海外編

      

シルクロード西域南道(パミールを越えて)


パキスタンのカラコルムハイウェイを、7〜8000m級の山を見たり、氷河をトレッキング。 標高4600mのパミール高原で中国国境を越え、西域南道を東へ、タクラマカン砂漠でテント泊縦断、河西回廊の嘉峪関から四駆で内モンゴルに入り、カラホトまで...と大変変化に富んだコースです。

12:55 成田発(PK853)
15:45 北京着(日本より1時間遅れ)機内待機
16:55 北京発
20:05 イスラマバード着
20:55 ホテル着
22:00 夕食(軽食。ピザ・サンドイッチ)
  パール・コンチネンタル・ホテル
お酒の販売は(朝から18:00まで)。ルームサービス22
 ビール53RP、ウオッカ325RP(NOMAL)、ウイスキー500RP(NOMAL)、700(8YEARS)
 両替→$1=55RP、¥10,000=3500RP
日程を大幅に変更。
  米軍のアフガニスタン爆撃の一部がパキスタンに堕ち、北西辺境州にて反米デモが起きているため、ペシャワール2泊・チラスの2泊の日程をラホール2泊・ラワルピンデイー1泊、カリマ バード1泊追加に。 派手なトラックは、地方によって特色
パンジャブ→景色、シンド→家、北西→女性が描かれている
トイレ無料・チャイ、ジュース類10RP
カミーズ(シャツ)、シャルワール(ズボン)
顔を覆う布→ブルカ
学校―小学校5年・中学校3年・高校2年・カレッジ4年・大学2年制、国立無料・男女別





   @ラホール
21枚


   Aタキシラ
7枚


   Bインダスの流れ
14枚


   Cギルギット
17枚


   Dフンザ@
19枚


   Eホッパー氷河
16枚


   Fパキスタンから中国国境へ
28枚


   Gパミール高原の素晴らしい景色
23枚

   Hカシュガルからヤルカンド
15枚


   I昆論山脈 コチ峠
21枚


   Jホータン
16枚


   Kタクラマカン砂漠
26枚


   Lウルムチ〜敦厚
23枚


   M嘉峪関〜カラホト
24枚


   O銀川
20枚



      










シルクロード西域南道パキスタンの部
シルクロード(西域南路)パキスタン、ラホール、バードシャーヒモスク、 イスラマバード、ラワールピンディ、パキスタン、ペシャワール、ムガール帝国、アルナカリバザール、シャリマール公園、ワガール国境、パキスタン ジンダバ!(バンザイ)

シルカップの遺跡、タキシラ、ガンダーラ、アレクサンダー、ヘレニズム文化

アボッタバード、チラス

ナンガパルパット、カリマバード、インダス川、カラコルムハイウェイ、ギルギット、カラコルム、ヒンズークシ

ラカポシ、フンザ ホッパー氷河、ウルタル山、ナガル村、デュラン峰、ミール(王様)

アルチットフォートとバルチットフォート、ドイカル、ススト国境

シルクロード西域南道パミール高原の部
パミール高原、クンジュラブ、タシュクルガン、タジク族、コングール、カラクリ湖、スバシ峠、ムスターグアタ、キルギス族、ウパール

