噴水の出口が・・・,地元の学生が見学見学に来ていて、私たちに大変興味を寄せてきたが、先生にしかられて、後ろ髪を引かれるように戻っていった。 とにかくこれだけの遺跡に、我々の他に誰もいないのです。 信じられません,セウェルスの門から見た、左前方の遺跡を横に見て・・・・・ (この遺跡は比較的新しいビザンチン時代のものとのこと),その奥にある遺跡・・・・ さて、この旅行で一番見たかった最大の遺跡。 レプティス・マグナのフォーラム(集会所)に入ります。,でかい!!! 広い!! その広い空間に、所狭しと遺跡の片割れが沢山転がっています。,ばかでかいフォーラムの突き当たりには、バジリカが・・,お宝の山がうじゃうじゃ転がって・・・ 感動が胸一杯に,全部見渡せるところに登ってみました。 それにしても大きい! フォーラムとしては今までに見た中で一番。 正面がバジリカ,バジリカに向かって右側の奥にメドウーサの顔が並んでいます。,メドウーサの顔は悪魔除けとして有名ですね,メドウーサの顔を配したアーチ。 ここは集会所だけではなく市場としても使われていて、商店が並んでいました。,,バジリカへの入り口付近を散策 暫く自由時間をとります,,,バジリカへはいります,バジリカ(裁判所)の中 バジリカとしてはやはり大きい。 キュレーネの遺跡の3倍以上はありそうです,のちにキリスト教が復興すると教会として使われました。 バジリカ様式→コリント様式(アカンサスとハスの花が彫られているのが特徴)の柱です,,イオニア式の柱もレンガ状の壁も美しい,バジリカには、”ローマの力”を象徴するヘラクレスやライオン(上から3番目の彫刻)が配置されています,後ろ髪を引かれながらセウェルスのフォーラムを出ます ここはセウェルスより前の時代(BC13年)のフォーラムとバジリカ こちらはずっと小さいですね,道路は碁盤の目のようになっていて、縦の道路は海(地中海)に向っています。,レプティスマグナの遺跡 まだ続きます,ここは地中海の港を利用した、一大貿易センターのような町でもあり、大きな市場があります。 ,市場跡で先ほどから、遠巻きに付いてきていた見学の学生たちと・・・,市場 青物、魚、オリーブオイルなど、各品目別、に区分けされています,お米(小麦?)の量を量る器具。 各大きさの穴に入れて、下から取り出します。 理論的には現代と同じシステムですよね。,こちらはオリ−ブオイルの計量器、足の彫刻も立派なものです,カルタゴの船の形が彫られています,こちらはローマ帝国の船,ポエニ戦争の起きている長い年月の間、共存していた時代もあり、ギリシャ、フェニキア、ローマ各国の特産物などを、セクションによって扱っていました。,市場の全景,トラジャノス帝の凱旋門 やはり十字路の4カ所にあったが殆ど壊れてしまっています。,ローマ遺跡の定番、円形劇場へ,円形劇場、舞台から客席を見る。 7000人収容,,,ギリシャの劇場は舞台が狭く、客席が真横まで回り込んでいたが、ローマのは半円形になっている。 地中海とのコントラストが最高でした。,典型的なコリント様式の柱。 お客さんを雨から守る屋根が出来ていたのでしょう。現在の技術に勝るとも劣らないのでは・・・,劇場の観客席の外側。 素晴らしい青い空です,我々の前になり後ろになり、見学をして行く学生たち。 結構楽しい交流がありました。,一般市民の公衆浴場,公衆浴場の中。 中に入れないので、小さな窓の格子の間から撮影です。,,最後にレプティスマグナで、一番はずれにある円形闘技場。 なんと24000人の収容能力がある。,午前中人間(剣などの武器を持つ)対動物(何日間か絶食させたライオン、トラなど)、午後は人間対人間の戦いが行われた。,,円形闘技場,闘技場への入出場門,小さな山を利用して造られていて、海側からの道にあります。トリポリへ着きました リビアの首都、トリポリの町のスークへ。 その入り口の門(旧市街),さすがに多い人,スーパーマーケット状の屋内と路上に沢山の店が並んでいます,結婚式用品の店,カラフルなリビアの衣装。