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行 
大自然を求め


北アフリカ 地中海の道 

エジプト      

カイロ、アレキサンドリア、それと地中海リゾート地のマルサマトルーフの3
泊のみでした。

カイロは、前と比べて全く様変わり。 
スフィンクスの脇にショーなどの観覧席が出来、その後ろにはレストラン群ビ
ルや家が、ピラミッドへにじり寄るように迫っていました。 
昔見た時の迫力が消え失せ、スフィンクスも全然小さくなってしまった感じで、
全体的に箱庭をみているようで、がっかり。 
世界中の景色や遺跡が同じ運命にあるようで、今の内に早く見ておきたいと
焦ってしまいました。

アレキサンドリアは主立った遺跡は殆どが海の中、私たちには見ることが出
来ません。
ポンペイの柱、カタコンペ(お墓の地下遺跡)それと博物館だけの見学でした。 

マルサマトルーフは近代的な地中海の別荘地。前回のナイル川沿いの遺跡
巡りとは、全く雰囲気が違った旅でした。 


リビア 

この国へ入る前の印象とは、一変してしまいました。 
今考えれば、カダフィの独裁、戒律の厳しいイスラム教、危険な国、といった
イメージぐらいしか、私の頭には無かったわけで、殆どこの国のことが分かっ
ていなかったということ。 

政策は対外的にも全くオープンで、衛星放送も、設備さえすれば、各国の400
チャンネルもの番組が見放題。 
イラク、北朝鮮の独裁とはまったく一線を画すものでした。 
もちろん彼が私服を肥やしていないとはいわないけれど、外資から、オイルの
権利を半分取り戻した後、その利益を砂漠の水資源開発に大量につぎ込み川
らしい川というものが無いのに、水が豊富にあり、教育費、医療費とともに、
全て国民に無料で提供されているし、電気やガス代も、ほんのわずか。 
一般的にはアパート、貸し家はなく、誰もが自分の家を買えるという。 

人々は皆親切で優しく、心から親身に接してくれました。 
写真を撮らせてもらっているのに(女性はダメ)向こうから”有り難う”といっ て
くれる。 
ガイドが国境で見送ってくれるときも、涙を流さんばかりの表情。 
本当に人も国もリッチなな感じをうけました。

ローマ遺跡も世界で最大級のものがあり、まだ発掘されていないのがいくら で
もあるという。 
未来を夢見ることが出来ると、大変魅力的な感じを受けた国でした。 


チュニジア 

オイルが産出しないため、観光に多くを頼る政策をしている。 
そのため洗練された観光設備や、そのための日程がキチッと整備されている
ようでした。 

ローマやカルタゴの遺跡、スーク、メディナなどを見てきました。 
リビアとは簡単に出入できるので、アルコール禁止のリビア人がこちらに来て
は飲んで帰るそうです。 
チュニジアとしては彼らを田舎者と見ているようだけど、私たちには心身ともリ
ビアの方がリッチに思えました。

これから写真や思い出の整理に入りますが、できあがり次第、HPにUPしよう
と思います。




デジカメの弊害

写真の整理を始めたけれど、今回はなんと1500枚!! 
遺跡が圧倒的に多く、どれもみんな同じような写真ばかり。 
整理する労力がいつもの3倍も・・・  
                 
                  (; ̄_ ̄)=3 

何でもかんでも撮ってしまうのは、明らかにデジカメの弊害・・・ 
コンパクトフラッシュからダイレクトに取り込めるハードディスク
を持っていって安心していたら、とんでもないことになってしまった。 
とりあえずは、まず五分の一にしなければ整頓もおぼつかないです。 
                  
                 。( ┰_┰);




ツーリストポリス

エジプト、ルクソールでの事件以来、バスの旅行には銃をもった 
お巡りさんが同乗することになったらしい。 
アレクサンドリアまではカイロの警官、リビアの国境まではアレ
クサンドリアの・・・ 
結局なんにも無くて当たり前だが、なんのことはない、観光巡りの 
ドライブを十分に楽しんでいるようだった。 
いい仕事を選んだものだ・・と思っているんだろうけど、何か あ
ったときは、我々の楯に本当になってくれるのだろうか。




コシャリというエジプトの食べ物

Web友達の ”もう一度食べてみたい”という言葉が頭の中から離れず、成田で1度、
カイロに着いてから2度、コシャリというものを食べてみたい、と訴えた。 
今回の旅行はかなりの贅沢旅行で、泊まるべき町の最高のホテルで泊まり、夜はそのホ
テルか町の最高のレストランでフルコース、という設定だった。  