シルクロード西域南道
カシュガル、ハンノイ遺跡、カラハン朝、ウズベキスタン、トクマク、チンギスハーン、モル仏塔、ドラン族、巴楚(パソ)、唐王城の遺跡、玄奘三蔵

葉城 、 昆論山脈、庫地(コチ)峠、K2の登山基地マザー、カイラス

ホータン、牛角山

シルクロード西域南道タクラマカン砂漠縦断
ニヤ、砂漠縦断道路、テント、胡陽の木、陽関  敦厚、桜蘭、カレーズ、砂漠のオアシス

シルクロード西域南道 河清回廊再び
安西  楡林屈、壁画、仏像、西夏時代、千手千眼観音、孫悟空の壁画

シルクロード西域南道内モンゴル カラホトの部
鎖陽城遺跡、綿花の収穫、嘉峪関、万里の長城最西端、内モンゴル、ハミウリ、ゴビ砂漠、ゴビタン砂漠、エチナ、カラホト

西夏、銀川、西夏王墓、黄河流域、











○パキスタンのカラコルムハイウェイを、7〜8000m級の山を見たり、氷河をトレッキング。標高4600mのパミール高原で中国国境を越え、西域南道を東へ、タクラマカン砂漠でテント泊縦断、河西回廊の嘉峪関から四駆で内モンゴルに入り、カラホトまで...と大変変化に富んだコースです。○ラホール美術館  イスラマバード(ラワールピンディ)到着後米軍のアフガニスタン爆撃の一部がパキスタンに堕ち反米デモがあるということで予定のペシャワールを避けて予定外のラホールへ 瞑想中の釈迦像○ガンダーラ イラン、ヘレニズム、インド3文化の影響を受けた作品が特徴です○バードシャーヒモスク イギリスに支配される前のインド、パキスタンの王国ムガール帝国によって作られました○○○○バードシャーヒモスク  見学している間一度も動来ませんでした。 長い時間なにを・・・○ラホール城○モスクの向かいにあります○冬の部屋と夏の部屋を作っていました。これは夏の宮殿○○ラホール城から向かいのモスク。  当時の王様は毎日通っていたとのことです。○ラホールの街並み○シャリマール公園  パキスタンの家族と交流 を、あちらさんから一緒に写真に入ってくれと頼まれました○インドとの唯一開かれた。ワガール国境 です○毎日沢山の地元の人たちがその日の国境の閉鎖式を見学と応援に来ます。○そろそろ始まるようです○見学は男女別々に離れてさせられます○インドの衛兵と最初に握手をしてはいるが、お互い臨時体制にあるせいか儀式の行動の中で精一杯相手を威嚇しようとする。 動作が速く動きもおもしろい、迫力もある。 観客も興奮して”パキスタン ジンダバ!(バンザイ)”を繰り返して叫んでいた○○第4日目9月3日(木) 晴れ30度(蒸し暑い) ラホール→タキシラ→ラワルピンディー(550km) 14:05〜15:00 ジョーリアンの観光 石段を10分ぐらい登る
タキシラ→石の町の意味、ジョーリアン→聖者の住んでいるところの意味
AD1C〜AD5C 大ストゥーパ→お釈迦様の骨がある、 小ストゥーパ→お坊さんの骨
釈迦生誕500年後、それまで説法と仏舎利(釈迦の骨)を信仰していたがここガンダーラによって初めて仏像を崇拝する形式が出来た。
アレクサンダーの東征でヘレニズム文化の影響を強く受けている。○15:05〜15:35 シルカップ シルカップの遺跡(タキシラ)
タキシラの第二都市○○シルカップの遺跡○○○アボッタバード
ラワルピンディー→チラス 520km
トイレ休憩 車を降りたトタンあっという間に人垣の山。
田舎町では我々はどこでも主人公○○チラスへ○景色のいいところでトイレ休憩○カラコルムハイウェイに入って事故で転がっている車がかなりありました。回収せずにそのままにして億週間らしいですね〜○インダス川です インダス河の写真休憩
ここターコットよりカラコルムハイウェー○○ドベール通過 青い水が流れる河○しばらくはカラコルムハイウェイを走る車窓から○○○17:10 古いシルクロード・日本の橋見える○18:05〜18:15サティアールにて岩絵・古いシルクロード見学
19:25 HTL着(暗くなる)
 チラス(1200m)は暑い。平地と変わらぬ温度(28度)で、熱風が吹く。 ○途中は、涼しかったのに不思議な気候。 ○バスはクーラー付だが、登り道のためクーラーは使用せず。
シャングリラホテル  部屋は清潔、クーラー(音だけであまり効かない)あり、シャワーのみ、お酒なし、電話なし   