,店内全体が黄金色 自家製の金細工の店,このような感じの迷路が縦横につながっていて、ここで一人にされたらいつ戻れるのか・・・,,旧市街入り口前の駐車場 お上りさんのための写真撮影の店,ホテル到着 夕食時にベンガジのスークで買った、制服を着て見ました 沢山の人から振り返られ、声を掛けられました そしてVerry Good!!・・・・ 相当違和感があったようです 肌寒かったので持参したスキーウェアを羽織っています。,,トリポリの朝です 連泊で、今日は午前中、市内の博物館,,トリポリの泊ったホテルです,ホテルのすぐ裏は地中海,さて、博物館の見学です,岩絵の模写 リビアのベルベル人が、サハラの乾燥化に伴いエジプトに移動して、エジプトに文化を与えたという説明でした。,カルタゴのシンボルマーク、 家の玄関口の土間やお墓に良く見られます,リビアの地図 東→エジプト、西→チュニジアの間に位置し、キュレナイカ地方、トリポリタニア地方、砂漠(サハラ、リビア砂漠)地方とに分かれます,今回私たちが走ったコースをライトで記してみました,左の電気が点いていているところがトリポリタニア 右がキュレナイカです,最後に砂漠のガダメス地方 一番チュニジアよりの内陸部ですね,BC5000年、ガダメス近辺は緑豊かで、馬を飼い慣らし、馬車を使っていたそうです。 ラクダはBC1000年頃に砂漠と化したサハラで使われるようになりました,ピラミッドの原型のようなものもあるとの事ですが・・・・・ ということはこちらがエジプト文明のルーツということ? え〜! 本当かなぁ,発掘された、当時のもの,BC1000年頃のもの,,BC1000年頃のもの,ローマ時代のもの この時代は芸術、技術、文化全てに現代に劣らないと、つくづく感じてしまいます,,,人物の肖像が必ずあるのがローマ時代のの特徴ですね,,とてもリアルです,モザイク 最初はギリシャでつくられたのが始まりだそうです。 ローマ時代に細かく芸術的になり、その後ビザンチンで逆行してしまう感じです,やはり私にとって、ローマ時代というのは、世界史の中で特別な時代に思える,,,,,,,トリポリ連泊で、今日はサプラタの遺跡見学。,フェニキア人の交易都市として作られ、A.D.2世紀に繁栄しました。,4haの広さがあります,1926年に再建されているそうです,円形劇場が非常に美しい,当時は5000人が収容でき、現在でも1500人は収容できるそうです,,3層になっていてコンサート、パントマイム、劇などが2・3階で行われたという,円形劇場の舞台後ろは地中海です,遺跡と空 どこでもいつでもジャストマッチ!!,地中海の絵の額縁?,定番、公衆浴場のモザイク やはり素晴らしい,今はこの上を私たちも、いくらでも歩ける。 観光で沢山の人たちが来るようになったら・・・,反対側からの円形劇場,港町だ。当然海へつながる道路が、何度見ても素晴らしい景色です,広い! 大きい!,レプティスマグナに負けない素晴らしい遺跡です,地中海と遺跡が素晴らしい構図でマッチ!,,モザイクの上に寝転がって海を撮る。,こんなこと出来てしまって良いんだろーか 絨毯の上に寝そべって海を眺めている気分になっていまし,何時間もズーッとここにいたい〜! 広い広いサプラタ遺跡,殆ど破壊されている遺跡だけど、どういう訳か大変美しく感じます,,,天気も最高!!,,,,,イランの個人旅行者家族と遭遇。 イランへ行った事があり、歩いた町の話をしたら大変喜んでくれました。,,たしかビザンチン時代の教会?,スミマセンちょっと忘れてしまいました,キュレーネ、レプティスマグナとともに本当に大きな遺跡でした。 そしてリビアの人たちは、みんな喜んで写真を撮らせてくれる。 感謝の気持ちでいっぱい,遺跡入り口にある付属の博物館の見学,ローマ時代のモザイクが美しい,,,,,まるで絨毯のようです,,キュレーネ、レプティスマグナとともに本当に大きな遺跡でした,ホテルへ戻り、着替えをすまして、トリポリの夜を散策がてら夕食へ 私たちを案内してくれるスルーガイド、運転手、それにツーリストポリスです,新市街の散策。 