従って昼は通りすがりの一般食堂で地元の定食のようなものを食べようということだっ
たのだが、途中、昼食を取る町では、どうもコシャリなるものを出してくれるようなと
ころが無いという。 
そうなると、よけいに彼の言葉が、私の頭に大きく鳴り響いてくるのだった。
私は、彼がほかのひとのゲストブックにも、コシャリのことを書いていたのを知ってい
たので、もう一押し粘ってみた。 

ついにエジプト最後の宿泊地のホテルに予約注文を入れてもらうのに成功。 
楽しみを胸一杯にしてそのホテルに入ったものでした。 

その夜、現地ガイドの説明を聞きながらそれを食べた。 
パスタを5ミリぐらいに切ったものの上に、レンズ豆など2〜3品入っていてその上に
タレがのっているものでした。
ガイドの話では、家庭料理の一つで週に1〜2度は食べるという話で、その話に巻き込
まれてしまったほかの8人(我らのリーダーも含めて)も”結構いけるね”なんて話し
ていました。 

ところが、この夜の料理は、お変わりはOKだがほかには何も出ないという。 
毎日出ていた、前菜、もメインディッシュもデザートもコーヒーも紅茶も果物も、それ
にパンまでも。 
それが分かったとたん、全員が何となく無口に・・・ 
パンだけはたまたま昼食のときに、あまったものを紙に包んでいてそれを食べた。 
さすが80歳代二人、70歳代一人、60歳代4人、50歳代一人とリーダーの計9人、
年の功!

翌朝はパンとコーヒーとスクランブルのみ。昼はリビアとの国境にある、ベルベル人の
小さな町の、3坪ほどの土間にテーブルが二つあるだけの町食堂での食事。 
そしてその後、リビア入国時でのハプニング(後でまたお話しします)があり、9時間
をバスの中で、リビアのガイドが用意してくれていた、バナナとクッキーとコーヒーだ
けで過ごす結果になったのである。 
私はいっそう身の縮まるおもいを、その長い時間続ける結果になってしまった。 

ただ一つの救いは小さい町食堂のご飯というやつが本当に美味しかったことだ。 
やきそばを細かく切ってご飯で炒めた感じのもので、日本人向きの絶妙な味がした。 
名前を聞いてもただのご飯としかいわない。従って炭で焼いたうまいケバブや野菜など、
おかずがほかに4種類もでたのだ。 
皆さんが”美味しい”を繰り返すたび、私は小さくなりたくて、この80sの身体をも
てあましていた。 




エジプト〜リビア 国境越え でのハプニング

昼食を済まし、国境に向かう丘を登り切ったところで、青空だったはずが、にわかにか
き曇り、台風のような風が吹き始めた。 
そしてついにはバケツをひっくり返したようなものすごい雨が・・・ 
おまけに大音響とともに、空を亀裂するカミナリ! 
イミグレ、税関への不吉な予感を思わせる展開に。 

しかもエジプト、リビア間に緩衝地帯が500メートルもあり、その間は自分の荷物を
全て持って歩かなければいけないという。 

私たちはバックパッカーではない。 
私の場合、23Kgm前後のスーツケースのほかに、リュック、カメラ3台(VTR
も)、三脚、貴重品用のバッグを一人で持って行くのだ。 
他の人たちも私ほどではないが、似たり寄ったりで、しかも前にお話ししたとおりの年
代ばかりだ。 

まあ、今までも砂漠でテントに泊まったり、チベットの標高3800メートルの山中で、
工事のため車に8時間も閉じこめられたこともある、我々としてはこのくらいでへこた
れてはいられない。 
スーツケースに持参のビニール袋を、思い思いにかけ始めた

バスを降りて、土砂降りの中を出国手続きのために事務所へ・・ 
約20分、無事に出国を済ます。 
その間エジプトのガイドが交渉をしてくれ、リビア入国手続きのところまで、500
メートルをバスで乗り入れてもらえることになった。 
全員、ホッとため息を漏らしたものだ。 

そして最終的にバスを下りたところで、ピタリ と雨がやんだ。 
やっぱり天は私たちに見方をしてくれている。 
門の向こう側にはリビアのバスも待っていた。 
荷物は15メートルぐらい移動しただけで、あとはバスの運転手とガイドが運んでくれ
た。 
入国手続きも、ガイドが全員のパスポートを預かり、まとめて手続きに持っていってく
れた。 
あとはパスポートが帰ってくるのを待つだけだ。 
さあ待望のリビアへ・・・GO!。

30分ほどしてガイドが戻ってきた。 
”もう少し時間がかかりそうだ”という。 
”もうここまで来れば、多少時間がかかっても予定よりずっと早い”、”ノープロブレ
ム”使えない英語などを発して雑談を・・ 