暑くてあまり眠れず○第6日目9月5日(土) 朝、晴れ、30度。(昨夜もあまり温度変わらず)チラスー→ギルギット→カリマバード 270km 流れ出る温泉 足を暖めたら軽くなった○ギルギットまで78km、左に渡る○09:30〜09:50 ナンガパルパット写真休憩○ナンガパルパットの勇姿○○インダス川とギルギット川の合流地点カラコルム ヒマラヤ ヒンズークシ山脈の合流地点でもある。 黒い山がカラコルム(カラは黒の意)   私たちはここでインダス川と別れ、ギルギット川沿いに北上します○○ジープ4台に乗り換える   11:45〜12:05 カルガの磨崖仏へ○12:15〜12:40   ギルギット バザールへ○12:40〜13:00 バザール・吊橋見学○ギルギット   バザールを見学中  ここでパキスタンのテレビ局と出会い30分のインタビューを受けることになった○午後になってギルギットを出発、フンザへ向かいます○○ラカポシ山の山頂  目的地カリマバードが近くなり7788mのラカポシが見えました。2000M付近から見ているので5000b以上の高さを見上げていることになります○ラカポシの山頂○ラカポシを右手に見ながらフンザへ○フンザへ到着 元ミールの経営(3年前に出来る) バスタブ付。
マウンテンビューだが、各部屋によって違う。屋上が展望台になっていて、360度のパノラマ。
チェックイン後早速ホテルの屋上へ○ホテルの状況
ロビーは、ラカポシ・ディランがよく見える。風呂の水は汚い。夕食はビュッフェ。
ビール350ルピー(ハイネケンビール)→レストランで飲める(非常に高い)。停電が多い○雲がかかっていましたが、夕暮れのラカポシをカメラに収めました○○フンザ 翌日朝、ホテル屋上でサンライズのラカポシ(下の写真)を待つ○夜明けのラカポシです○寒いけど気持ちがいい朝でした○サンライズ・・・○○○16:45〜17:35
朝食後、裏にある ドィカル村の山の展望台へジープで○ドィカル村の展望台からの景色○360度素晴らしい景色です○○早朝の山々・・・ 素晴らしい景色でした○朝からこの山頂で、何の仕事かなぁ○この下あたりにホテルがあります○既に村人のほとんどが起きています○フンザの郊外ナガル村にあるホッパー氷河へジープで・・・
数百mの断崖と細い道。 オーバーハングのオンパレードで生きた心地がしなかった ○途中で止めて貰い後ろに見えるウルタルの山を○○ナガル村に到着○先ずは周囲の景色です。 大きな氷河がゆったりと流れて・・・・ないか○それにしても雄大な景色○かなり長い氷河です○山の懐に包まれたナガル村とウルタル山○○さて氷河トレッキング・・・
氷河まで登るのかと思っていたらまずは下りてゆくとは・・・○1日に数cm動くそうです○○○時々氷が割れる音がして、静けさを破っていました。○ナガル村の子供たち。学校を休んで私たちの荷物を強引に持ち運び、お金を稼ぐつもりのようです。○往路ではなかったのに、あの狭い道路にかなり大きな石が落ちて転がっていたり、湖陽長く竜の橋を渡ったり今日は命が大部縮まりました。○ホテルへ帰ってから周りを散歩してウルタル山を
夕食はバイキング。フンザワインのサービス。一本1000ルピー(高い)○またまた 翌朝も屋上で待機 雲一つない○○ラカポシのTOPに朝日が当たります○○ゴールデンピッグ○デュラン峰 頭だけ出しました○今日はフンザのミール(王様)が最近まで使用していた城(アルチットフォートとバルチットフォート)を見学して後は休養です○○09:12〜10:25 アルチット・フォートの見学 城の屋上から・・
900年前の城。1968年まで使用。フンザ川より300m高い。
修理されていないため荒れ果てている○10:35〜11:00 バルチット・フォートの見学   
700年前の城。1971年まで使用。
ミールは、二人の王妃がいたために二つの城を建設した。○見てる前で雪崩がおき、通れなくなった住民たち・・・
日常茶飯事らしい○ドイカルムラの子供達   
この辺の村では女性の顔を撮すことは絶対にさせないのですが・・・・○土産物などを買って少女達だけということで 何とか撮らせて貰いました○第9日目9月8日(火) 朝、曇り、16度。
カリマバード→ススト国境(86km)→クンジュラブ峠(87km)→タシュクルガン(125km)  
 04:45 モーニングコール  05:15 朝食・バゲッジダウン  夜明けは5時半  
06:00 HTL発○08:30〜09:20 スストのレストラン(2700m)   
 E/Dカード記入・お茶休憩・弁当ピックアップ・レートは悪いが両替可能   
カリマバード→ススト・レストラン84km、レストラン→国境2km    
09:25〜09:40 ススト国境検問所    写真撮影どこでも可能  
パキスタンの国境イミグレ風景○バスを乗り換える(国境専門バス)→マイクロバス(Dジャベット)  
出国検査→E/Dカード・PPT提出(簡単)、税関→2名だけスーツケースを開けられる(簡単)   
09:40 出発○パミール高原へ 税関を過ぎバスを乗り換えてクンジュラブへ