町の写真を・・,,ここで夕食です。 やっぱりリビアのスープは美味しい!!,次回はいよいよ砂漠へ向かいますトリポリからガダメスへ→→ 686q 陶器の店に立ち寄る(出発より85km),,たぶん、貯金箱?,いよいよここからは、砂漠地帯です,ガリヤンの街で、ベルベル人の穴居住居を見学です(出発より98km),ここが竪穴式住居の玄関口 入ってすぐ階段でトンネル状になっています,階段をまわるように下りて最初の部屋に入り振り返って撮影。 右の穴が、玄関から入ってきたところです,その部屋を出ると、先ほど上から似たこの空間になります。200年程前に作られて、つい最近まで使われていました。 四隅にちゃんと街灯もあります,,,部屋の入り口からして、,中がこれほど綺麗だとは考えにくいですね,いよいよ砂漠地帯に・・・・,いつもの事ですが、私たちの場合は、砂漠では女性も含めて、野外トイレ。 岩山をついたてに・・・快感!,トイレ休憩です,ガバウという町(出発より319km),ベルベル人の穀物貯蔵庫の見学,,,貯蔵倉庫からガバウの街並みを見下ろして・・・,ベルベル人の穀物貯蔵倉庫,,,小麦、オリーブオイルなどを貯蔵していました,,,,そして10分間自由時間・・・・ といっても、かなり狭い空間。 同じ場所の写真をとっかえひっかえ撮るしかないので・・・・,同じような写真ばかり,リビアのガイドは、トイレ、食事時にいつもウエットテイッシュを用意して、一人ひとりに手渡してくれます。 そして一日一回必ずティタイムをとってくれます。,,こんなサービスはツアーでは初めてですね〜,,,ダージにてトイレ・お茶休憩(出発より584km),可愛い女の子が愛嬌を振りまいていました。,もうみんなに抱いてもらい、最高の人気者です,ナツメ椰子が生えていて、砂漠らしい雰囲気のある景色が・・ 又バスを止めてもらう,あまり何度も止めてもらい、時間が大分遅くなってしまいました,,ホテルへ着いたのが午後6時半、暗くなってしまい、予定の観光を明朝に変更することになりました。,ホテルの玄関脇に添えてある、昔のベルベル人の移動住居とその人たちの人形です,09:00 ホテル発 旧市街に住んでいたというベルベル人の人たちの博物館の見学(出発より2km)から始まりました,昔、彼らが生活をするために使用していたものが展示されています,ベルベル人の文字だそうです。 今はアラビア語が使われています,さて、旧市街を散策。 1982〜3年にかけて、政府主導の元、新市街に移転しましたが、きれいで新しい住居に慣れず、まだ住んでいる人たちも多い。,また、暑さに対して理想的な作りで、こちらの方が快適だという人たちもいます,暑さから逃れるため、白壁作りで周りを覆っています 日本でも、町全体の移住をということになれば、住み慣れた土地を離れがたい人が多いですよね。,旧市街は、ふたつの部分に分かれ、それぞれバニ・ワジッド(前の部分)とバニ・ワルディの家族が住んでいました。,更に、小家族によってバニ・ワジッドは4つの部分、バニ・ワルディは3つの部分に分かれていた。,道路は、殆どがトンネル状で・・・・ その壁に各家の玄関があります,この狭いところを、自転車で走り抜ける人が結構多いのでちょっと危険。,所々に明かり取りの青い空が見えます。 旧市街は、ふたつの部分に分かれ、それぞれバニ・ワジッド(前の部分)とバニ・ワルディの家族が住んでいました。,聖地メッカへ巡礼をしてきた人を”ハジ”と呼び、その人の家の門にはこのような飾りがあります,この絵は住所を示しています,道路の十字路 壁にベンチのようなものが・・・,,町の中央の広場。 小家族単位で、モスク、集会所を持ち、中心地にはふたつの大モスクと大集会所がありました,町の中心に泉があり、トンネルの溝を作って水道代わりに・・・。 