それから2時間ぐらいの間に3〜4回ほど、終わっているはずのパスポートを取りに、
ガイドが車を出ていったが、そのたびに”もう少しかかる”ということだった。 
4時間ぐらいすぎた頃、もう10回以上通った事務所から帰ってきて、詳しく話を聞く
と、”VISAの入国地がトリポリ空港となっていたため問い合わせをしているらしい、
国際的な信用もあるので、何とかしてくれと頼んでいるのだが・・”ということだった。
 

どうやらリビアの日本大使館が陸路からの入国が初めての例だったので勘違いしたらし
い。

それから2時間、又何度目かの事務所がよいから戻ったときは、ちょっと泣きべそ顔で、
”これ以上うるさく言うと牢屋へ入れてしまうぞ”、と脅かされたと、しょげていた。

1時間ほどしてわれわれのリーダーに”一緒に行って交渉して欲しい”といわれ、二人
で出かけていった 
それがものを言ったらしい。リーダーは、”結構フレンドリーでもうじき終わりますと
言っていました。” 

そしてそれから45分(係官の夕食時間らしい)後、やっとパスポートが戻ってきた。
そしてあらためて押印してもらうのだが、一人のパスポートに1ページずつじっくりと
見て、結局9人分50分 
ついにトータルで正味9時間、車に缶詰にされてしまったのでありました。 

今までの車缶詰の最長記録を更新!  やったあーー!! 
なんていってられない〜〜 

予定のホテルに着いたのが、翌朝の4時20分・・ 
そしてそのホテル発10時10分。。2時間くらい寝られたかな〜・・よく覚えていな
い・・ 

あとで聞いた話では、この国境、エジプト人の出稼ぎと、貨物トラックが殆どで、海外
の旅行者は3ヶ月に一度あるかないかだそうで、珍しがられたのではということだった。




国境での思わぬ事件

9時間待たされていたリビア入国口前での出来事です。 

税関の検査があるので、麻薬犬が活躍、我々の荷物も盛んに匂いを嗅いだり、あちこち
を縦横に活躍していた。 

車に缶詰になって6時間ぐらいが経過、すっかり暗くなり、みんながいい加減退屈にな
っていた。 
もちろんトイレ、喫煙、背伸びなど外に出るのは自由だが、大陸の冬の夜はヤワなもの
ではない。 
5分も外にいると、もうふるえが来るほど寒くなってしまう。 
車での缶詰の方が快適なのである。 

わんちゃんもよく頑張っているな〜なんて話をしていた矢先、 
税関からエジプト方向へ、イヌと係官がものすごい勢いで走っていった。 

大分遠くの方で何かもめている様子。 

そのうち係官の後ろから 一人の人間が口の破れた大きな段ボールを抱えながら、嫌々、
ゆっくりと歩いてきた。その男の周りを麻薬犬がぐるぐる回りながら吠えていた。 
段ボール箱の切れ目からは、大量のマーボロのたばこの箱が、見えていた。20カート
ンとしても大変な量だ。 

 と、その向こう側を、もう一匹の麻薬犬と係官がものすごい勢いで、また逆方向へ走
っていったのである。 

あわてて視線をその先に向けた。 
その向こうには、一目散で塀の方へ逃げている人が見えた。 

イヌと係官はその人間を追いかけているのである。 
どうやら先ほどのつれられていった犯人の仲間らしい。 

もうすぐ追いつきそう、と思えたところで、塀の近くの電柱をよじ登り始めた。 
ほんの少し、いや危なく(なんという言い方)手が届きそうなところで塀に飛び移り、
塀の外へ消えてしまった。 

仕方なく・・というよりあっさりと、係官はきびすを返して戻ってきたのだった。

いったいどういうことになっているんだろうか。 
みんな探偵になったような気持ちで、推理ゴッコ?!・・・ 

温情で少しは逃げられるようになっている?・・・まさか! 
塀の向こうは刑務所になっていて、いらっしゃ〜い!・・と待ちかまえている。 
いくらリッチなリビアの国でも、そこまでのジョークと無駄金は使いませんよね〜。 

結局、解らずじまいでしたが、古いヨーロッパの白黒映画を見ているようなシーンを見
せてもらい、退屈しのぎにはもってこいの清涼剤(ん?・・)いや、ハプニングでした。

しかし、国境のため、写真もVTRも全てOFF。 
無念!! スクープものだったのにな〜。 

後で聞いた話では、あそこは緩衝地帯なので、警備が厳しく、すぐ捕まるだろうという
ことでした。 

でも見ているときは、イヌを応援したり、犯人を応援してみたりで、 
言葉だけは”早くっ!早く〜〜!!” 
複雑だったな〜 

解って頂けますよね?  この気持ち




リビアのスルーガイド 

最初、顔を見たときは、鼻の下にひげを生やし何となくうさんくさそうで、背が高く
、怖そうな人に見えた。 
国境での応対は無口で、国境でのハプニングがあったせいかもしれないが、私たち
全員が同じ印象だった。 
ところが時間が経つにつれて、全く反対だという事が解ってきた。 