運転手の目線は前よりも左上の岩山に釘付け 最近も崖崩れで3日間通行止めになったばかりだという○11:32〜11:40 写真休憩(17km)標高3855m○○○さぁ、いよいよパミール高原へ○12:25〜12:40 クンジュラブ峠  パミール高原です○4500m、12.3度、雪がぱらつく○ ○○国境地点 パキスタン側と中国側で記念撮影font color="#ffffff" size="18">国境地点 中国側で記念撮影○国境の周り 辛い分だけ景色は最高です! ○頭が痛くなければ、ずーっとここにいたい○○○○○○さて、中国の最初の宿泊地 タシュクルガンへ向かって出発○車窓から・・・   
あ〜 もっともっと・・ここに居たいなァ ○後ろ髪を引かれつつ○タシュクルガン到着 中国入国最初のホテルです 
タジク族の娘が出迎えてくれました。
しかし 現在も標高3400m 未だ頭が痛いしホテルも最悪  パミール賓館とは名ばかりの部屋でした○第10日目9月9日(水) 朝、晴れ、12度(肌寒く、ジャケット必要)。昼間、32度(非常に暑い)  
タシュクルガン→カラクリ湖(90km)→カシュガル(198km)  
08:00 朝食  やっと明るくなる  09:50 HTL発(徒歩で石頭城へ)  
10:00〜10:40 石頭城の観光漢方薬が作られていた。1300年前。  国民党・文化大革命で破壊。  
スバシ峠4200m(時計では4000m)コングール 7719m○ムスターグアタ 7546m  ○ここから見ただけで氷河が四コ しかも大河だ○ムスターグアタのズームアップです。○カラクリ湖   ムスターグアタとコングールに囲まれた非常に美しい氷河湖○13:15〜14:30 カラクリ湖にて昼食  3600m(時計では3480m)○○カラクリ湖    ムスターグアタとコングールに囲まれた非常に美しい氷河湖  
キルギス族の子供がモデルになってくれた   コングール連山も美しい○夏も終わりに、遊牧民族が羊を連れて日ごとに下へ下りてゆく○車窓から、遊牧民たちです○○また4000メートに近いところへ。標高が高くなると不思議に空の色が濃くなります。○○○○石ころで自動車の下が当たってしまうとのことで、全員が下りて歩くことに○○最初のウィグルムードの町 ウパールへ到着しました。 ここで昼食です ○カシュガルの町 幸妃の墓は天山南路の時にも見たので、外から少しだけ覗き、幼稚園へ行きウィグル族の踊りを見学、交流○小学生低学年とはいえ、もう踊りの素養は備わっていて、かわいさと同時に色気さえ感じられました○第12日目9月11日(金)朝、晴れ、18度。昼間、32度。終日カシュガル
11:10〜11:35 果樹園
ハンノイ遺跡管理人の果樹園で、ぶどう・ザクロ・いちじく試食
砂漠の炎天下に天山山脈の豊富な雪解け水で甘さもコクも最高。○カシュガル 郊外のハンノイ遺跡へ 馬車に乗って。
道が悪いし川まで渡り・・・おしりが痛い! 写真にならないほどの土塊でした。
カラハン朝(12〜13世紀)の夏の都 冬の都はウズベキスタンのトクマクにある チンギスハーンに滅ぼされる  ○14:05〜14:15 SULTAN SUTUK BUKALAHANの墓見学
イスラム教をウィグルに植え付けた王様の墓○カシュガル郊外
13:15〜13:30 モル仏塔 5C〜6C
8Cイスラム入る○カシュガル連泊後巴楚(パソ)へ  
途中シルクロード横断の時に寄ったラグメン食堂を探したが見つからず違う食堂へ。○巴楚(パソ) 唐王城の遺跡 。今現在海外にはほとんど知られていない遺跡 玄奘三蔵の仏像がこの町の博物館にあったが彼がこの町に滞在していた証拠だという。
どの文献にもこのことは、この時点では載っていません 。○ウルムチの博物館にはここで採掘されたものが圧倒的に多かった。政府の補助が出ていないため、荒れ放題だが、貴重な遺跡。→ミイラ・仏像等が埋もれている
破壊は、文化大革命。農民が肥料に持ち帰る。1958年の大跌進の際に、ダイナマイトで爆破。
烽火台跡、寺院跡があり、崖には小さな磨崖仏がある→見所は多い。
寺は、城壁の外に7つ。内側に2つあった。○2549年の歴史。BC236年に城ができ、3〜12Cに都になる。仏教が栄えた。
スタインが、4000個もの遺物を持ち帰った。スタインが来た時に案内したウイグルの老人の子孫が、一緒に写っている写真を持っているという。新彊博物館(ウルムチ)の60%は、ここから出土したもの。○第14日目9月13日(日)朝、晴20度。夕方28度。
巴楚→セレクブヤ(92km)→莎車(ヤルカンド)(124km)
09:50〜10:20 文物管理所 ミイラ(6C)→189cm、国家一級品多し(唐王城のもの)ここで、仏教が生まれたという話も。三蔵法師も3ヶ月立ち寄る。→町の博物館では、三蔵法師の像といわれる物を見せられる。仏教は、2世紀に伝わる。昨日見た唐王城の遺跡から出た品物を見せる町の博物館を見て、果物を仕入れた上、出発です○途中寄り道をしました。ドラン族と交流 です。