ここに住んでいて、新市街と旧市街の両方に家を持っている現地ガイドです,一番奥のバニ・ワルディ家まで来て引き返します,,,まだ住んでいる人が水汲みに来ていました,ロケの時にソフィアローレンが泊まったと言われるホテルです,,旧市街観光後、一休み,のんびりとくつろぎながら・・・・ 砂漠の暑さはカラッとしていて快適です,昼食は、この町に住む、先ほどのローカルガイドの家に招待されて・・・,中の白壁には可愛い絵が・・・,この装飾はその家の結婚前の娘がする習慣だそうです,中にはいると非常にきらびやか,居間。 ここへ座って食事をします,屋上へ上がり、見せてもらいました。 避暑のため窓はどの家もありませ,屋根は各家をつないだ通路になっていて、先ほど観光した道路は男性用、屋上の道路は女性用として使われていたそうです,,,これは最初、帽子かと思っていました。砂漠の勇猛な民、トワレグ族・・・,まずはものすごい美人がいるのにビックリ!! 年を取ったとはいえ私も男・・・・ 横から前からつい2枚も・・・ たぶん他の人だって私より沢山撮っているはず・・,ガダメスの町から来るまで30分ほど ここから砂山の典型的な砂漠が始まっています 砂漠で暮らす、移動民族トワレグ族の民族ショーを見てから、砂漠のサンセットを観賞します,そして勇壮なトワレグ族のラクダショー。 左の方から歩いてきて、目の前を通り過ぎて行くだけなのだが ・・私の30センチ近くを、わざと通り過ぎるのだ 思わず後ずさりしたくなった。 ,そして勇壮なトワレグ族のラクダショー。 左の方から歩いてきて、目の前を通り過ぎて行くだけなのだが ・・私の30センチ近くを、わざと通り過ぎるのだ 思わず後ずさりしたくなった。 ,トワレグ族の勇猛な眼を・・・,今度は少し違う雰囲気。 二人一緒に準備にかかる,踵を返してこちらへ向かって、すごい勢いで走ってきた,疾風のごとき走り! 最初は直接私たちに突っ込んでくるようでしたが、少し離れたところを走り抜けていきました。味は本当に美味しいのだが、口の中がじゃりじゃり。 砂をかむとはこのことか・・,次のショーまでの間、それまで砂を掛けて焼いていたパン(ナン)を食べさせてくれる。 ,ガダメスの旧市街を案内してくれたガイドが、衣装を替えて、甥っ子を連れて来ました。,次のショーの内容は・・・ 部族間の戦いがあって・・・・,最後に仲直りをするという、物語風の民族舞踊でした。雄大な砂漠を舞台にして、結構楽しめました,さていよいよ砂漠のサンセットの時間が迫ってきます,トワレグ族の民族ショーが終ると同時に、砂漠では日が沈もうとしていました。 慌てて近くの砂丘にそのままアタック!!!,足が取られてなかなか思うように登れません。 砂丘の上に着いたときは早くもサンセットショーが・・・・ん? あれ〜〜! 太陽が雲に隠れてる・・・ 雲さん、ほんの少しだけどいてください。 とりあえず、付近の砂丘の撮影です,やはり砂漠の景色は、朝マズメと夕マズメが一番!・・ あれっ? 釣りと同じかな。 あそこから息せき切って登ってきたのです。,黄金に輝く砂丘の風紋,ローカルガイドが甥っ子を肩車で連れてきて、みんなのマスコットに。 さすが砂漠の民・・・簡単に登ってきます,後ろがスルーガイド、左がローカルガイド、右が運転手,,沈みかかったところで、太陽が顔を出してくれましたー!!,いぇーぃ!!! 黄金の雲がキ〜ラキラ.:◎:*:O☆:*:☆。∂.:♪♪ スミマセン、絵文字全然ダメなんです。,フ〜〜〜ッ 終わった・・・・・・,私たちは登ってきたところを、慎重に下りるのに、彼らは急坂をスベッて・・・ だって、見た目よりすごく高いんですよ〜,下りる途中、ちょっと気がつき・・・・砂漠と夕焼けに向かってフラッシュを炊いて撮ってみた。 ナイス!砂漠の風紋がわずかに写ってる!素晴らしい自然のショー 至福の時間でした,下りたら、まだボーイスカウトの面々が居て、交流を。 