国境では、私たちは9時間も車に缶詰にされたが、彼は私たちが国境へ着く5時間
前にすでに来て待っていたのだ。 
結局14時間、運転手と二人でそこで過ごした事になる。 

車の中で待たされている間、私たちにはコーヒー、紅茶、バナナ、ウエットティシュ
、クッキーを、何度も準備してくれて、すごくサービスがいい。 
彼に、私たちに会うまでの食事はどうしていたか聞いたら、バナナ、バナナ、バナナ
、バナナ、・・・・ 
なんと14時間自分と運転手はバナナだけしか口に入れなかったらしい。 

そして、その後毎日どこかでバスを止め、ティータイムを設け、彼の奥さん手製の
クッキーとティシューを渡してくれた。 
まずここでリビアを見直すことになった。



ツーリストポリス 

エジプトの場合は、各都市で次の護衛(?)警官がバスに乗り込んできたが、 
リビアでは最初の宿泊地アルベイダから、チュニジアとの国境まで9日間、ズーッ
と一緒だった。
一番若い上、もうみんななれてしまうから、友達と同じで、一緒に写真を撮ったり
、食事の時もわいわいがやがや。
最後の日本食パーティでは、一緒に歌ったり踊ったりで、お巡りさんという雰囲気
が全く無くなってしまった。 
らしかったといえば、道路でのチェックポイントで、検察に立ち会うぐらい。 
後はスークや旧市街を散策するときに、我々の一番最後につき、道行く人や、お店
の人たちを撮ったときに、お礼をアラビア語で、翻訳してくれた事ぐらいだった。



日本食パーティ 

リビア最後の夜は、私たち持参の日本食パーティ、全員が手をたたき、ポリタンクの
底を太鼓代わりに、飲めや歌え・・・ではなく飲まないで歌って大騒ぎ。 
厨房にいたニジェールの黒人が、陰でこっそりリズムに乗っていたが、仕舞いに我慢
が出来なくなり、中央に出てきて踊り出してしまった。 
バックミュージックなどまるでないのに、やはり、こちらの方の人たちはリズム感
が良く、最高に楽しい夜だった。 
お巡りさんや、別に呼んだわけではないのだが、ガダメスの現地ガイドがどこかで
その雰囲気を嗅ぎ取っていたらしい。
ホテルまで同行、一緒になってどんちゃん騒ぎをしていた。 
しかし全くアルコールなしで、これだけ気持ちよく大騒ぎが出来る、という事をリ
ビアで、初めて知ることになった。 
皆さんお酒を飲まなくても、ハチャメチャなことが出来るんですよ〜。



日本食パーティ 2 

最近では、いつもの旅行仲間が大体5〜6人ぐら参加するので、みんなで持ち寄り 
日本食パーティをすることが恒例になっています。 
各自、自分のご飯パックの他にもう一個(現地の人や初めて参加する人の分)持ち
、あとは前もって話し合い、のり、柴漬けなどのお新香類、みそ汁、麺、お汁粉、
ふりかけ、梅干し、(すべて即席です)etc を分担します。 

現地の市場では、野菜、(塩もみでキュウリやキャベツなど)パスタ(ホテルの厨
房を借りられた場合のみ)、フルーツ、アルコール、(今回は無しです)コーヒー
などと、おかずになりそうなものを買い求めます。 
電子レンジは殆どの場合無いので、持参した湯沸かし器で、ご飯のパックを15分
ほど沸騰させ、たいていの場合は、のりで巻いたおにぎりになることが多いです。 
旅行の最後の方になるほど、おいしさや楽しさが倍加します。 
現地の人たちもおもしろがって、結構集まって来てしまうんですね 
そのおかげで、最高に楽しい思い出の一つになります。



リビアの習慣

リビアの人たちは。夕食を9時頃から食べるらしい。 
どんなに早くても8時半ごろで、私たちのホテル到着が6時とか7時という事が多い。
ホテルはもちろんの事、外のレストランでも、食事の準備は出来ていない事が殆ど。 
いつも夕食は8時半頃だったが、それでも無理に早くお願いをして、であった。 
従って、食事時間まで、”どこか町の中を歩いてこようか”という事で、スークや
商店街を、毎日のように散策することになるわけだす。 
おかげで、私自身は町の散策という意味では、今までで一番楽しい旅でした。