野外ディナーショー○意外にも西洋音楽的なリズムとメロディは素晴らしいものでした。○踊りも男性のみで身体をいっぱいに使う独特なものです。○私たちも何かやッて欲しいということで、なぜか炭坑節・・・。
歌が尻切れトンボで冴えない結果に。こういう事は日本人はダメですね。○ヤルカンド到着後 町を散策○日曜バザールへ繰り出しました ○第15日目9月14日(月)朝、快晴14度。(昨晩大雨)夕方18度。 莎車(ヤルカンド)→葉城(カルガリック)(69km)葉城(カルガリック)→柯克牙(70km)→庫地峠(52km)→葉城(132km) 葉城○朝、ヤルカンドを出発。 葉城の町へ来たところで、昆論山脈へ少しだけでも入ってみようということになり南へ右折です。○昆論山脈の中へ○360度地平線の中をのんびりとロバ車が 撮影の集中砲火を浴びました○いい雰囲気ですね〜○葉城 から昆論山脈へ少しだけでも入ってみようということで南へ向かう 12:30〜13:40 柯克牙にて昼食(70km) ここの刀傷麺(ちぎって鍋に入れる麺です)はとても美味しかった。○バスの対面に度々現れるヤクや羊たち。バスはじっと過ぎ去るまで待ちます。○庫地(コチ)峠 昆論山脈入り口 この先にK2の登山基地マザーがあります。○このみちを20日ほど行くとカイラスからラサに○この先もこのようなすばらしいけしきが続くそうです。○○昨日異例の5mm雨で、各所に崖崩れがあり マザーでの一泊を断念。○○いつか行ってみたいけど、カイラスは標高5000mのまま何日も移動しなければなりません。う〜〜〜ん○滅多に降らない雨で水たまりが・・・こういうときは崖崩れがあるので心配でした○○後ろ髪を引かれながら・・・○Uターンをして・・・○ここから戻ることにしました○昨日の雨で一遍に緑に変わったそうです。 ○第16日目9月15日(火) 朝、快晴18度。日中25度。
葉城(カルガリック)→和田(ホータン)278km○13:45 ホータン到着
17:15〜17:35 紙すき農家見学○17:55〜18:25 シルク工場見学○第17日目9月16日(水)朝、快晴18度。昼間24度。
終日:和田(ホータン)09:50 HTL発○10:45〜11:45  ホータン郊外  牛角山 へ 
キョクマラム遺跡(30km)○ へキョク=蛇、マラム=山→ペルシャ語、1C〜10C○イスラム商人が道に迷い蛇が助けるという伝説があるそうです   
牛角山からの景色○高台の道無き道を走り○ホータン川が見える景色のいいところにあります○AD401法顕(マリカワティ→)・玄奘三蔵・スタイン・ルコック・大谷探検隊○黒玉河上流・牛角山○昔仏教の寺の上に、10C以降イスラム寺院→墓(2箇所)   
洞窟、上→蔵経堂、下2箇所→僧坊   
仏教の遺跡だが今ではイスラム教の聖地になっている→巡礼者○いつの間にか沸いてきたように、子供たちが集まってきました○13:00 HTL着 午後: 自由行動20:00 夕食  
和田賓館  HTLの食事は良かった○第18日目9月17日(木) 朝、快晴8度。昼間24度。(バスクーラー使用)
2:20〜12:50 外のレストランで牛肉麺
13:00〜13:15 ギョク(玉)の原産地白玉河で玉拾い欲の皮が突っ張ったが結局採れずでした。
地元のベテランが拾った玉を売ると見せてくれました。○ホータン出発
和田(ホータン)→ケリヤ(192km)→民豊(ニヤ)(123km)標高約1200m ○タクラマカン砂漠の南端の西域南道を西へ。 ○ニヤ(砂漠縦断道路)へ 
途中ケリヤの街でこの地方独特の帽子をつけた女性を見つけた。  世界一小さい帽子  早速買いに走る   
18:00 HTL着○到着後ニヤの町のバザールへ行き、砂漠でのキャンプに備え、鍋と食事の材料を買い求めました。○翌朝、改めて買い出しに  ○当初、羊を一頭生きたまま連れて行く予定でしたが、繋がれている羊の鳴き声を聞き、可愛そうになって中止。○ホテルの厨房を借りて惣菜の下ごしらえをします。○第19日目9月18日(金)  朝、快晴12度。昼間23度。(曇っていたため温度が上がらず)  
民豊(ニヤ)→砂漠公路入り口(23km)→塔中(238km)→キャンプ地(129km)○ニヤから暫く西域南道を走り、タクラマカン砂漠縦断道路へ左折。
ここへ入ったとたん、砂嵐が・・・○先が全く見えず、道路の上を水が流れるかのように砂が這っていて、不気味な感じになってきた 
 途中、湖陽の木を拾い集める。
ニヤ方面へのヒッチハイク(?)をしていた地元の人に、水と薪を物々交換で分けて貰った。○ニヤの街を出て、23kmチェルチェンに向かって走り、左に折れる  13:00〜13:10 砂漠公路入り口にて写真休憩  風が強く砂塵が舞っている○15:50〜16:40 塔中招待所にて休憩  風が強いため、キャンプを断念するつもりで、石油基地のHTL側と交渉に入る→北のほうは風が弱いという情報→全員がバスの中に寝てでも・・・   