今まで持っていたリビアのイメージを話したら、猛烈な抗議を受けました,でもこれから世界に旅行したら、事実を知らせると話し、それ以後はみんなで歌ったりしゃべったり・・ ,”幸せなら手をたたこう”をよく知っていて両方の言語で混成合唱。 30分ほどの楽しい交流時間でした,昨晩は、スタッフとのお別れパーティー 持ち寄った日本食とパスタ。,酒も飲まずに大騒ぎした。 酒も飲まずにあんなバカ騒ぎが出来ると言うことを初めて知りました。 リビア人のお陰です。 従って二日酔いはありません。 元気いっぱいです 05:05分 ホテル発→それほど寒くない7・8度程度,ナルートの穀物貯蔵庫の見学(出発より344km) ガバウで見たベルベル人のものとちょっと形式が違うそうです。 ここでは、トワレグ族に町を守ってもらう代わりに共同で使用したためらしい,貯蔵倉庫の出入り口。 勢いよく飛び出そうものなら、千尋の谷へダイビングすることになります 表の道は狭くてその先が断崖絶壁 さーー チュニジアとの国境へ・・・,リビア〜チュニジアの国境を越えて、15分ぐらいのところで、花が咲き乱れていました。 ,早速バスを止めてもらい、撮影会を・・,国境越えは、今回は大変スムーズでした。 スーツケースチェック等はなし、入国時に申告したビデオ・コンピューターのチェックぐらい,エジプトでの国境と違い、・トラックより自家用車が多かった。 エジプト〜リビアの国境と違い、それだけ旅行者の割合が多い事を示しています,時差8時間→リビアとは1時間遅らせます,バスの中で入国カードを記入、税関前でバスを下り、荷物を引きながら税関・入国手続 税関手続はありませんでした,荷物を手で押して、ゲートを出たところにチェニジアのバスが待っていました(荷物を100mほど各自で) ,リビアとチェニジアは相互にVISA不要です,リビアでは見られない、簡易テントを立てた遊牧民が多かった,景色のいいところでトイレと撮影休憩,,,,,,かなり遅くなってマトマタのホテル着(出発より209km)チェニジアの人口1000万人、観光客、年間150万人程度,,Sidi Driss HTL(出発より2km) 穴居住居を利用したホテルを見学です,ここはスターウォーズの撮影に使われたところで、パイプや鉄のドアは映画のために作られたもの,,中を覗かせて貰いました,洞窟ホテルの上から撮影,,政府は観光化のために、穴居住居者を移動させようとしたが、うまくいかず、現在は中途半端な状態だそうです 実際に住んでいる民家を見学します,,入り口を入って最初の部屋 広い玄関兼台所兼居間という感じです,小部屋で家の主が仕事をしていました,,最初の部屋を出ると中庭になっています 真ん中に大きな壺がおいてありました,そして周りには各部屋の入り口があります。 石臼で小麦をひいています,周りの各部屋を拝見です 調理場,ベッド生活です。 綺麗に整頓されている,電気の設備はありません。 テレビは自動車用?のバッテリーを使用。,,,砂漠地帯へ向かいます,マトマタの丘陵地帯を下りてゆきます,,砂漠地帯に入り、風が非常に強く、砂嵐状態になりました,,道路の上をなめるように砂が流れていた。 5メートル先が見えないときもあります タクラマカン砂漠の時の砂嵐を思い出しましたサハラ砂漠に面した町ドゥーズに到着,,砂漠へ足を運び、ドゥーズサハラの観光(出発より107km),,風が強いので、遠くが見えません。 ここへ入り込んだら、きっと二度とは戻ってこられないでしょう。 砂漠の隊商はこんな時はジッと動かずにいたのでしょうか,,,え!えっ! オートバイが猛スピードで砂漠を走り出し、砂嵐の中を突っ走って消え去った。,かっこい〜〜・・ しかし大丈夫なんだろうか。,砂が走っているのが見えますか? 私たちの足跡もすぐに消えてしまう。,,さばくに面した町ドゥーズの散策,砂漠のバラといわれる石(おみやげ品)サハラローズは、燐光石の鉱山で採掘されます,,,チェニジアのサラリーマンの月給5〜10万円 低所得者は2〜4万円だそうです,ドゥーズでの自由時間,,,,Saharien HTLにて昼食(出発より114km) オードブルとガルグレット(ベルベル風肉料理),今回の料理で最もおいしかった料理でした。 