結局砂漠のど真ん中に泊るということに○17:20〜17:30 薪拾い  18:30 キャンプ地決定  ニヤから砂漠縦断道路(750q)に入り、道路標識177kmの所のところで風よけに都合の良い適当な場所が・・ ここへきて、嵐が収まってきてくれた○テント8張り・マット11 食事は、日本風鳥鍋。鍋・食器・ポリタンクを購入   
夜は風もやみ、夜遅くまで宴会を楽しむ。
満天の星。夜は、0度近くまで冷え込む。○結局、食事の内容は水炊きでした。豆腐と野菜、鶏肉ウィグルの人たちのために羊の肉、出汁は日本からの持参品です。
砂漠で食べる水炊きは最高!!○ ドンチャン騒ぎで大変な盛り上がり。○ファイアーストームと宴会は夜遅くまで続きます。○ 最高の「思い出の一夜」となりました○第20日目9月19日(土)  朝、快晴3度(昨日の嵐が嘘のよう)。   昼間24度(西域南道より肌寒い)  
夜の大騒ぎの余韻を残したまま朝のサンライズを・・・○蟻地獄の砂の坂をやっと登り、砂漠の朝を撮りに○カメラを三脚にセット・・ 
サンライズを待ちます○タクラマカン砂漠のド真ん中です○08:00 起床  08:30 太陽上る○あとはシャッターを押すだけ・・・・・○(^0^)b グッ!○朝は非常に寒く、3度 朝日にてらされたタクラマカン砂漠  
空気が気持ちいい ○砂漠のサンライズでの風景を楽しみます。○興奮一杯にしてはお粗末な写真ばかり・・・トホホ (>。≪)○風が吹くと足跡はあっという間に消えて風紋が出来ます たっぷり楽しみました。
テントを片付けてコルラへ出発です。(399km)○道路標識が100km前後からタマリスク・胡楊の木が多くなり砂丘が消える  
11:10〜11:30 胡楊の木写真休憩(道路標識50km地点)  
11:35 タリム河を越える  道路標識35km、車のメーター509kmの地点    
胡陽の木○胡陽の木  砂漠で育つ唯一の木 1000年育つ   
桜蘭の遺跡もこの木が使われている○天山南路に合流して東に向けてコルラへ向かいました。
途中カレーズ堀りの現場に出くわして見学を。 
カレーズは天山山脈の雪解け水を地中にトンネルを掘り、網の目のように張らして、水路を造り砂漠の農作物を潤します。
現在5000qあるそうです。
12:05 油田地帯(開発地域)を抜け、中環路へ(551km) 12:35 314号線と合流(591km)
コルラ(2度〜18度)巴州賓館→一週間前35度。昨日ウルムチ雪という情報 お湯は、24時間。設備は、今までの中では一番いい。○第21日目9月20日(日) 朝、曇り8度。昼間18度〜24度(肌寒い)
コルラ→ウルムチ(490km)
13:00〜13:35昼食ハミ瓜を食べながらトイレストップ○コルラは宿泊のみ一日移動の末、17:20 HTL着 ウルムチ・ホリディイン
第22日目9月21日(月) 朝、曇り10度。昼間23度 終日ウルムチ  
09:45 HTL発 半日 天池観光○郊外の天山山脈、 東の勇ボコダ峰と天池へ○標高5000b以上ある天山山脈の東の雄ボゴダ峰を目の前にした湖です○9月でもたっぷりと雪を被っています。○○天地 残念ながら東天山の雄ボゴダ峰は見ることが出来ませんでした。○○午後 自由行動 20:00 夕食へ 北京しゃぶしゃぶ店へ
第23日目 9月22日(火)移動日 朝、晴れ11度〜18度(ウルムチ)。12度〜26度(トルファン) ウルムチ→トルファン 215km
第24日目9月23日(水)移動日 朝、晴れ12度。昼間24度。(暑い)
トルファン→ハミ(436km)○第25日目9月24日(木) 朝、晴れ8度。昼間24度。(暑い)ハミ→敦煌(441km)終日移動   
08:00 日の出 08:50 HTL発 08:55〜09:10 ハミ瓜を買う 
この間、道路修理中で道が悪い。標高750m 10:40〜10:50 トイレ休憩(出発より84km) 12:30〜13:25 星星峡にて昼食(出発より217kmここでウィグル自治区はお終い) 牛肉面○13:30〜13:40 トイレ休憩 15:00〜15:10 写真休憩(出発より335km) 標高1390m 
16:25 HTL着 標高1030m
新彊の人間は、敦煌の食事が合わないために、エスケル達は宿泊せずに折り返す。 
着後、銀川スルーガイド於虹と合流   敦煌賓館北楼  両替は、南楼。北楼にもレストランができる   
お湯は24時間、電話あり、部屋は綺麗。夜停電。  
 第26日目9月25日(金) 朝、晴れ8度。昼間26度。(暑い) 終日敦煌(148km)  
2年前に訪れている敦厚 前回訪れなかった、陽関、西千仏洞、楡林屈、鎖陽城などを見学します○陽関   敦厚郊外  漢の万里の長城最南端○09:40〜10:25 陽関の見学(出発より66km)○このズーッとさきには桜蘭が・・・
天竺へ向かう玄奘三蔵はここから西域に乗り出しました。 厳しく心細かったことでしょう。○陽関・・・漢の時代における万里の長城最南端の砦○○西千仏洞へ○西千仏洞○莫高屈、ベゼクリク、楡林屈などに比べて文献上貴重さは下がるようです。 ○芸術的にも、きめの粗い塑像が目立っていました 
 第3・4窟 初唐・西夏、仏教・道教○以下、ガイドの説明とガイドブックの年代が異なるが、ガイドの説明した年代を記しておきます。
第5窟 北魏、第6窟 北周・飛天・涅槃 第7窟 西魏・涅槃→敦煌57窟 平山郁夫と似ている  第9窟 北周・切り妻式屋根・第10窟 北周・塑像○12:00〜12:40 西千仏洞の見学 撮影不可 文化大革命の影響大○第27日目9月26日(土) 朝、晴れ8度。昼間26度。(暑い)  敦煌→安西(382km) 
 07:55 HTL発 10:30〜13:00 楡林窟の見学(167km)  楡林窟までの道は、舗装道路。現在プレオープン。来年より正式開放 41窟の内、東31窟、西11窟。(西は未開放)○やはり撮影不可  見学窟  第12窟→五大十国、伏式窟・薬王・飛天・徒弟・西方浄土(前は回廊で繋がっている) 第13窟→伏式窟、太った飛天、入り口左右文殊・フゲン菩薩、花 第14窟→宋、一番天井がきれい第15窟→経変図  第16窟→宋の家族、経変図  第17窟→大きい、初唐  第6窟→弥勒菩薩、24m、初唐、大きい飛天  第19窟→東方浄土、薬師西方浄土、五台山  第20窟→狭い、第25窟と似ている  ○第21窟→初唐、入り口供養仏  第23窟→道教の窟、同床異夢  第3窟→有料150元、西夏、文殊変・普賢変、千手千眼観音、玄奘三蔵・孫悟空の図(唐僧取経図)→帰国、水月菩薩   第25窟→唐、有料200元   第2窟→西夏、水月菩薩二幅、玄奘三蔵・孫悟空の図(唐僧取経図)→出国○○17:00 鎖陽城着(72km)
17:00〜18:15 鎖陽城の見学○安西
鎖陽城遺跡 漢の時代の砦○敵に攻められ、この砂漠に育成する鎖陽の草を食べ、一ヶ月籠城、助勢の軍がくるまでしのいだという逸話がある○第28日目9月27日(日) 朝、晴れ8度。昼間26度。(暑い) 
安西→嘉峪関(276km)○安西   綿花の収穫○13:00〜13:05 嘉峪関遠望   
嘉峪関   明の時代の万里の長城最西端  
2年前の「シルクロード55日」の時に見学○13:10 HTL着 
長城賓館  標高1565m○内モンゴルへ   
第29日目9月28日(月) 朝、曇り9度。昼間28度。(暑い) 嘉峪関→エチナ(382km) 
10:50 HTL発 ○三菱パジェロの新車3台、チェロキー1台。日産パトロール1台(先導者として使用) 
出発は、09:00の予定が、車の故障で遅れる。 ○嘉峪関から西安に向かう河清回廊を右折、内モンゴルのゴビ砂漠を丸二日間未舗装で続くの中に入ることになります。
どこまで行っても続く砂漠を見ながらの旅です。○15:10〜15:25 トイレ休憩 15:25 内モンゴル自治区へ(207km)  
17:25 検査場(379km) 胡楊の木・偽山・軍隊基地  ○18:00 HTL着(424km)  
6時間もの長い距離、ダートを走って、 やっとオアシスの町エチナへ到着 です○第30日目9月29日(火) 朝、曇り9度。昼間24度。
カラホトでは、風が吹く。 終日エチナ(112km) 
08:10 HTL発○本当の砂漠の中へ  
水が多くてパジェロでは、川越えが出来ないため、北京ジープ3台、日産パトロール1台で出発。
途中別の団体2台も合流。途中給油。○砂が深くてスタックしたり○川にはまって動けなくなったり苦難の連続。
寒くてたき火をしながら力仕事 です○08:55 川越え(15km地点) 
09:15〜11:05 再び川越え(20km地点)  
悪戦苦闘するが、2台の車が川にはまり抜け出せず。○昨晩6時から本日6時までの24時間、ダムの放水ポンプをしめて水量を減らしているが、今年は水が多い。
来年は、橋をかける予定、北京から軍用チャーターあり(週2便) 
結局、2台の車の動きがとれなくなり、他の車に分乗。カラホトを目指すことになった。○11:25〜11:45 五塔(27km地点) 
11:50〜11:55 二塔(28km地点) 途中、唐代の大同城が見られる 
 悪戦苦闘の結果、やっとカラホトの遺跡にたどり着く 西夏の国の砦としてチンギスハーンからの防御のために作られた城 
12〜13世紀、独特の西夏文字(漢字だが複雑怪奇)を使っていた○カラホト
西夏の国の砦としてチンギスハーンからの防御のために作られた城 です。