ビールは平均3ディナール(リビアと違って飲み物は有料になります),食後の散歩です,ナツメヤシの林の中に、遊牧民のテントが出来ていました。,,,,さて出発,ファトサナにて写真休憩(出発より173km) 砂山です,まだ砂嵐が吹き荒れている,,誰もいない砂嵐の中をロバ車が・・・ ,全員の集中撮影を浴びる事になりました。,もう少しでチュニジアを横断するという大塩湖、ショット・エル・ジェリドにて写真休憩(出発より203km),雨期にのみ満水となるが、その他の季節は塩の水平線,,塩で作られた山に登り・・・・,遠景を撮影,すごい景色ですね〜,しばらくは撮影タイムです,,,,,,,大塩湖にポツンとあるお店の中,ネフタにてオアシスの写真休憩(出発より269km),コルベイユと呼ばれる湧き水のあるオアシスです,来る途中パラパラと雨が降っていたが、綺麗な虹が出ました,,,ダル・シュライト到着。博物館の見学(出発より294km),入り口でカメラを向けて良いかと尋ねたら、咄嗟にこのポーズを・・ どうも〜〜,ダル・シュライト 街の中心部にて自由行動です,ダル・シュライト 町の散策,アレキサンドリアを出て以降、ここで初めて日本人観光客に会いました,,,,ホテル着 トズール サハラ動物園(出発より5km) この動物園の目玉商品 コーラを飲むラクダ,猛毒ヘビ 持ってきてわれわれに持たせようとする。 ひぇ〜っ,トカゲ これは持つ事が出来た。 民間の動物園だそうだが、面白いおじさんで、この人でもっているような感じ・・,トズール、 メディナ(旧市街)散策 日干し煉瓦の幾何学模様の建物が美しい,メディナ(旧市街)トズールはレンガの産地だそうです,,,,市場へ,肉屋 ラクダの肉・・,けさ解体したものらしい。 にんじんをくわえさせ、ちょっとなまなましい・・・,トズールを出発です,,トイレ休憩で立ち寄った飲食店、柱をラクダの足に見立てています,サボテンの実を撮るために車を止めて貰いました。,サボテンは、フルーツとして食用の他に、オリーブの畑のバリケードとしても栽培されています,学校帰りの子供たちらしい,,スベイトラヘ寄り、ローマ遺跡を見学です,ローマ帝国がこの地域まで来たのは比較的遅く、従ってこの遺跡のローマ時代は短期間で終りました,居住した最後はビザンチン時代 アラブになって放棄されました。,,,,公衆浴場です,,神殿が美しくA.D2世紀に作られたもの,,,コリント式のみで、比較的遅い時期に建てられている事が判ります,神殿の裏側,風呂場も公衆浴場ではないものもあるようようです。 ローマ時代でも比較的後期のものということ,お風呂場のタイル,,円形劇場です,,凱旋門 この道の先はアレクサンドリアに向かっています,,チュニジアの国旗です ケロアンケロアン→エルジェム→スース→ケロアンです
ホテルラ・カスバ・ケロアン,5星のホテルです かつてのカスバに作られました,,,出発より2km、まずはアグラブ朝の貯水池 イスラム設備の観光が続きます,シディ・サハブ霊廟(出発より3km),その入り口です,,,彫刻がとてもすばらしい,北アフリカ〜ジブラルタル〜ポルトガル〜スペインと流れていき、アルハンブラ宮殿で大成する、イスラム芸術の一端なのかもしれませんね,シディ・サハブ霊廟の中庭です,グラン・モスク(出発より5km)へ,チュニジアンブルーの街並みに目を・・・,,グラン・モスク,中の柱はローマの遺跡のものを流用していました,ローマ、アラブ折中のたてものです,,イスラムの紋様,,,エルジェムの円形闘技場の見学(出発より81km)です,,大変綺麗な形で残っています,,観客席へ2階の部分の廊下です,3階の廊下,3階から外の景色を,入り口をくぐり抜けると大きな闘技場が・・ 現代の国立競技場や野球場へ来ているような感じです,すごく大きい!!,歓声も素晴らしい音響だったと想像出来ました,競技場の真下にある地下。 