12〜13世紀、独特の西夏文字(漢字だが複雑怪奇)を使っていました○12:20〜13:15 カラホト(49km地点) 8〜10万平方メートル 
直線距離で、エチナから20kmだが、迂回路を取るため最低50kmはかかる。○途中、墓の跡、畑の跡ありまだこのころは遺跡に対してほとんどが手つかず 
12世紀当時の、生活を思わせるものが、あちらこちらに落ちていました。話に聞くと今では道路も舗装され、川には橋も架けられて、なんにも落ちていなくなったそうです。 
昔は、1・2・5塔以外にも、塔がありこのあたり一体は寺があり、塔の林になっていた。
途中何回か砂漠にはまり立ち往生する○帰りに川にはまってしまって車を全員で引き上げました。
結局、遺跡よりもこちらの方が 圧倒的に印象に残りました。 一番右が私です。 かっこいいでしょ?○第31日目9月30日(水)朝、晴れ9度。 昼間28度。(暑い) 
エチナ→烏力吉(377km) 09:00 HTL発    
運転手が鍵をなくした騒動で、出発が1時間30分遅れる○すぐに砂丘が広がる、S217号線(エチナ→阿拉善) 
とにかくあとは砂漠の移動のみです。○10:30〜10:40 スイカ休憩(104km)11:10〜11:15 軍隊駐屯地にて給水休憩(128km)
パジェロ1台のラジエターに繋ぐパイプが、壊れているため1時間に1度給水が必要○14:30〜14:35 トイレ休憩(315km) 
15:30 烏力吉着(377km)(道路標識は364km)○軍隊の駐屯地+農村=500人いるか? 
烏力吉招待所○ウーリーチー  
水はひとつの蛇口からでるだけ。トイレは共同で屋外→汚くて使えないため、すべて野外。
電気は時間制限あり。レストランは、敷地内。部屋はベッドだけ→まあま清潔。一歩ホテルから出るとゴビ砂漠。
この日の夜の星は、アフリカのナミビア、赤い砂漠とともに信じられないくらいの見え方だった。○第32日目10月1日(木) 朝、晴れ9度(思ったほど寒くない、風なし)。昼間26度。(暑い)○烏力吉→延福寺(279km)→銀川(126km)
07:20 HTL発
又丸一日、砂漠移動が始まる○道路標識364km地点。高度1,100m。
日の出8時。○出発するとすぐに砂丘が広がる 朝より温度が下がる。7度
10:10〜 道路を修理している(177km)
来年から舗装道路に枯れ河を渡るようになる
10:35 分岐点通過(200km)吉蘭太へ36km○トイレと果物のおやつ休憩○砂漠の風紋が美しい○少し風景が変わってきました。○○今まで見られなかった人気や車が・・・○久しぶりの舗装道路です。○15:00〜 賀蘭山を越え、寧夏回族自治区へ。(延福寺より60km)
省境に万里の長城が見えるが、軍隊の基地があるため止まらず。15:15〜17:10 博物館と西夏王陵3号を見学(延福寺より86km)○西夏の首都  
博物館は、自治区40周年のために今年9月17日オープン。 白釉点彩碗○西夏王墓 幻の国西夏の首都 だったところです。○西夏時代の王様のお墓群○12世紀に繁栄して独特な西夏文字を作り出し帝増したが、チンギスハーンに攻められて消滅しました。○第33日目10月2日(金) 朝、雨8度。昼間15度。(寒い) 09:10 HTL発09:40〜10:15 万里の長城(出発より30km)○銀川郊外にある万里の長城の見学。 荒涼としています。○11:45 船着場(出発より70km)船で黄河を渡る  
12:00〜12:50 108塔見学 
黄河流域○108塔のお寺から黄河を望みます。○高さ65m、幅45m  
元代か?○第34日目10月3日(土)朝、曇り10度。昼間27度(北京は暑い)。
 銀川→北京 09:10〜10:20 HTL発(基本的には自由行動)
市内の百貨店へ  12:00〜 昼食  
13:10 HTL発  14:00 空港着  15:05 銀川空港発(WH2161)  16:50 北京空港着  17:20 空港発  18:10 HTL着  19:30〜 夕食  館内で海鮮料理。
 土・日は、食事メニュー半額  凱菜大酒店  文句なし。グレードアップで、全員スイート。○朝、晴れ24度。昼間27度。(暑い)  
北京→成田  09:00〜11:30 OPツアー天安門・故宮博物館  12:00 HTL発  12:30〜13:10 昼食(歴史博物館内)  13:10〜14:15 自由行動  
ガイドは、おみやげ品店行きを希望するが、自由行動に。  15:10 空港着  荷物は平均一個当たり24キロだったが、問題なし。  17:40 北京空港発(PK852)  21:30 成田空港着  22:00 自由解散  
「パミールを越えて35日間」最終日でした。    お疲れ様〜


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