猛獣や闘技者たちの控え室が並んでいたところです,アリーナへ出て撮影,アリーナへ出て撮影,,エルジェム闘技場付近のお店です。,,,スースのメディナ(旧市街)の見学(出発より151km),,,スースのメディナ(旧市街)の散策,,,,,,スースのメディナ(旧市街)の隣にある、リバト(要塞)にも入場します,タワーに登ってみました,海(地中海)が見えます,隣の大きなモスクでは、どうやらお葬式があるようでした,女学生たちが上がってきました。,みんな喜んで写真に納まってくれます。,ボディランゲージで楽しいひととき・・・でした,,ケロアンのホテルに戻りますケロアン→ナブール→ケルクアン→チュニス 329km 早朝ケロアンのホテルを出発 空飛ぶフラミンゴの群れ,フラミンゴ ちょうど長距離を、飛び立つ時期だったらしい。車を止めて写真休憩,陶器の街ナブールにて自由散策(出発より122km),ナブール アラビア文字が書いてある陶器の板を買いまし,ケルクアンにてカルタゴの遺跡の観光(出発より194km)です,カルタゴの遺跡は度重なる、ローマ帝国の破壊により、残っている遺跡が少ないのですが、そのうちの一つです。,一応モザイクなのでしょう。 ローマのものと比べるとやはり貧弱に感じてしまいます。,一応モザイクなのでしょう。 ローマのものと比べるとやはり貧弱に感じてしまいます。 玄関のあとと思われるところに、カルタゴのシンボル、トフェ(タトニ神)(魔よけ?)が書かれています。,お風呂とトイレの部分 ローマとは全く生活様式が違います,ローマ帝国は市民がそのまま兵士であったが、カルタゴは市民自身は戦わず、傭兵を雇っていました。,,,,ここは金持ちの別荘だったらしい。 海のそばで絶景の場所に位置しています。,ローマの石切場の観光(出発より214km),石を切り抜いた跡,,,ローマの石切場 海の近くで、海路で石を運ぶのにも便利な場所です,チェニスへ到着しました。 町のメディナのなかの喫茶店でトイレ休憩,チェニスへ到着しました。 町のメディナのなかの喫茶店でトイレ休憩 チェニスのメディナ散策(出発より324km)です,17:05 ホテル着(出発より329km),17:05 ホテル着(出発より329km),翌日、チュニス観光 ビュルサの丘 カルタゴの遺跡,ローマに完膚無き状態に破壊されたため、綺麗には残っていませんでした。,ケルクアンの遺跡と形は大体同じですが、こちらの方が大きい町だったらしい,,一体何に使われたのか、聞き逃してしまいました。ご存じの方は教えてくださ〜い,ビュルサの丘の博物館、見学,,カルタゴの軍港の模型,最初はちょっと驚きました。 これはカルタゴのではなくローマのモザイクですね。,ローマのモザイクです,これはなんだと思いますか? ・・・・・ ほ乳瓶なんですね,日本の埴輪を思い出しました,,,,ビュルサの丘の博物館です,カルタゴのお墓の見学(出発より21km) 子供たちのお墓だったそうです。,カルタゴのシンボルマークだ,カルタゴの軍港の見学(出発より22km) 博物館にある模型です,,カルタゴの舟,カルタゴの軍港の跡 なんの変哲もない、お堀のような大きな池が、草ぼうぼうの軍港跡の島をかこっていますアントニヌスの共同浴場,,地中海に面したところにあります,かなり広い遺跡です,アメリカのテロ事件以降、隣に大統領官邸があるため写真撮影制限あって、そちらへカメラを向けると罰せられるのだそうです。,,,,,海辺のレストランから見る遺跡,シディ・ブ・サイドの見学(出発より29km)です,チュニジアの写真でよく見かける風景ですね,青い空とぴったり,夏になると地中海の青とも重なり、もっと素晴らしいのだそうです・・・,ちょびっと残念,,首相官邸 こちら側からの撮影はOKなんだそうです。 へんなの!!,青い空と青い窓・・・ ベストマッチですね,,,,,,,,白色も又綺麗,アフリカ地中海の道 ご覧いただき有り難うございました